幸せとはなにか」を考える その3 脳腫瘍と闘う友人

友人や家族から送られてくるクリスマスカードやメールでのニュース、そして写真などを見ながら考えることである。それは「幸せとは」とか「生きるとは」ということである。

長男家族からは「今年一年」のアルバムが送られて来た。孫たちの成長する姿が写っている。一緒にスペインはバルセロナを旅した。山深い僧院のMontserratやAntoni GaudiのSagrada Familiaを満喫した。孫娘らとディズニーランドへも一緒に行った。しかし、旅や再会が終わると興奮と寂しさの落差が伝わってくる。夢だったのか、という感慨である。

親しい友人のDr. Carl Selle師からは、脳腫瘍と共に生きるさまが二週間毎に伝えられてくる。留学生への支援と伝道に携わる牧師である。病と向き合う心の動揺と周りの支えに感謝している内容である。無力な存在ながら、医療スタッフや家族の支えによって生かされていることを書いている。一緒にガンと闘う心持ちとなり、こちらが励まされる。

そこで自分の心境にかえるのだが、年金生活をしながら、思い描いていた生活水準が維持できるのかとか、身体の衰えと病、死を予期する精神的な不安などを考えることが多い。年齢を重ねると幸せの度合いが低くなる可能性は理解できる。だが、老年なるほど幸せを感じるのが欧米人だという。30代を底にU字型に幸福度は上がっていくといわれる。不思議である。なぜだろうか。

このような「幸せ」とか「不幸」ということの捉え方の原点はどこにあるのか、それがこのブログの出発点である。

430082_10150619698444731_1578536466_n  Dr. Carl Selle’s Wood Works10487280_10152609442469731_2552620412501102442_n Dr. & Mrs. Carl Selle