囲碁にまつわる言葉 その16 【真田昌幸】

平成3年碁老連囲碁大会では、「参加申し込み者は135名に過ぎなかった」とあります。当初は150名から160名を期待していたようです。今の八碁連の大会の参加者数からすればたいした参加者数です。「碁老連顧問会」とか「碁老連研修会」が開かれています。特に、研修会は技術指導員の資質と力量を高めるのが趣旨だったようです。

—–【真田昌幸】——– 

   真田昌幸


戦国武将は好んで囲碁をたしなんでいたことが記録されています。戦に備えて碁を打ち、英気を養い作戦を考えていたに違いありません。真田昌幸のその一人です。NHK大河ドラマ「真田丸」では昌幸の息子、信繁(幸村)が主人公でした。この二人の囲碁対局のシーンがよく登場したのは記憶に新しいところです。

真田昌幸は、「第一級の武将」「理性に富んだ武将」と讃えられることが多く、戦では「勝つ戦略よりも負けない戦略」を信条としたと伝えられています。策略に長けていたともいわれます。昌幸は、元々は武田信玄の側仕えである近習の一人です。昌幸には信繁の他に信之という息子がいました。関ケ原での合戦が近くなると、東軍につくか西軍につくかを選ぶ時、真田の家を絶やさぬため、信之には徳川方、信繁には豊臣方につくようにさせたという逸話があります。犬伏の地で行われたので「犬伏の別れ」といわれています。