素人のラテン語 その十 中世ヨーロッパとチャールズ大帝とラテン語

ENCYCLOPÆDIA BRITANNICAを資料として、ラテン語の歴史と中世ヨーロッパについて勉強します。中世ヨーロッパは、六世紀頃から十五世紀くらいとしておきましょう。その頃、ラテン語は唯一の公用語として法令や証書、史記などの重要な公文書では必須のものでした。聖書ももちろんラテン語訳でありました。教会関連の著作、講解、典礼、説教などすべてラテン語が使われました。

ラテン語の教育は社会文化の基礎となります。フランク王国(Frankenreich)のカロリング朝(Carolingian)における一般教育政策や教会附属学校における初等中等教育などでは、なににもましてラテン語の読み書きを課したのは当然です。フランク王国は、フランス,ドイツ西部,イタリア北部にまたがる西ヨーロッパの中核地域を統一した最初のキリスト教的なゲルマン国家といわれます。その中心都市がアーヘン(Aachen)でした。

フランク王国の為政者、カール大帝(Karl der Große)は英語読みではチャールズ大帝(Charles)といわれます。チャールズ大帝は、後に初代の神聖ローマ皇帝として君臨します。内外から高名な学者や知識人、修道士を宮廷に招聘し、一般にカロリング朝ルネサンス(Carolingian Renaissance) と呼ばれるラテン語の教育に基づく文化運動を提唱したともいわれています。特にカロリング小文字が標準の書体として採用され、王国全体で使用されるようになったのもチャールズ大帝の功績といわれています。

一般社会の状況とは別に、知的な営為の中でラテン語は自由七科の基礎となったといわれます。自由七科とは、中世のヨーロッパにおいて必須の教養科目とされた学科のことで、文法学,修辞学,弁証論からなる初級の三科と,算術,天文学,幾何学,音楽学の上級四科からなります。リベラルアーツ(Liberal Art)の原型です。

文法学は、狭義のラテン語学として、語法規則を集成した初等学校から大学に至るまで、ラテン語法は古典ラテン語の基準に従って教えられたようです。弁証論は形式論理の表現手段で、時制、法、態、接続詞などの形式的な特質が論じられます。さらに修辞学としては、ラテン語の統辞法(syntax-シンタックス)が論述の展開の基礎として援用されます。

素人のラテン語 その九 ラテン語と弁論術と教育

ギリシャの弁論術がローマ人の演説に影響を与えたのは前二世紀頃といわれます。政治の場や法廷での演説は、ローマで公人として世に処するためには不可欠の要素でありました。公衆を前にした演説では精緻な論議よりも、大仰な表現による感情的論議のほうが群衆を動かしやすいことがありました。当時広められた弁論術のスタイルは感情的で律動的、修辞的な傾向があったようです。

ローマ帝政の確立とともに、弁論術は政治的な意義を失っていきます。だんだんと平明なスタイルとなります。それでもそれまでの慣習的な影響によって弁論術は、依然として要の地位を保ちます。現代における平明なスタイルの弁術は、マーチンルーサーキング(Martin Luther King Jr.)博士が演説したワシントン大行進における「I have a dream」でしょう。中学2年で教わる単語を用いて誰にでもわかるような内容の不滅の演説といえます。ジョン・F・ケネディ(John F. Kennedy)大統領の就任演説もそうです。

ヨーロッパにおいて大人だけでなく、子弟の教育においても、きわめて重視されたのが弁論術です。子どもたちに材料を明確かつ論的な方法で整理し、自分の意見を相手に納得いく形で述べさせることを教えたといわれます。思考力や記憶力の訓練の手段ともみなされ、近代教育理論の体系に充分に適合しうると考えられていきました。

イギリスの初等教育学校、グラマースクール(grammar school)でも当初はラテン語初等文法を教授されたという歴史があります。こうした流れはやがて現代の学校における作文教育とか知的好奇心を深める遊びと探索学習、そしてその成果を発表するというように教育界に大きな影響を与えることになります。

素人のラテン語 その八  ラテン音楽とクラーヴェ

数回前のブログで、ラテン音楽には大まかにメスティーソ系(Mestizo)とムラート系(Mulatto)の音楽があることを述べました。この話題で書き残したことや付け加えたいことがあります。ラテン語が音楽にまで影響を及ぼしたとはこれいかに、ということです。

メスティーソ系とムラート系とも、雑種な文化から生まれ、根強い生命力と大衆性を備えています。ラテン・アメリカには、ヨーロッパのような独自のエリート文化は存在しないと云われます。ラテン音楽は文化の多様性によってヨーロッパやアジアにも浸透し、アングロ・アメリカのムラート音楽といわれるジャズ(Jazz)やロック(Rock)などのポピュラー音楽の主流を占めるようになります。ルンバ (Rumba)、マンボ (Mambo)、サンバ(Samba)、メレンゲ(Meringue)、チャチャチャ(Cha cha)、レゲエ(Reggae)、カプリ(Capri)、タンゴ(Tango)などはムラート系の音楽です。

サルサ (Salsa)は、カリブ海のキューバやプエルトリコ発祥のダンス音楽に、ジャズ、ソウル、ロックなどの要素が融合したラテン音楽の一つです。1970年頃までにニューヨークで確立され、その後、北米、中南米、ヨーロッパ、日本など世界中に広まります。中南米、北米では一般的なラテン移民の庶民のダンスとして溶け込んでいます。

南米の情熱あふれるリズムの基本となるのは、ラテン音楽特有の「クラーヴェ(Kurave)」という単位です。1クラーヴェとは、8拍の音楽に6ステップを合わせて踊ります。クラーヴェとはスペイン語で「基本」とか「鍵」と言う意味だそうです。

昔、ペレス・プラド(Perez Prado)という楽団がありました。プラドはキューバのバンドリーダーでマンボ王と呼ばれていました。ルンバにジャズの要素を取り入れた新しいリズムがマンボといわれます。ムラート音楽の系統を継いでいたようです。

日本の代表的なサルサのアーティストが「オルケスタ・デ・ラ・ルス」という楽団です。歌手がクラーヴェのリズムにのり、ベースやピアノが加わりコンガ、ボンゴなどのパーカッションやトランペットなどで構成されています。

 

素人のラテン語 その七 論文などで使われるラテン語

数回前に、「日常使われるラテン語」を簡単に紹介しました。それに付け加えたいラテン語のことです。特に研究職探しや研究論文などで使われるラテン語です。

履歴書のことを略して”CVーcurriculum vitae”といいます。単に”vitae”というようにも使われます。このラテン語は、”the course of my life”という意味となります。学歴・職歴・資格などを網羅し大学志願や職探しに”CV”はなくてはならぬ書類です。このように口語では略して言うことが圧倒的に多いです。

学問研究では、物事の研究方法論として使われるのがラテン語です。“a posteriori“は帰納的なとか後天的なという意味です。経験や実験によって仮説を検証するやり方です。”a” はラテン語で「~へ・の状態で」の意味で、”posteriori” は「後から」ということです。

他方、“a priori“というのは、演繹的とか先験的という意味です。「はじめに言葉があった」とか「はじめに神が存在した」というテーゼから万物の創造を考えるといった方法のことです。”priori ”は「前から」という意味のラテン語です。

“bona fide“ 真実の、誠意ある、合法的な、という意味となっています。”bona” はラテン語で「良い」の意味で、”fide” は「信念に(から)」(= faith) の意味。例文として、”bona fide proposal”とは「誠意ある提案」となります。

“ibidem“とは、前掲引用箇所を示す語です。ラテン語で「同じ場所で」の意味で、すでに引用した書名などの繰り返しを避けるときに使います。通常、論文内では “ibid.“、“ib.“ などと略語で表記するのが一般です。

“i.e.“もしばしば論文などで見られます。ラテン語の “id est” は英語の “that is to say” という意味で「すなわち」をあらわします。一度述べたことを言い換える場合に使われたりするとても目にする略語です。“&“は”ampersand”、アンパサンドといわれ、”and”という意味で使われます。

素人のラテン語 その六 学問とラテン語

学問の世界においては、ラテン語はなお権威ある言葉であり世界的に高い地位を有する言語です。現在でも学術用語にラテン語が使用されるのには、そうした背景があります。ラテン語の知識は一定の教養と格式を表すものであり、大学のモットーにラテン語が使われます。例えばウィスコンシン大学マディソン校(University of Wisconsin-Madison)の紋章には ”Numen Lumen” というラテン語が使われています。“God, Our Light”と訳され “神は我が光なり” という意味です。ハーヴァード大学(Harvard University)の紋章には ”Veritas”というラテン語が印字されています。こちらは真理 “Truth” という意味です。

21世紀の今日、言語学的にラテン語は「死語(dead language)」と呼ばれますが、文化的に死語では決してありません。漢字の誕生は紀元前の中国に遡ることができます。漢文化の影響を受けた日本人は、今も漢字を用いることによって新しい文化を創造し続けています 。同様に、ラテン語の圧倒的な影響を受け続けたヨーロッパ人は、自国の言語を用いながらも、ギリシアやローマ文化の影響を陰に陽に今を語り未来に遺産を伝えているといえます。

ラテン語を勉強してなにか良いことはあるのか、という問いを考えましょう。それは漢字を学ぶことがヒントとなります。白川静氏が常用漢字の基本字典である字統や字訓を著し、漢字の偏と旁にそれぞれ意味が込められていることを解説しています。そして漢字をその文化の歴史的な展開の中で学ぶことを示しました。それと同じです。ラテン語を学ぶことは、私たちが日々接している英単語や、広い意味でのヨーロッパ文化の源流が、ギリシア・ローマ文化であることを知ることになるのです。英語という川を遡ると、その源流がラテン語であることを見つけることできるのです。

大学教員の肩書きに出てくるPh.D. (博士号)は、doctor philosophiaeというラテン語の略語で、「哲学を教える資格をもつ人」の称号とされます。Ph.は「哲学」のことで、医学・法学・神学以外の全学問を意味します。哲学が学問の代名詞とみなされた時代の名残です。一見見慣れた英単語の一つひとつにも歴史があります。英単語の成り立ちを語源に即して調べるのは、一種の知的な遊びといえましょう。

素人のラテン語 その五  ラテン・アメリカとラテン語

ラテン・アメリカ(Latin America)とは、北アメリカと南アメリカの諸地域を指します。メキシコ以南の大陸とカリブ海地域の諸島の総称です。こうした地域では、ラテン語系のスペイン語、ポルトガル語、フランス語などが公用語となっています。「中南米」という地理学的な呼び名もあります。その名のとおり、スペイン、ポルトガルによって代表されるラテン系ヨーロッパ文化がこの地域の文化的な骨格を形成しています。

  イタリア人、コロンブス(Christopher Columbus)の到着以前から住んでいた先住民族は、いまも原住民語を話しています。インディオ(Indio)の先住民文化、奴隷として連れてこられたアフリカ人の文化、そしてヨーロッパ人の文化が葛藤したり融合することによって独自の文化形成に役割を果たしてきました。宗教においてもカトリック教会の影響が卓越しています。

ラテン音楽についてです。世界大百科事典によりますと、先住民の音楽、アフリカの音楽、ヨーロッパの音楽が融合したのが、通称ラテン音楽と呼ばれます。ラテン音楽はメスティーソ系(Mestizo)とムラート系(Mulatto)に分けられます。メスティーソ系とはヨーロッパ系とラテンアメリカの先住民の混血である人々であり、ムラート系とはヨーロッパ系白人と、アフリカ系黒人との混血を指す言葉です。当然、ラテン音楽はこのメスティーソ系とムラート系があることになります。

メスティーソ系音楽は、ヨーロッパの要素が強く、ギターが楽器の中心となります。民族舞踏と結びつき、6/8拍子のリズムが多くなります。ペルーやボリビヤなどのアンデス高原の先住民族の伝統が残り、ケーナと呼ばれる笛など、スペイン人侵入以前のなごりを留める楽器が使われます。

ムラート系のラテン音楽はヨーロッパとアフリカの音楽の融合が特徴といわれます。カリブ海の島々、パナマ、コロンビア、ベネズエラ、ブラジルなどの分布しています。ギターも盛んに用いられますが、打楽器が中心となり、1/2拍子のリズムが多く、踊りとも結びついています。即興的で自由であり1/2, 2/4拍子の単純なパタンの反復ものが多いのも特徴といえます。

素人のラテン語 その四  ラテン音楽とラテン語

ラテン音楽とかラテン文学という言葉に出会うと、中南米(Latin America)の音楽や文学を想像するかもしれません。あながち間違いというわけではなさそうです。それを説明しましましょう。

ブリタニカ国際大百科事典によりますと、ラテン語は、スペイン語(Spanish)、ポルトガル語(Portugue)、フランス語(French)、イタリア語(Italian)、ルーマニア語(Rumanian)、カタロニア語(Catalan)といったロマンス諸語(Romance Languages)を生み出す母胎となる言語といわれます。

ヨーロッパは大雑把ですが、基本的にゲルマン系(German)、スラブ系(Slavic)、そしてラテン系の3つの言語で分けることができます。その中でラテン系に入るのが、フランス、スペイン、イタリア、ポルトガル、ルーマニアなどとなります。フランスやイタリアのことを「ラテン・ヨーロッパ」(Latin Europe) と呼んだりするのも、これらの国の言語がラテン語から生まれた事実に基づいています。

中南米諸国が植民地であった時の宗主国はポルトガルやスペインです。言語も含めた文化が、今でも中南米でしっかりと根付いてることから、これらの地域が中南米とか「ラテンアメリカ」と呼ばれているのです。「ラテン音楽」もそういうわけでスペイン語やポルトガル語の影響ということになります。ちなみに、ブラジルはポルトガル語が公用語、またその他の中南米のほとんどの国ではスペイン語が公用語となっています。ハイチはフランス語が公用語です。ラテン語が音楽にしろ文学にしろ、中南米諸国の文化の母胎となってきたのです。

素人のラテン語 その三 日常使われるラテン語

私たちが日常で、なにげなく使う英単語や略語がラテン語(Latin)であることを説明します。ラテン語は特にヨーロッパ諸国で使われる言語の源となって今も多くの影響を与えています。その例を説明します。

AM 4:00 とかPM 6:00 といった表記をポスターなどで見ます。正しくは4:00AM とか6:00PMと書くすべきです。“AM “は “ante meridiem “というラテン語の短縮形で、 before noonというので午前となります。“PM“ は “post meridiem “というラテン語で、 after middayつまり午後ということです。

同じように西暦を示す“AD“は「 Anno Domini」で紀元後を意味し、“BC“は「Before Christ」というように紀元前を表します。“per cent“, パーセントも “per centum“ というラテン語です。 “vs“という「…対…」で使われる単語は“versus“でこれもラテン語です。その他、“etc.“「エトセトラ」は “et cetera“、“e.g.“は「例えば」 “exempli gratia“の略語であり、“vice versa“ は「逆もまた同様に」というラテン語です。

“per capita“ 一人当たりとか一人につきという意味です。“per“ はラテン語で「~につき」、“capita“ は「頭をに対して」となります。これと同じ使い方が“per diem“で、一日につき、日当というようになります。“diem“は日という意味ですね。

“per se“は、それ自体とか本来はという意味で使われます。 “se“は“itself“という英語にあたります。
“de facto“もラテン語です。de はラテン語で「~から、~にしたがって」、facto は「事実に」の意味。“de facto standard“とは 「事実上の標準」とか「業界標準」というように訳されています。

“nota bene“は、よく注意せよ、つまり“Note well“ の意味で、nota は「注意せよ」、bene は「よく」となります。”NB”という略語が使われます。“&” という単語は”ampersand”(アンパサンド)と発音するラテン語です。”and”という意味です。

素人のラテン語 その二 レクイエム-Requiem

昭和36年に北海道大学に入ると同時に男声合唱団に加入しました。幸い、中学や高校でも歌っておりました。合唱団での合唱曲のレパートリ(repertoire)は多種多様でした。そこでいろいろな言葉の歌詞に出会いました。その一つがラテン語(Latin)です。ラテン語の歌詞の多くは宗教曲にありました。例えば、「Gloria」、「Agnus Dei」、「Sanctus 」、「Credo」、「Kyrie」といった曲です。こうしたラテン語から英語がうまれていることを知って英語にますます興味が湧くとともに、ラテン語にも興味を抱くようになりました。

その後、私は札幌ユースセンター教会で洗礼を受けました。この教会はルーテル派です。そこで学んだことは、マルチン・ルター(Martin Luther)という神学者のことです。宗教改革(Reformation) の先駆者です。宗教改革当時の礼拝はすべてラテン語で執行されていました。聖書もラテン語で書かれ、よっぽどラテン語を勉強した人でないと理解できませんでした。司祭といわれる聖職だけがラテン語の読み書きができた時代です。ルターはこうしたカトリック教会の典礼という礼拝のやり方に疑問を呈していくのです。そして「万人が祭司」(universal priesthood)であるということを主張するのです。

今もカトリックの総本山であるバチカン市国(Vatican City) の公用語はラテン語です。ラテン語はスペイン語(Spanish)やフランス語(French)、ポルトガル語(Portuguese)、プロバンス語(Provence)、カタルーニャ語(Catalunya)などロマンス諸語(Romance)の母体となった古典語でもあり、現代語では同じイタリアで話されるイタリア語が最も近いといわれます。

カトリックやプロテスタントを問わず聖歌や賛美歌には、つぎのような聖句が登場します。
Dona nobis pacemは、「われらに平和を与えたまえ」
Gloria in excelsis Deoは、英語ではGlory to God in the Highestといいます。「いと高きとこでみ栄えあれ」と歌われます。

素人のラテン語 その一 「進駐軍がやってきた」

私は外国語に興味を持つ人間の一人です。そのきっかけを振り返ると、昭和21年の秋に北海道は美幌に進駐軍がやってきたことにありそうです。美幌には第41海軍航空基地があったので、進駐軍があのカーキー色のトラックでやってきました。トラックからチューインガムやチョコレートが投げられ夢中で拾いました。チョコレートの甘さは忘れられません。レーション(ration)と呼ばれた携帯食も珍しいものでした。

それから中学生になって英語がとても大好きになりました。名寄中学校で眉毛の太い藤田という先生に英語を教わりました。教科書の文章は不思議と頭にすらすら入りました。「Who Has Seen the Wind?」という教科書にあった詩も今も覚えています。この詩の作者はChristina Rossettiというイギリス人の女性です。

Who has seen the wind?
Neither I nor you:
But when the leaves hang trembling,
The wind is passing through.

Who has seen the wind?
Neither you nor I:
But when the trees bow down their heads,
The wind is passing by.

後に、この詩がいろいろなレトリック(rhetoric)と呼ばれる修辞法を使っていることを知りました。韻を踏んでいること、対比や反復をつかっていることです。例えば、wind、trembling というような語尾の韻、passing through、passing by という前置詞の使い方、 I nor you、you nor I といった倒置、the leaves、the trees という対比です。真にほれぼれする詩です。

この修辞法は、大分あとに研究者として文章を書くときに大いに役立ったことはいうまでもありません。学生や院生の論文を読むときにも文章を修正してやるときにも、修辞を大切にするよう指導しました。