心に残る名曲 その五十 チャイコフスキーと日本人 その二 ロマノフ王朝

チャイコフスキーは、1860年代の革命思想の高揚の時代と、それに続く反動的な悲観的時代に生きた作曲家です。音楽院時代は、ルビンシュタインの家に寄宿し、ルビンシュタインが主宰する芸術家サークルを中心に、作家、詩人、音楽家、俳優、学者らと知遇をえます。彼の作曲の出版を引き受けたのがロシア最大のクラシック音楽の楽譜出版社ユルゲンソン(Pyotr Yurgenson)との出会いも幸いしたといわれます。

交響曲第4番と5番は「宿命」の主題に貫かれながらも、民族的な楽曲の喜びに達したといわれます。第4番の第一楽章(first movement)は暗さのなかにロシアの将来を暗示するかのような劇的が印象を与えてくれます。

晩年のチャイコフスキーは次々と作品を残します。1887年の組曲第4番、1888年の交響曲第4番、1889年の眠れる森の美女、1890年のオペラ、スペードの女王、1892年のくるみ割り人形、1893年の交響曲第6番「悲愴」などです。ロシア革命がひたひたと迫る頃です。