皆越尚子氏の『オランダ雑学事始』には、「オランダ人は ”世界は神が造りたもうたが、オランダはオランダ人が造った”と自負している」と書かれています。国土全体の30%が海面下にあるというのです。干拓に邁進したオランダ人の知恵と努力は、まさにオランダ人がオランダを造ったといえるのでしょう。
オランダといえば、そのシンボルが風車です。それはポルダー (polder)と呼ばれる干拓地の造成に活躍します。ゾイデル海(Zuider) の干拓は有名ですが、風車は排水作業などで大きく貢献したといわれます。そのために風のエネルギーを動力に変える風車のメカニズムは様々に研究されてきたとあります。風車の羽根に張る帆布と角度、方向固定のための滑車、動力を伝達のための心棒や歯車がいろいろと工夫され改善されたようです。
こうした技術は、大型帆船の建造に役立ちました。風車はそのまま帆船の不可欠の部品となって使われ船舶技術に応用されたのです。海洋王国オランダを支える技術の原点はこの風車の発明によるようです。帆船はやがて蒸気船に取って代わられます。
最初の頃の蒸気船は外輪船でありました。水深が浅くても走れるため穏やかな河や沿岸を航行するに便利でした。今も観光目的の外輪船は見られます。蒸気機関を備えた汽帆船もが多く造られました。さらにより推進力のある高速のスクリュー船が造られます。
蒸気船が日本を訪れたのは、1853年の黒船来航最初です。黒船に日本人が驚いたことは頷けます。外輪蒸気船のフリゲート艦「サスケハナ (Susquehanna)」など四隻です。その後、オランダで建造され長崎海軍伝習所の練習艦として1857年に就役したのが咸臨丸。蒸気機関を備えた汽帆船でありました。汽帆船からスクリュー船への転換によって大航海の貿易や戦争の様が大いに変わります。このように、オランダの諸技術が後の日本の産業発展に果たした貢献は計り知れないものがあります。
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