アメリカ合衆国とニックネームの由来 その38 The Beaver State

北海道大学時代に札幌の姉妹都市が、オレゴン州(State of Oregon)のポートランドであることを知ったのがこの州との出会です。オレゴン州といえばオレゴン街道(Oregon Trail)も知られています。州都はセーレム(Salem) 。最大の都市はポートランド(Portland)です。

太平洋岸にそったPacific Coast Rangesとカスケード山脈(Cascade Range)の間の平野に人口の9割が住み、そこに広がるウィラメットバレー(Willamette Valley)は農業が盛んです。フランスのボルドー(Bordeaux)地方とほぼ同じように葡萄の栽培に適した平野となっています。

1840年代に「オレゴン街道」を通って多くの植民がオレゴンに入植します。オレゴン街道はミズリー州(Missouri)のインデペンデンス(Independence)から大平原(Great Plains)、ロッキー山脈(Rocky Mountains)を越える路で全長3,200キロの行程です。移住には4か月から6か月かかったといわれます。途中にはララミー砦(Fort Laramie)やサウスパス(South Pass)といった重要な通過点がありました。 幌馬車隊の組み方、野営の方法、食料や飼料の補給、インディアンとの遭遇と対応などの経験がその後の移住を助けたといわれます。

Wikipediaによると、豊かな森林はレッドウッド(red wood)、トウヒ(spruce)、ダグラスモニ(douglas fir)などで覆われています。こうした資源により、製材、パルプ、合板、家具製造などが産業の中心です。ニックネームが示唆するように森林資源とビーバー(beaver)は切り離せないようです。19世紀初頭、ビーバーの毛皮帽子がたいそう流行したことがこのニックネームにつながったとあります。オレゴン内の河川には多くのビーバーが今も生息しています。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その37 The Sooner State

オクラホマ州(The State of Oklahoma)の州都で最大の都市はオクラホマシティ(Oklahoma City)です。名前の由来ですが、チョクト(Choctaw)インディアン語で「赤いーhumma, 人々ーokla」を意味します。この部族はミシシッピ川河口域に住んでいた農耕民族といわれます。

1803年にルイジアナ(Louisiana)購入の一部としてフランス領からアメリカ領となります。州の西部は大平原(Great Plaine)でアーカンソー川(Arkansas River)とレッド川(Red River)流域の平野、オザーク高原(Ozarks Mountain)が広がり、経済の中心となる農牧業が盛んです。小麦の生産は全米第二位、その他の産物として綿花、トウモロコシ、ピーナッツ、豆類が中心です。

1820年代以降、主要なインディアン部族はオクラホマの南部に移住させられます。次第に白人の投機家がやってきます。1899年に白人の入植が許可される直前に、「スーナ」(sooners)と呼ばれる抜け駆けの移住者が殺到し土地を占有していきます。こうした有様を形容して、オクラホマ州のニックネームは「The Sooner State」となります。

1930年代、南部を襲った大干ばつと砂嵐(Dust Bowl)により大量の農民や先住民がオクラホマからカリフォルニアに移住します。こうした人々は「Okies」と呼ばれました。その数、100万を越えたとあります。1939年にその姿を描いた小説がジョン・スタインベック(John Steinbeck)の「怒りの葡萄(The Grapes of Wrath)」です。機械化農法を導入する資本家と土値を追われ、カリフォルニアに移住した貧窮農民集団との軋轢闘争が素材となっています。小説の主人公はトム・ジョード(Tom Joad)は正義感にあふれ、不公正な社会に疑問を持つのです。スタインベックの祖父は多くの農地を所有したドイツ系移民です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その36 The Buckeye State

オハイオ州(The State of Ohio)の 「Ohio」とは、インディアンのイロコイ族(Iroquois)の言語で、「美しい川」ないしは「偉大な川」という意味です。 イロコイ族が使っていた「ohi-yo」から派生したといわれます。この川はオハイオ川(Ohio River)のこと。オハイオ州はこの川とエリー湖(Lake Erie)との間に囲まれています。州都はコロンバス(Columbus)です。

これまで8人のオハイオ州出身が合衆国大統領となっています。ウィリアム・ハリソン(William Harrison)、ユリシーズ・グラント(Ulysses Grant)、ラザフォード・ヘイズ (Rutherford Hayes) 、ジェームズ・ガーフィールド(James Garfield)、ベンジャミン・ハリソン(Benjamin Harrison)、ウィリアム・マッキンリー(William McKinley)、ウィリアム・タフト(William Taft)、そしてウオレン・ハーディング(Warren Harding)です。グラントは浜離宮恩賜庭園で明治天皇に謁見したことがあります。1964年以降の大統領選挙では、オハイオ州で勝利した候補が大統領に当選しています。「オハイオ州を制するものが大統領選を制す」といういわれる所以です。ついでながら、1872年に最初の女性大統領候補になったのがオハイオ州から出馬したヴィクトリア・ウッダル(Victoria Woodhull)です。

オハイオは全米有数の工業州で、クリーブランド(Cleveland)、ヤングスタウン(Youngstown)の他、自動車用ガラスのオレド(Tredo)、自動車用タイヤのアクロン(Acron)がその中心です。プロクター・アンド・ギャンブル(Procter & Gamble)やグッドイヤー(Goodyear) の本社があります。オハイオ州は農業も盛んです。トウモロコシの生産は全米三位で大豆の栽培でも知られています。

州のニックネームは「Buckeye State」。「Buckeye」とは州内で豊富に繁茂し灰色の樹皮を持つトチノキのことです。もう一つのフレーズに「大統領を生んだ母」(Mother of Presidents)というがあります。前述した大統領を輩出したことを形容した言い回しです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その35  The Peace Garden State

ノースダコタ州(State of North Dakota)は北はカナダ連邦のサスカチュワン州(Province of Saskatchewan)およびマニトバ州(Province of Manitoba)、西はモンタナ州(Montana)と、南はサウスダコタ州(South Dakota)と接し、東はミネソタ州(Minnesota)に接しています。州都はビスマーク(Bismarck)で、人口最大の都市はファーゴ(Fargo)となっています。「Dakota」という名称は、 アメリカ・インディアンのダコタ族が使っていた「仲間」の意味に由来します。

ノースダコタ州で原油の生産が開始されて60年余りといわれます。しかしバッケンエリア(Bakken area)のオイルシェールブーム(Bakken Oil Shale Boom)により国内有数の陸上産油地域となって、同州が米国第 4 位の石油産出州に浮上します。この間、わずか10年あまりのことでです。バッケンシェールオイル層(Bakken Shale Oil Layer)とその下部のシェールオイル層は、サスカチュワン州、マニトバ州、そしてモンタナ州、サウスダコタ州、ノースダコタ州を取り囲むように存在しているといわれます。掘削量の増大には、水平坑掘削技術や水圧破砕法などの技術革新が貢献しているようです。

オイルシェール田の開発はノーダコタの経済に大きく貢献していますが、ノースダコタ州は伝統的に複数の作物の生産で全国の首位に立っています。小麦は全米の58%、および硬質赤色の春小麦は全米の48%、各種小麦を合わせた量では全米の15%を占めるほどです。キャノーラ油で知られる菜種、大豆、ヒマワリなどの栽培も盛んです。

州のニックネームである「Peace Garden State」の由来です。長年、隣のマニトバ州との間で友好的な関係を維持しています。1932年に「International Peace Garden」がマニトバ州境に建設されたことからこのニックネームが採用されたとあります。他のニックネームとして「The Flickertail State」というのもあります。リスが多く生息しているか                     らです。「Flickertail」とはひらひらと持ち上がった尻尾という意味です。

上の建物はスカンディナヴィア歴史遺産公園にあるノールウェイの代表的な建物です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その34 The Tar Heel State

ビジネス以外の日本人には少々馴染みの少ない州かもれしません。しかし、アメリカで非常に活気ある州がノースカロライナ州(The State of North Carolina)です。州都はラレイ(Raleig)、最大都市はシャーロット(Charlotte)です。1584年エリザベス1世が探検家ウォルター・ラレイ卿(Sir Walter Raleig)に現在のノースカロライナの土地の特許を与えます。州都名の由来となります。

1663年に国王チャールズ2世(Charles II)が、植民してきたイギリス人に北アメリカ大陸における新しい植民地を始めるための土地勅許を与えたことが、ノースカロライナの領域を定めた出来事です。チャールズ2世はその地を父のチャールズ1世の栄誉を称えて「カロライナ」と命名したとあります。

ノースカロライナ州は、過去50年間で農林業からバイオテクノロジーや金融分野など多様な経済に転換してきました。科学技術、研究調査、及び銀行業は特に合衆国でニューヨークに続き2番目に大きな金融センターとして地位を築いたのがシャーロットです。さらにラレイ、ダーム(Durham)、チャペルヒル(Chapel Hill)の三都市を中心にリサーチ・トライアングル(Research Triangle)地区を形成し、経済的に大躍進を遂げます。デューク大学(Duke University)、ノースカロライナ大学(University of North Carolina at Chapel Hill)、ノースカロライナ州立大学(North Carolina State University)の三つの大学と数十の民間や公営の研究機関からなる研究学園都市を形成しています。

ノースカロライナ州の農業生産品は家禽及び鶏卵、牛、タバコ、豚、牛乳、苗床、葡萄、並びに大豆などです。タバコの生産量は全米一となっています。ノースカロライナ州で忘れてはならないのがライセンスプレートに記される「First in Flight」のいわれです。1903年12月にノースカロライナ州のキルデビルヒルズ (Kill Devil Hills)でライト兄弟(Wilbur Wright and Orville Wright)が最初の飛行機を飛ばしたのです。

終わりになりましたがノースカロライナ州のニックネーム「Tar Heel State」について触れることにします。「Tar」とはタール、 「Heel」はかかとという単語です。ノースカロライナ州は松の木が豊富に獲れるところです。タールやテレピン油といったネバネバした液がでます。これがかつて大量に輸出された経緯があります。特に海軍からの発注が多かったといわれます。南北戦争の際、南軍兵士は連邦軍に対峙してかかとにタールが塗ってあるように、一歩も引くことがなかったという伝説です。これが「Tar Heel」を広めることになったようです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その33 The Empire State

1609年にイギリスの探検家、ヘンリー・ハドソン(Henry Hudson)が大西洋を渡り、今のハドソン川(Hudson River)として命名されます。もともとニューヨーク(New York)はオランダの植民地です。ニュー・ネーデルランド(New Netherland)となります。さらに1624年にオランダの西インド会社が今のマンハッタン島(Manhattan)にいた先住民族のアルゴンキン族(Algonquian)から同島を購入し、ニュー・アムステルダム(New Amsterdam)と名付けます。これがヨーロッパからの移民が定住する出来事です。1664年にイギリスは艦隊を派遣し、ニュー・ネーデルランドを無血占領して、北イングランドのヨーク公(Duke of York)にちなんでNew Yorkと名付けます。

ニューヨーク州の現在です。ニューヨーク市や五大湖沿岸の工業都市と中心とする商業、金融、保険、通信、輸送、公営事業、建設業、製造業など全米でも占める比重は大きいものがあります。ですが農業もまた肥沃な土壌と発達した交通機関、広大な市場に近い条件に恵まれていて、古くから農業州としても知られています。農業収入で酪農による所得が最も多く、州全体の収益の二分の一を占めています。次いで家畜、鶏卵などの畜産物、果実、野菜なも重要な産物となっています。

ニューヨーク市のことです。今は世界的な大都市として発展しています。発展の理由は文化的、人種的な多様性もさることながら、恵まれた自然条件にあるようです。古生代の岩盤のゆえに高層建築を可能としています。セントラルパーク(Central Park)には多くの岩盤が露出しています。さらにハドソン川は河口から200キロ上流まで川幅や深さが変わらないために、外洋船が遡行できる港湾都市となっています。

ニューヨーク州のニックネームは「The Empire State」となっています。少々いかつい印象を受けますが金融などで世界の中心ですから仕方ないですね。「The Excelsior State」という名もあります。「向上し続ける州」という意味です。「Knickerbocker State」というニックネームもついています。「Knickerbocker」とは「オランダ系移民の子孫」という意味だそうです。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その32  The Land of Enchantment

「魅了してやまない州」(The Land of Enchantment)というニックネームを持つのがニューメキシコ州(State of New Mexico)です。美しい風景や由緒ある歴史を意味し、この名称は1999年に議会によって正式に認証されます。

1608年頃、ロッキー山脈(Rocky Mountains)の南端にある支脈サングレ・デ・クリスト山脈(Sangre de Cristo Mountains)の麓にサンタフェ(Santa Fe)の町が設立されます。この町は地域内の開拓地の大半とともに、プエブロの反乱(Pueblo Revolt)の結果として、12年間スペインから見放されます。

その後、プエブロ(Pueblo)の指導者ポペ(Pope)の死後、ディエゴ・デ・バルガス(Diego de Vargas)がこの地域をスペインの支配下に戻します。サンタフェが交易の中心として発展する一方で、戻ってきた開拓者が1706年に既にあった周辺集落からアルバカーキ(Albuquerque)をつくります。アルバカーキという名前はヌエバ・エスパーニャの副王第10代アルバカーキ公爵(10th Duke of Alburquerque)フランシスコ・フェルナンデス・デ・ラ・クエバ(Francisco Fernández de la Cueva)にちなんで名付けられたものです。

ニューメキシコ州は、インディアンとスペイン系の植民者とラテンアメリカからの移民を合わせたヒスパニック(Hispanic)系の人口の最も多い州といわれます。また、ナバホ族(Navajo)やアパッチ族(Apache)、プエブロ族など「インディアン」として連邦認定されたインディアンたちの居留地が存在しインディアンの総人口に対する比率が高いことで知られています。

州都はサンタフェ、最大の都市はアルバカーキです。州北部のロスアラモス(Los Alamos)には、マンハッタン計画(Manhattan Project)で知られるロスアラモス国立研究所(Los Alamos National Laboratory)があります。物理学を専攻していた長男らとアルバカーキで会い、この国立研究所を見学したことがあります。院生らとも行ったのは1998年頃です。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その31 The Garden State

ニュージャージー州(State of New Jersey)の州都はトレントン(Trenton)で、最大の都市はニューアーク(New Ark)です。北大西洋岸に位置し、ニューヨークやフィラデルフィア(Philadelphia)大都市圏に近いのが特徴です。もともとイギリスから最初に独立した13州のうちの1つであり、州名はイギリス海峡に位置するチャンネル諸島Channel Islands)のジャージー島(Jersey Island)に由来するといわれます。

最初にニュージャージー地に足を踏み入れたのは故国イングランドを追われ、新大陸にやってきたクエーカー教徒(Quakers)です。教徒たちは1679年に植民地を建設します。1719年、町は周辺の大地主であったウィリアム・トレント(William Trent)で、その名から後にTrentonと命名されたとあります。クエーカー教徒の他に、ニューイングランドの福音主義者達、スコットランドの長老派教会員(Presbyterian)やオランダ改革派教会員(Dutch Reformed Christians)など多様な宗派が入植したのがニュージャージー州です。

北東部はゲイトウェイ地域(Gateway Areas)と呼ばれ、住人の多くがニューヨーク市(City of New York)に通勤しています。ニュージャージー州とニューヨーク市は多くの橋やトンネルで繋がれているからです。なかでもハドソン川(Hudson River)に架かる吊り橋のジョージ・ワシントン・ブリッジ(George Washington Bridge)は一日30万台の車が通る世界で最も忙しい橋といわれます。

発明家トマス・エジソン(Thomas Edison)はニュージャージー州で活躍した発明家です。ウエストオレンジ(West Orange)という街に研究所を有し1,093の特許を取得します。アメリカの産業革命にも影響を与えた稀有の発明家といえましょう。

「Garden State」というニックネームはニューヨークなどの大都市に野菜等を供給する農場を有していることから命名されたといわれます。

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その30 The Granite State

ニューハンプシャー州(State of New Hampshire)はかつてイギリスの13の植民地の一つでありました。1623年にイギリス人がポーツマス(Portsmouth)近辺に漁業と交易のため入植し、 1641年マサチューセッツ湾植民地に編入し、1679年にイギリス王領植民地となります。

ニューハンプシャーは1776年1月にイギリスと訣別したイギリス領北アメリカ植民地として最初のものとなり、その6か月後には独立宣言を発して、アメリカ合衆国を構成した植民地の1つとなります。州都はコンコード市(Concord)で最大の都市はマンチェスター(Manchester)です。州のモットーは「自由よ、さらば死を。(”Live Free or Die”)」で、自動車のライセンスプレートにも表示されているフレーズです。

州域には花崗岩が広く分布しています。これがニックネームの由来です。氷食を受けた古期アパラチア山系の一部で,約 1,300の湖沼があり,平均海抜高度は約300mという平野がひろがります。

ヨーロッパ人が入ってくる以前、アルゴンキン語族の様々な部族、例えばアベナキ族(Abenaki,)、ペナコック族(Pennacook)などが住んでいいました。1600年から1605年にイングランド人やフランス人の探検家が訪れ、1623年にはイングランド人漁師がオディオーンズポイント(Odiorne’s Point) に入植します。最初の恒久的な開拓地は、現在のドーバー市(Dover)であるヒルトンズポイント(Hills Point)でした。

1905年8月、合衆国大統領セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt)の仲介により、ポーツマス(Portsmouth)の海軍造船所内で講和会議が開かれ、ポーツマス条約(Treaty of Portsmouth)が同年年9月5日に調印されます。この町の近くに長男の嫁の両親が住んでいたので、ポーツマス市内の小さな博物館で日本の全権大使である小村寿太郎やロシアの大使ウィッテ(Sergei Yuljevich Witte)の写真などを見たことがあります。この博物館にはポーツマス条約の展示物が沢山あります

アメリカ合衆国とニックネームの由来 その29 The Silver State

1950年代、新聞やラジオで盛んに原爆実験が報道されていました。これが私がネバダ州(The State of Nevada)を知ったきっかけです。ラスベガス市の北西にあるネバダ核実験場(Nevada Test Site)で、地下実験を含める928回も行われたというのです。1954年3月に太平洋上マーシャル諸島(Marshall Islands)ビキニ環礁(Bikini Atoll)での水爆実験で、マグロ漁船の第五福竜丸が死の灰を浴びました。無線長の久保山愛吉氏が亡くなり大きな社会問題となりました。

ネバダ州とは、近くにあるシエラネバダ山脈(Sierra Nevada)からつけられます。「Sierra Nevada」とはスペイン語で「雪に覆われた山脈」を意味するといわれます。辞書には「Sierra」とはのこぎり状の山脈とあります。ネバダ州都はカーソンシティ市(Carson City)です。

最大の都市はラスベガス(Las Vegas)となっています。「Vega」とはスペイン語で「沖積平野 」を意味するとありますが、ラスベガスが不毛の地のように感じるのですが、、、主産業は合法化されたカジノ(casino)を代表とする娯楽産業と鉱業となっています。

ネバダ州のニックネームは「銀の州」(The Silver State)とあるように、昔からこの州は鉱業で発展した経緯があります。1859年に同州のバージニア・シティー(Virginia City)で最初の銀鉱石の大規模埋蔵が確認されると大勢の人々が発掘に従事します。坑夫の大半はコーンウォール人(Cornish)かアイルランド人(Irish)であったといわれます。

ネバダ州のニックネームは、ほかに「戦闘が生んだ州」(Battle Born State)があります。1864年の南北戦争でネバダ州は北軍と呼ばれた「連合軍」(Union)に加わったことからBattle Born Stateという名がつけられたようです。もう一つのニックネームとして不毛地に育つ植物「セージブラシュ」(Sagebrush)にちなんで「セージブラシュの州」(The Sagebrush State)というのもあります。