懐かしのキネマ その70 【ドクトル・ジバゴ】

『ドクトル・ジバゴ』(Doctor Zhivago)は、1917年のロシア革命(Russian Revolution)の前後における人間ドラマです。1965年にアメリカとイタリアで製作されます。監督は「戦場に架ける橋」や「アラビアのロレンス」のメガホンをとったデヴィッド・リーン(David Lean)。出演はオマー・シャリフ(Omar Sharif)とジュリー・クリスティ (Julie Christie)です。 原作はロシアの作家、ボリス・パステルナーク (Boris Pasternak)による大河小説『ドクトル・ジバゴ』です。

19世紀末の帝政ロシア。ユーリー・ジバゴ (Yuri Zhiivago)は、医学の勉強を続けるかたわら、詩人としても知られるようになります。幼い頃両親を失い、科学者グロメーコ (Gromeko)にひきとられた彼は、その家の娘トーニャ (Tanya Komarova)を愛していました。2人の婚約発表のパーティーの日、近所の仕立屋の娘ラーラ(Lala)は、弁護士コマロフスキー (Victor Komarovsky) の誘惑から逃れるため、彼に発砲するという事件を起こします。彼女は帝政打倒の革命に情熱をもやす学生パーシャ (Pasha) を愛していました。

Lala and Yuri

1914年、ロシアは第1次大戦に突入し、ジバゴは医師として従軍します。野戦病院で看護婦として働らくラーラに再会した彼は、彼女がすでにパーシャと結婚したのを知り、自分もまた家庭を持っていたのですが、ラーラへの愛を捨てることができなくなります。それにパーシャは戦死したとの報告も入っていました。その頃ロシアは内戦が激しくなり、ジバゴはモスクワの家族のもとへ帰ります。革命軍の手に落ちたモスクワ(Moscow)は、飢えと物資の不足にあえいでいました。

Lala

ジバゴが、革命軍のリーダーで義兄のエフグラフ (Yevgraf)に初めて会います。義兄の勧めもあって、田舎で休養することにした彼は、旅の途中で白軍のスパイと間違えられ、赤軍の将校に尋問されます。この将校は、戦死と報じられていたパーシャでした。パーシャはすっかり変わり、革命へ邁進する男になっていました。ジバゴは、ラーラとの愛も再燃し幸せの日を田舎ですごしていました。ある日突然、彼はパルチザンの一隊にとらえられます。妻に2人目の子供が生まれると知り、ラーラと別れる決心をした直後のことでした。しかし彼は脱走し、ラーラのもとに帰りますが、2人の関係を知った妻が、子どもをつれて、パリに亡命したと告げられます。今や亡命者の夫となったジバゴと、すでに追放の身となっていたパーシャの妻ラーラの前に、コマロフスキーが現れます。彼は2人に危険がせまっていると再三話し、ついに身重のラーラをつれて極東に去ります。8年後、ジバゴはモスクワの市街電車の中でラーラを見かけ必死に追うのですが、長らく患っていた心臓発作で倒れます。

何年かが過ぎます。ジバゴの義兄エフグラフはダムの建築現場で働く若い娘に出会います。彼女は、ジバゴとラーラの間にできた私生児です。彼は両親のことを若い娘に話してきかせ、ジバゴの詩集を贈りこう言いいます。「彼の仕事は党には容れられなかったが、詩を愛する人は彼を忘れない。彼ほど詩を愛した者はいなかった」と。