旅のエピソード その46 「ニシンと窓口のイチゴ」

私が10歳のときです。「ヘルシンキ・オリンピック」(Helsinki)の様子がラジオや新聞で報道されていました。1952年に開かれた第15回オリンピックです。日本にとっては、敗戦から立ち直りつつある時代です。ヘルシンキはフィンランド(Finland) の首都です。フィンランドのフィンランド語での正式名称はスオミ(Suomi)。語源は「湿地」を意味する「suomaa」です。フィンランドは湖や森に覆われているのでこの語源も頷けます。

このオリンピックでは石井庄八という選手が、レスリングのフリースタイルバンタム級にて戦後初の金メダルをとります。このときの報道はすごかったのを覚えています。もう一つ、当時のチェコスロバキア(Ceskoslovensko)のエミール・ザトペック(Emile Zatopek)という選手が陸上競技で3つの金メダルをとります。その頃、彼は「人間機関車」と呼ばれていました。

私にとっては、ヨーロッパを知ったきっかけはこのオリンピックであり、ザトペックであり、ヘルシンキなのです。どこの街よりも思い出に残る地名です。そして、1995年頃学会の発表でこの街を訪れることになりました。ダウンタウンにある小さなホテルを宿にしました。丁度7月で白夜でした。午後11時になっても、外では若者がサッカーをするのが見えました。

宿の朝食にはニシンのマリネが並んでいます。稚内の生活時代、ニシンは飽きるほど食べていましたが、その後ニシンはぷっつりと獲れなくなり、長い間食べていませんでした。懐かしくて毎食マリネをたらふくいただきました。

ヘルシンキでは学校や障害者施設を訪ねました。どこへ行っても受付のカウンターにはイチゴがバスケットに盛られています。もちろん訪問者をもてなすためです。市場では山のように並べられたイチゴが売られています。イチゴがこんなに採れるものとは知りませんでした。フィンランドの豊かさの一端を味わったときです。今や通信設備メーカーのノキア (Nokia)や航空会社のフィンエア(Finnair)が国の代名詞になっているようですが、豊かな教育や福祉の水準もそれに劣りません。この国の豊かさは、バスケットに盛られたイチゴにあるのではないかと感じるくらいです。