幕末に来日してその後の日本の発展に寄与した三人のオランダ人を取り上げます。ウィレム・ヨハン・カッテンディーケ (Willem Johan van Kattendijke)、ヘルハルト・ペルス・ライケン(Gerhard Christiaan Coenraad Pels Rijcken)、ヨハネス・ポンペ・ファン・メールデルフォールト(Johannes Pompe van Meerdervoort)です。
最初はカッテンディーケです。彼は徳川幕府が発注した軍艦ヤーパン号を長崎に回航したオランダの軍人です。ヤーパンとはJapanのこと、後の咸臨丸です。幕府が開いた長崎海軍伝習所の第一代教官ペルス・ライケンの後任として第二代教官となります。海防意見書を出した勝海舟、オランダへ留学し帰国後、幕府海軍の指揮官となった榎本武揚などの幕臣に航海術・砲術・測量術など近代の海軍教育を精力的に教えて日本海軍の基礎を築きます。
カッテンディーケが著した『長崎海軍伝習所の日々』(水田信利訳)によると、カッテンディーケは日本人の女性を観察しています。この本にはなかなか面白い内容が記述されてます。
「日本では婦人は、他の東洋諸国と違って一般に非常に丁寧に扱われ、女性の当然受くべき名誉を与えられている。もっとも婦人は、社会的にはヨーロッパの婦人のように余りでしゃばらない。そうして男よりも一段へり下った立場に甘んじ、夫婦連れの時でさえ我々がヨーロッパで見馴れているような調子で振舞うようなことは決してない。」
「しかし、そうだといって、決して婦人は軽蔑されているのではない。私は日本美人の礼賛者というわけではないが、彼女らの涼しい目、美しい歯、粗いが房々とした黒髪を綺麗に結った姿のあでやかさを誰が否定できようか。」
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