ウクライナの歴史から学ぶ その二 地名と地理

ウクライナという名称は「辺境」を意味するクライ(Krai)という語から由来し、12世紀頃から使われるようになります。先史時代から今日までのウクライナは、地理的に北西から南東に向かって三つの重要な土壌帯に分かれています。北西部の砂質のポドゾル(podzol)という強酸性土壌地帯、中央部のチェルノゼム(chernozem)という黒色草原土地帯、そして南東部の栗色土・含塩土地帯です。中央部の草原土地帯はウクライナ全土の48%を占め、黒土は最高16%までの腐植土を含み、その土の厚さは1.5mから2mで世界有数の肥沃な土壌となっています。それ故、小麦の生産が盛んです。

Wheat Harvesting

以上、3つの地帯の地理についてです。ポドゾル土壌地帯は黒海(Black Sea)の北側地帯です。現代の地中海(Mediterranean)の軍事・海防力地域となっています。チェルノゼム黒色草原地帯は、広大な草原(Steppe)で東側から中央部へと広がり、ドニプロ川(Dnieper River)に沿ってヨーロッパへの玄関口となり、ウクライナの穀倉地帯となっています。トリッピリア文化(Trypillya)という東ヨーロッパの考古文化が紀元前3世紀位まで栄えたところです。この草原地帯は、何世紀にもわたり、軍事衝突の場となり、同時に文化の交流の場ともなります。栗色土・含塩土地帯は、中央アジアからの騎馬遊牧民族がやってきたところです。ここから北部、中央ヨーロッパへと河川が通じています。

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