ウィスコンシンで会った人々 その13 マディソンの学校で

マディソン(Madison, Wisconsin)の学校の話題である。孫娘二人は近所の小学校と中学校に通っている。上の娘は自転車通学である。ヘルメットは必携となっている。教室を覗くと多種多様な髪と皮膚の色の生徒がいる。二人の校長はアフリカ系アメリカ人である。マディソン教育委員会は長年、少数民族出身の子どもの教育にも力を入れてきた。こうした子どもが増えたのはヴェトナム戦争以降である。

異なった言語や文化を背負った子どもたちは、英語を習得して同化しようとしている。そこに流れる精神は自由と平等を自覚する善良な市民になろうとすることである。アメリカというところは、長く住めば住むほど永住したくなるような不思議な魅力を持っている。それを海外からやってくる者は一種の幻覚のように感じるのだ。幸せを実現してくれるといった目眩のようなものである。

アメリカという磁石に惹きつけられて人々が集まり多民族国家を形成している。学校だけでなく大学や企業も多くの人種が学び働いている。誰もが永住権(Green Card)を取得しようと努力している。高等教育を受けた優秀な人々は安定した暮らしをしていることが伺える。先日パーティであったカンボジア系アメリカ人もウィスコンシン大学で会計学を学び、大手保険会社に勤めているということだった。

話題は少し変わる。2015年の春、大阪市内の小学校に入学しようとしたダウン症の子どもの両親に対して、教育委員会は門前払いにしようとしたことが報道された。父親はニュージーランド人、母親は日本人。両親は子どもを地域の学校で学ばせようとした。学校がどような支援をしてくれるのかを相談した。だが学校側の対応は冷淡であったようである。

特別な支援はなく受け入れには消極的な態度だったという。そして特別支援学校を紹介したのだ。父親はニュージーランドの学校を引き合いに出し、地元の学校に入れることを強く主張した。「可能な限り障害のない子どもとともに教育を受けられるように配慮する」ということを聞いていたからである。この両親の主張が功を奏したのか、後日校長と教頭が謝罪の申し入れをしてきた。大阪は「障害の有無に関わらず地域の学校で学ぶことが基本である」というフライヤーを作っている。

いわゆる先進国の教育事情が系統的に日本に紹介されて60年以上が経つ。ようやく、子どもが地域の学校へランドセルを背負って通う姿が当たり前のようになってきた。だが筆者が住む八王子市内で、いまだに多くの子どもが特別支援学校のバスに乗って通学している。果たして地域に友達がいるのだろうかとバスを眺めながら考えるのである。

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