イリノイ州(Illinois)のナンバープレートには「Land of Lincoln」と記されています。リンカーンが残した遺産の重要さを強調しています。州都スプリングフィールド(Springfield)です。シカゴ(Chicago)ではありません。エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)が生まれ育った町がスプリングフィールドです。アメリカは一番大きな街が州都になるとは限りません。例えばカリフォルニアは州都がサクラメント(Sacramento)です。サンフランシスコ(San Francisco)やロスアンジェルス(Los Angels)は遥かに大きな都市です。
イリノイ州には900もの川が流れ、そのほとんどがミシシッピ川(Mississippi)水系に注ぎ込んでいます。シカゴ川とカルメット川(Calumet)は、もともとはミシガン湖を通ってセント・ローレンス川(St. Lawrenc)に注いでいましたが、運河の建設により、州北部を北東から南西にほぼ二分するイリノイ川を通ってミシシッピ川に注ぐようになりました。オハイオ川は州南端のカイロ(Cairo)付近でミシシッピ川に合流しています。そのような訳で、この付近は「小さなエジプト」(Little Egypt)と呼ばれています。
イリノイの最大の天然資源は、その豊かな黒土です。州の面積の約4分の3を農場が占めています。イリノイ州は例年、大豆とトウモロコシの生産量で上位に入ります。豚肉や乳製品、穀物、家畜の生産でも有名で、家族経営の農場が最も多いが特徴です。州南部3分の1の土壌は、農業にはあまり適していません。
イリノイ州は、石炭の埋蔵量で全米トップクラスです。国内の瀝青炭(bituminous coal)埋蔵量の4分の1を占めています。イリノイ州の瀝青炭埋蔵量は、サウジアラビア(Saudi Arabia)の石油埋蔵量を上回るエネルギーを含んでいるといわれます。石油生産のピークは1940年に達し、それ以降は減少していますが、イリノイ州は石油精製において地域のリーダーであり、エタノール(ethanol)の生産量も全米トップクラスとなっています。
この州は合衆国での有数の工業地帯であり、非電機機器のトップメーカーで、保険業の中心地でもあります。イリノイ州は国内における商工業、交通、政治や財政の中枢的存在となっています。ともあれ、製造業、農業、金融、鉱業、運輸、政府、テクノロジー、観光業を含むサービス業など、州経済は多様性に富んでおり、全米経済の縮図といわれています。このような多様性は、他州にはない特徴です。
イリノイ州や民間の経済団体は、バランスの取れた経済を拡大することに多大な注意を払っているといわれます。例えば、イリノイ州産品の輸出を促進するため、外国の都市、例えば東京などに事務所を置いています。さらに女性や少数民族による事業開発のためのサービスを提供し、新しい技術開発に関する情報を民間企業に広めているのも特筆されます。
さて、リンカーンのことです。アメリカ第16代の大統領です。その功績は人種差別運動の先駆者ともいうべき人と言われています。その運度の伏線には、ハリエット・ストウ(Harriet E. Stowe)という小説家が書いたUncle Tom’s Cabinがあります。この作品で、当時の黒人の生活と差別の実態が全米の人々に知れ渡ることになります。差別への関心がやがて、アメリカを二分する南北戦争へ突入していきます。
南北戦争(Civil War)中は政治的に分裂しますが、イリノイ州は連邦(Union)の一部でした。南北戦争は、黒人の解放に大いに関係する出来事です。アメリカ南部は綿花を栽培することが中心。畑には多くの黒人労働者が使われていました。映画「風と友に去りぬ」は、南部が舞台でした。メイド役の黒人女性が、一人娘の死で打ちひしがれる農場主レッド・バトラー(Rhett Butler)を慰めるシーンがありました。帰還する兵士アシュレー(Ashley)を見て、スカーレット・オハラ(Scarlett O’Hara)がかけ寄ろうとするのを押しとどめるのはこのメイドでした。
南北戦争が終わり、リンカーンは二分しかかったアメリカを一つにしようと呼びかけた有名な演説をします。それがゲティスバーグ演説(Gettysburg Address)と呼ばれる奴隷解放宣言です。20世紀になると共和党と民主党が激しく対立し、選挙人票も多かったので、大統領選挙の主要な戦場となっています。
私にとってのイリノイは友人との交わりです。イリノイ大学の教授だったDelwyne Harnisch氏とは長い長いつき合いをしました。
(投稿日時 2024年2月9日)