明治政府が外国人を雇い入れた中で多い職業が医師である。西洋医学の採用によって医療技術者を養成しようとしたことは誰もが得心できる。ヘンリー・フォールズ(Henry Faulds)もその一人である。グラスゴー大学(University of Glasgow)で医学を修める。彼は同時に宣教師でもあった。
フォールズはスコットランドから1874年に来日する。彼を送り出したのはスコットランド長老派教会(Scotland Presbyterian Church)である。1875年に楽善会という視覚障害者の訓盲事業団体の設立に加わり、1879年にジョシュア・コンドル(Josiah Conder)が来日後初めて設計した訓盲院を造る。訓盲院はその官立東京盲学校、そして筑波大学附属盲学校へと発展する。
さらに1882年、東京築地に築地病院を開設する。布教とともに医療活動や医学生の養成に当たった。築地病院はその後、聖路加国際病院となる。主としてコレラなどの伝染病の予防や治療に当たったといわれる。
さらに、大森貝塚の発見者であるエドワード・モース(Edward Morse)とともに各地の貝塚の発掘に従事した。そこで、指紋の特徴に気がつきそれが終生変わることのないものであること、指紋によって個人の識別ができることをまとめ、イギリスの科学誌「ネイチャー」に発表する。この研究は警察関係者に特に注目された。その功績を称え1961年に聖路加国際病院の一角に「指紋研究発祥の地 ヘンリー・フォールズ住居跡」記念碑がつくられた。
指紋の研究と実用的な応用ではイギリスでは多くの論争が続いたようである。だが日本では指紋が犯罪の解明に役立つことを早くから知られ応用されてきた。これもフォールズの貢献といえる。