ニューハンプシャー州(State of New Hampshire)はかつてイギリスの13の植民地の一つでありました。1623年にイギリス人がポーツマス(Portsmouth)近辺に漁業と交易のため入植し、 1641年マサチューセッツ湾植民地に編入し、1679年にイギリス王領植民地となります。
ニューハンプシャーは1776年1月にイギリスと訣別したイギリス領北アメリカ植民地として最初のものとなり、その6か月後には独立宣言を発して、アメリカ合衆国を構成した植民地の1つとなります。州都はコンコード市(Concord)で最大の都市はマンチェスター(Manchester)です。州のモットーは「自由よ、さらば死を。(”Live Free or Die”)」で、自動車のライセンスプレートにも表示されているフレーズです。
州域には花崗岩が広く分布しています。これがニックネームの由来です。氷食を受けた古期アパラチア山系の一部で,約 1,300の湖沼があり,平均海抜高度は約300mという平野がひろがります。
ヨーロッパ人が入ってくる以前、アルゴンキン語族の様々な部族、例えばアベナキ族(Abenaki,)、ペナコック族(Pennacook)などが住んでいいました。1600年から1605年にイングランド人やフランス人の探検家が訪れ、1623年にはイングランド人漁師がオディオーンズポイント(Odiorne’s Point) に入植します。最初の恒久的な開拓地は、現在のドーバー市(Dover)であるヒルトンズポイント(Hills Point)でした。
1905年8月、合衆国大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の仲介により、ポーツマス(Portsmouth)の海軍造船所内で講和会議が開かれ、ポーツマス条約(Treaty of Portsmouth)が同年年9月5日に調印されます。この町の近くに長男の嫁の両親が住んでいたので、ポーツマス市内の小さな博物館で日本の全権大使である小村寿太郎やロシアの大使ウィッテ(Sergei Yuljevich Witte)の写真などを見たことがあります。この博物館にはポーツマス条約の展示物が沢山あります