果たし合いや決闘をとおして和解や友情を描くのが山本の一つの作風のように思われます。「橋の下」もそうです。
練馬場に一人の若侍がやってきます。白装束のいでたちで、目鼻立ちのきりっとして年は二十四、五歳くらいです。寒さが厳しい朝です。近くに伊鹿野川が流れていて、土合橋が架かっています。侍は橋のあたりに焚き火を見つけます。
暖を求めて近寄ると老夫婦が焚き火に鍋をかけています。城下では夫婦乞食と呼ばれています。身なりはさっぱりして、道ばたで物乞いはしません。銭にも決して手をだしません。筵を取り出して石垣と橋桁の間に三尺ほどの隙間があり、そこが寝場所のようです。二、三の包みが見えます。刀の柄もみえます。
刀を見て侍は老人に訊ねます。
「さよう、私はもと侍で、国許は申しかねるが、、、」
「私まで八代続いた家柄だそうで、その藩主に仕えてから四代になり身分も上位のほうでした」
老人は若侍に粗茶を差し出しながら、語り始めます。四十年前に一人の娘のために親しい友を斬ってその娘と出奔したというのです。
父は病死したあと、縁談が二十一歳のとき、その娘を嫁にと望みます。
「彼女の年は十七歳。当人も私の妻となることを承知していました」
娘の親は、仲人に「せっかくであるが娘にはもう婚約した相手がいる」と云います。
「その相手の名を訊ねると友達でありました」
「友達は婚約したことを認め、私はかっとなりました」
「彼は幼い頃から私と娘のことをよく知っていました」
「娘の親に、ぜひと懇望されたと云います」
「私と娘のことを知っている以上、断るのが当然ではないか、そう詰問し、私はそこで彼に果たし合いを申し込みました」
「介添えもない二人だけの決闘です」
「私は初太刀で彼の方を斬り、二太刀で腰を存分に斬ります」
友達は云いました。
「人の来ないうちに医者をよんできてくれ、早く!」
「刀にぬぐいをかけるとそこを去り、娘を呼び出して始終を話し、そのまま二人で城下を出奔しました」
「僅かばかりの金を持ってだけで、すくに窮迫しました」
「ですが自分たちは恋に勝ったという喜びと若い頃の無分別さとで、ただもうその日その日を夢中ですごしておりました」
「友達を憎むことが、いっとき私どもの愛情をかきたてたようでした」
「この橋の下には人間の生活はありません」
「ここから見る景色は、恋もあやまちも、誇りや怒りや、悲しみや苦しみさえも、いいものにみえます」
老人は頭を垂れ、垂れた頭を左へ右へゆり動かします。「ただひとつの思い出すたびに心が痛むのはあの果たし合いで、友を斬ったことです」
「あやまちのない人生というのは味気ないものです」
「心になんの傷ももたない人間がつまらないように、生きている以上、つまずいたり転んだり、失敗を繰り返したりするのがしぜんです」
「私が果たし合いを挑んだ気持ちはのっぴきならぬと思い詰めたからのようです」
「私が斬った友達はその後出世したようです」
「私には嫉む気持ちも、特に祝う気持ちはありません」
若侍は老人の眼をみつめます。礼を述べて岸の上にあがります。そして練馬場のほうへ歩き出します。
「もう刻限だろう、」「まだ来ていないようだな、」
一人の侍が土塀をまわって大股で寄ってきます。下は白支度で手早く刀の下緒を外します。
「おーい、待ってくれ!」
「話すことがある、待ってくれ!」
彼は相手のところに駈けより、右の脇に抱えた両刀をみせながらなにか云います。彼は熱心に話ししていくと、相手のきびしい顔つきがほぐれていきます。