筆者は落語の素人。まったくの後発組である。そのような訳で落語を語るには少々気恥ずかしい気分なのだが、どうしても筆を執りたくなるほど落語の世界は不思議と面白いと感じる一人である。素人の目からみた落語の内側には、人の生き様とかペーソスが充満していて、なんとしてもこうした欄で何かを書きたくなる。
落語の演目にはいろいろなモノが登場する。例を挙げると、名前では八五郎、与太郎、熊五郎、定吉、多助、三太夫、正助、三太夫、お鶴、お菊、などである。動物では犬、猫、狸、鹿、鷺、雀、ウワバミ(大蛇)、馬、魚では鰻、秋刀魚、鯛、白魚、カツオなどである。人に関しては、坊主、花魁、遊女、行商、盲人、間男、盗人、殿様、うつけ、侍、女房、妾、女中、くずや、魚屋、大工、長屋の差配、幇間、按摩、蕎麦屋、ケチ、お人好し、正直者、間抜け、世話好き、粗忽者、ほら吹き、博打好き、大酒飲み、乱暴者、藪医者、などなどきりがない。話題となると、夢、富くじ、大火、火の用心、怪談、幽霊、引っ越し、転失気、道楽、吉原、喧嘩、祭り、敵討ち、天狗、浅草寺、長屋、講中、白洲など多彩である。うつけは空け/虚けとも書く。
おおよそ落語に登場する人物には、名奉行や頓智のある子供などは例外として、真面目で頭の良い者は登場しないことになっている。こうした人物は笑いの対象にはなりにくいようである。江戸時代は士農工商の時。お侍が形の上では幅を利かしていた。町人は小さくなって歩いていた時代だ。そんなこともあってか、大名とか殿様は笑いの対象になっていた。世の中の動きに疎いこともあり、町方は殿様を茶化すのである。
そうしたぽーっとしたうつけ殿様の代表が「目黒の秋刀魚」にでてくる。自分でどうしても蕎麦をを打ちたくて、習ったばかりの蕎麦の作り方を家来に披露する。ところがその蕎麦がとても食せるような代物でない。だが、殿様の打った蕎麦を食べないと打ち首になるという。だから殿様手作りの蕎麦は「手うち蕎麦」というそうだ。
この殿様、目黒への早掛けの際に百姓が庭で焼いていた秋刀魚の味をしめる。ある園遊会があって、殿様は秋刀魚を所望する。ところが出てきた秋刀魚は、ぱさっぱさで香りがしない。おつきの者は、この秋刀魚は房州で獲れた新鮮なものだと説明する。殿様は「やっぱり秋刀魚は目黒に限る」と自慢するのである。武士をおちょくることで庶民は溜飲をさげたにちがいない。