心に残る一冊 その90  「お美津簪」

山本周五郎の作品の一つ「お美津簪」の紹介です。かんざしー「簪」という語は難しい綴りです。

初めて父に連れられて長崎から江戸にやってきたのが正吉です。同郷の筑紫屋茂兵衛の店に奉公にだされます。茂兵衛には男の子がなく、お綱とお美津の二人の娘がいます。

正吉は気質が良く、人品も優れていて人並み以上の敏才の持ち主です。茂兵衛はお綱を婿として跡目を継がせようと考えていました。正吉とお美津は私かに恋を語る仲となります。そしてあるとき、正吉とお美津が土蔵の中で逢い引きをしているのを見つかります。正吉は一年間、小僧として使い走りに落とされます。

正吉はそれ以来夢のなかでうなされるようになります。お美津ばかりの夢を見、病気が進行しているような状態になります。正吉はすっかり自棄となり、お紋という女性に懸想してしまいます。そして店の金五十両を持ち出しお紋と駆け落ちするのです。その後、お紋に拐かされたように押し借り、強請、博奕などあらゆる無頼の味を嘗めていきます。女の情欲のために、治る見込みのない労咳で病む身となります。「罰だ、罰だ、旦那様やお美津ちゃんの罰が当たった、、」
「長崎、長崎、、、おっかさん」
正吉の胸に故郷の念がつきあげてきます。

「そうだ、長崎へ帰ろう、どうせ半年先もおぼつかない体だ、故郷の土を踏んでから死のう、おっかさんに一目会って不幸を詫びて死のう、」

その体ではとても長崎まで歩き通すのは無理なので、廻船問屋できくと、幸い明日の明朝長崎向けの船が江戸橋からでること、船賃は二両であることを知ります。居酒屋をでた正吉は船賃を得るために博奕のことを思い出します。
「もう一度だけだ、今夜っきりでおさらばなんだ、これ一度だけやろう」

しかし、博奕を見張っていた岡っ引きに追われ、黒板塀の家へ忍びこみます。短刀を持ってその家の主人の居間らしき部屋に入ります。その刹那、足をすくわれて転倒しその場で取り押さえられるのです。

「誰か、灯りを持ってこい!泥棒だ!」
「あっ、、おまえは、、、」
「正吉!顔を挙げたらどうだ、」
「あっ、旦那!」
初めて犯す罪で押し入った家がたまたま筑紫屋茂兵衛の家だったのです。