心に残る名曲  その百三十一 バーンスタイン 「シンフォニック・ダンス」

レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)は、1918年生まれのアメリカ人の作曲家で指揮者です。ピアニストとしても知られ、カラヤン(Herbert von Karajan)やショルティ(Georg Solti)、ワルター(Bruno Walter)などとともに、20世紀後半の古典音楽界をリードしてきた指揮者であり作曲家です。存命していれば今年は100歳です。

 バーンスタインは、ウクライナ系ユダヤ人移民の2世として、マサチューセッツ州(Massachusetts)に生まれます。父親は敬虔なユダヤ教徒。父親の強い反対を押し切って、プロの音楽家の道を志します。ボストン・ラテン・スクール(Boston Latin School)というアメリカでは最初の公立高校で現存する最古の学校を経て、ハーヴァード大学(Harvard University)やカーティス音楽院(Curtis Institute of Music)で学びます。

彼が指揮者を志したのはミトロプーロス(Dimitris Mitropoulos)というギリシャ人の指揮者の影響です。指揮ではライナー(Fritz Reiner)やクーセヴィツキー(Serge Koussevitzky)に師事し、作曲はピストン(Walter Piston)に師事します。カーティス音楽院を卒業後、しばらく仕事を得られない時期があったようです。1943年夏にニューヨーク・フィルハーモニック(New York Philharmonic)の副指揮者に就任します。1943年11月、病気のため指揮できなくなった大指揮者ブルーノ・ワルターの代役として突然ニューヨーク・フィルを指揮します。なにせ本番の数時間前に決まったようです。リハーサルはなし、しかもコンサートはラジオで全国放送されたのです。

1958年、ニューヨーク・フィルの音楽監督に就任します。バーンスタインとニューヨーク・フィルのコンビは大成功を収め、以降11年間に渡るニューヨーク・フィルとの蜜月は数々の名演を残し、やがてニューヨーク・フィルは全盛期を迎えます。「ウエスト・サイド・ストーリ」の「シンフォニック・ダンス」(Symphonic Dances from West Side Story)を作曲するという音楽家でもあります。

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