英語あれこれ その20 対話の技巧

対話はいうまでもなく、相手とのやりとり。そこで勧めしたいのは、相手とのやりとりを最低5回くらい続けることである。やりとりとは「ターン」ともいわれる。ターンには、相手に逆に質問することも含まれる。「あなたの質問の意味がわからないので、別の表現で説明して」というリクエストも含まれる。

対話でのタブーは「I don’t know.」という発言だ。これは「自分には関心がない」と同じこと。I don’t know.で終わればそれで対話は終了。それ以降は相手にしてくれない。「I don’t know about it, but I know ,,,,,,,,,,,,」というように関連した話題にもっていくこと、つまり相手を自分のペースに引きづり込むことが大事である。「お前はどう思うか?」と相手の回答を求めることがターンを増やし、対話を深めることにつながる。

外国人は、会話の中でしばしば「I mean,,,」「Let’s see,,,」というフレーズを使う。これは、「それは、、つまり、、」とか「たとえば、、」という対話のつなぎのようなフレーズである。「、、、、because」という表現もそうだ。相手は理由を説明したり、こちらの意図を知りたいのである。これは文章を繋ぐ「修辞(rhetoric)」といわれるものである。別の言い方をすることによって相手の質問に答えられるようになると、対話が充実するのは請け合いである。

修辞となる単語を使い、対話を引き延ばしていくこと、結果として話題が広がり対話が深まるのである。対話の上達の秘訣は決して難しいものではない。

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英語あれこれ その19 語学力をいかに高めるか

外国語の理解には、その国の文化や政治についての基礎知識が必ず必要である。こうした知識や未知の話題に対する好奇心によって対話が成立する。「安倍首相の人気はどこにあるか?」と尋ねられたとする。「英語ができるから」、「彼の政治スタイルは外国人に理解しやすいから」、「親米主義だから、、」。こんな説明では、この者は安倍を知らんな、と相手はすぐ感じる。

「中国や韓国には領海や領土問題で妥協しない姿勢だから」、「女性の社会進出に積極的な政策を打ち出している、、」。こうした答えには相手は納得するはずだ。対話をするには、話題をある程度まで煮詰めた知識があること、これが第一の対話の条件である。

次に要求されるのは、話題の内容を理解し説明できる語彙や単語を力を持っていることである。先ほどの例では難しい単語が必要な場合もあるが、会話のレベルでは専門用語を知らなくても結構対話は成立する。話題の内容を知っていて、普段からなにがしかのことを考え、意見を持ちあわせていると文章はつくれる。

専門家はその筋の話題については難しい用語を使うのは当然だが、我々にはそこまで要求されない。むしろ、「家族や友だちにそのことを研究している者がいる」、「日本でも話題となっている、その理由は、しかじか、、」くらいが説明できればよい。中学や高校の英語力で対話ができるのは間違いない。自信を持つことだ。

ネット上でのBBC、USA TODAYなどのニュースに毎日目を通すことも大事だ。新しい知識を身につけると同時に、世の中の動きに疑問を持つことがもっと大切である。不可解なこと、理不尽なこと、いくらでもある。英語力とは実は、こうした物事への好奇心の高まりと相まってつくものである。「語学を学ぶ」と同時に「語学で学ぶ」という姿勢も大事にしたい。

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英語あれこれ その18 沈黙はNo Good

外国人と会話すると、「これでもか、これでもか、」としゃべってくる。なにか、彼らは絶えずしゃべることによって、心理的な安定を得ているのではないかと思われるふしがある。沈黙は苦手なようだ。KYは通じない。

「物言えば唇寒し秋の風」と芭蕉は歌う。寒い地方の人の口は重たい、いわれるが北海道育ちの筆者には頷ける。古代ヨーロッパでは、金よりも銀が珍重された時代がある。「雄弁は銀、沈黙は金」。だが雄弁のほうが沈黙に勝ると思うのである。

関西では「口では大阪の城も建つ」、「金も出すが口も出す」という言い方もある。ときに「口は災いの元」となることもあるだろう。おもろくないことを語るよりは黙っていた方がいいだろう、コミニュケーションは語り合うことで成立。粋な話題の一つや二つで関西人と関東人の会話も盛り上がる。今は、「祇園祭」の真っ最中だが、落語にもこの演目がある。橘家圓太郎のはええ。

友達でも知人でも会話を交わすには、話題が必要なことは誰でも知っている。話題がないときまずい沈黙が漂う。会話のきっかけとして、家族のこと、趣味のこと、仕事のこと、食べ物こと、故郷のこと、などが会話のきっかけとなる。外国人の場合はなおさら、どの話題を引き合いにするかが大事だ。外国人との会話のきっかけとして「日本の印象はどうか」ではありきたり過ぎる。

日本の印象、ということでは対話はすぐ途切れる。そして沈黙がすぐやってくる。そこで提案だが、「日本で食べたもので一番苦手の料理はなにか」これが一押しの話題だ。どうして美味しくなかったのか、どんな味がしたのか、どうしてレシピが口に合わなかったのか、などで会話が続く。食の話題は文化にも及び、会話に花が咲くのは万国共通である。

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英語あれこれ その17 松本 亨氏

筆者にはいろいろな先輩がいる。その一人が松本亨氏である。1913年、網走郡美幌町生まれ。筆者も1945年に、樺太から命からがら引き揚げてきたのが美幌なのである。美幌に小学校5年まで暮らした。そのような訳で彼は育った故郷の大先輩ということになる。

松本は、戦前14年もの間アメリカで神学を勉強したり英語教育を勉強した経歴がある。戦時中は日本人が拘留されていた敵性捕虜収容所で生活した経験もある。戦後はコロンビア大学から教育学博士号を授与され、その後明治学院大学、日本女子大学、フェリス女子学院大学にて教鞭をとったときく。

日本の英語会話の草分けとなったNHKラジオの「英語会話」の講師を22年間努めた。「英語会話」はラジオから幾度となくきいた。テレビがない時代であった。その独特な太い声と発音にはしびれたものである。

氏の著作には次のようにある。「英語教育の基本は “Think in English” ということばにある。英語を話すとき、聞く時、読み書きする時に、日本語に訳しながら話そうとしても素早く対応できないし、そもそも不自然な英語になる。」

日本語で考えてそれを英訳するとどうしても関係代名詞はどうか、話法はどうするか、現在完了形はどうか、などと英文法が頭に浮かぶ。そうこうしているうちに、相手の質問の内容や話すべき主題が吹っ飛んで頭は真っ白になる。

“Think in English”とは英語を最終目的にしないということだろう。我々は英語屋になることではない。コミュニケーションをする人間になりたいのだ。英語を使って何をやるのかということである。

松本の「英語会話」は、筆者が英語に興味を持つことになった原点である。

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英語あれこれ その16 Southern American English

1978年、アメリカは南部ジョージア州(Georgia) のステイトバロ(Stateboro)という小さな街に家族と出向いた。国際ロータリークラブから奨学金を頂戴し、小さな州立の単科大学で2か月の集中的な英語研修を受けるためであった。ウィスコンシン大学での研究に備えてである。ジョージア州を含む近隣はアメリカ深南部(Deep South)と呼ばれるところだ。

そうこうするうちに、周りの人々の発音に独特な響きがあることに気がついた。一度留学生と一緒に地元のたばこ市場を見学に出かけた。セリをやっていたのだが、しゃべっているかけ声の意味が全く分からない。それが南部英語(Southern American English)の訛りであることを知った。

丁度、ジェイムス・カーター(James E. Carter)が第39代大統領に就任した翌年であった。テレビも新聞雑誌もカーター大統領のことをいろいろと報じていた。彼の演説だがなんとなく単語を引っ張るような独特のアクセントなのである。その発音を「drawl」と呼ぶことを知った。Drawlは和訳しにくい単語だ。南部訛りとでもしておく。

Drawlとは、鼻にかかり、ゆっくり、少々重々しく単語を引っ張るような特徴なのである。しかも、なんとなく気だるく、気が抜けたような感じでもある。「鈍くてなまくらな調子だ」と揶揄する記事を読んだことがある。

こうした南部訛りの英語は、もともと17世紀から18世紀にかけてイギリスからの移民が持ち込んだものといわれる。アイルランド(Irland)の北東部に位置するアルスター(Ulster)地方とかスコットランド(Scotland)の南部から移住してきた人々の訛りだといわれる。大恐慌後や第二次大戦後、アメリカ大陸の南部にこうした移民が定住し、drawlも広まった。

南部訛りの英語は、聞き馴れれば暖かい響きがある。張りのある東海岸の発音と違い、心地よさが感じられる。たった2か月であったが、南部のもてなし”Southern Hospitality”も家族と十分楽しむことができた。

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英語あれこれ その15 ピディン・イングリッシュ(Pidgin English)

ヘブル語などの古典語から離れた話題である。自分は英語を勉強する過程でいろいろ苦い経験をし、冷や汗をかいてきた。それが今は良薬となったと断言できる。今回は語学を習得するときの心構えである。

ハワイの話だ。ハワイ流ブロークンな英語と標準英語を混ぜたのが、俗にいう「ピディン・イングリッシュ」(Pidgin English)。ハワイの人も会話が好きだ。訛りがあって郷土色がぷんぷんする暖かさが伝わる。

インド人の英語もピディン・イングリッシュと呼んで冷やかすことがある。独特の表現や機関銃のように速い発音は真似ができない。同時に、なにかを伝えようとする気持ちも伝わる。その気迫にはこちらがタジタジとなる位だ。恥も外聞もない、というのはこのことだ。彼らと会話していると、まるで文法などには無関心なところがある。伝えようとする意欲が伝わる。

実は日本人の英語もピディン・イングリッシュと呼ばれる。戦後、占領軍が基地のなかで話す日本人の英語をこのように揶揄したようだ。これが「Bamboo English」である。さらに朝鮮動乱のとき、日本から韓国に「輸出」されたのがこの英語であるという。確かに韓国人と我々の発音は似ている。

文法を思い出し文章を作ろうとする口から文がでてこない。単語を並べると相手には意味は通じる。日本語を母国語としない人に会うとき、彼らのたどたどしい説明でも理解できるのと同じだ。顔の表情、身振り手振りにもメッセージが現れくる。

ウィスコンシン大学での障害児の性教育の授業にでていたときだ。大教室だったせいもあり、なぜかいくつかの単語が聞き取れない。その単語の発音に慣れていなかった。辞書を持ち歩いていたのだが役に立たない。隣に女性が座っていたので、その単語のスペルを尋ねました。すると、私の辞書をめくってくれた。無言でここだと指示しました。はて、、、とみるとその単語のスペルは「penis」。授業中、その発音はピーニスときこえたのだ。彼女にThank youというので精一杯だった。自分もBamboo Englishを操る当の本人だった。

苦い経験をしたものだと感じ入っている。

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英語あれこれ その14  ヘブル語とユダヤ人 その4 アシュケナズ

親しい知人で大先輩、Dr. Robert Jacob医師の家系はアシュケナズ(Ashkenaz)であることを伺っている。ご先祖はオーストリア、バルト三国、ボヘミア(Bohemia)、ポーランドなどの地域を転々としていたそうである。そして定住したのがポーランドであった。ポーランドはユダヤ人にとって非常に住みやすい地だったという。だが時代は変わる。

ポーランドのユダヤ人であるが、第二次世界大戦の前後に正統派ユダヤ教徒の多くが差別や迫害から逃れるために、イスラエルやアメリカ合衆国へ渡った。多くの科学者や芸術家、金融業者、思想家、学者や医者などが含まれる。Jacob家もその中にあった。イスラエル共和国は建国において「メシア信仰」から距離を置き、政教分離という近代国家の原則を採用した世俗国家とされる。こうした考えは、超正統派ユダヤ教徒から批判されてきた。

また他方で非正統派ユダヤ教徒のポーランド人やさらに世俗的なユダヤ系ポーランド人の多くはポーランドに残った。時代は下りポーランドの民主化運動は1980年代に盛んになる。そして1990年、大統領に選ばれたのが「連帯」をスローガンにしたレフ・ワレサ(Lech Walesa)である。

民主化以後ユダヤ系のポーランド人は、自分たちの先祖の出自を表に出すようになっている。こうした民主化運動はポーランド社会のユダヤ系への偏見を取り除くのにも大いなる貢献をしたといわれる。

民族主義を復興し国家を築くべきというシオニズム(Zionism)を調べているが、内容はなかなか難しい。さまざまな血が混じり、宗教観の違いも政治に複雑に絡みいっそう事を難しくしている。だがホロコストの経験から、イスラエルの「戦って生き抜く」という方針は変わらないようである。

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英語あれこれ その13  ヘブル語とユダヤ人 その3 Diaspora

ディアスポラ(diaspora)とは、「散らされた者」という意味のギリシャ語に由来する。生まれ育った所や民族の居住地を離れて暮らす国民や民族の集団、ないしコミュニティを意味する。その他、ディアスポラは、離散すること自体を指す。ディアスポラと難民との違いだが、前者が離散先での定着と永住を示唆しているのに対し。後者は、元の居住地に帰還する可能性を含んでいる。

旧約聖書時代からの歴史によって、イスラエルやパレスチナの外で離散して暮らすユダヤ人集団のことを固有名詞の「Diaspora」と呼んでいる。民族等を指定せず一般の離散や定住集団の場合は、「diaspora」となり、他の国民や民族を含めたを意味する。大文字と小文字では意味が異なる。

ユダヤ系のディアスポラのうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々、およびその子孫をアシュケナジム(Ashkenazim)指す。語源は創世記(Genesis)10章3節とか歴代誌(Book of Chronicles)上1章6節に以下のように登場するアシュケナズ(Ashkenaz)である。”The sons of Gomer: Ashkenaz, Riphath and Togarmah.” 「ゴメルの息子の一人がアシュケナズである」という記述だ。

アシュケナジムは、ヨーロッパやイスラム圏の直接交易が主流になる貿易商人として活躍した。しかし、次第にユダヤ人への迫害が高まる。反ユダヤ主義である。交易の旅が危険になるとともに定住商人となっていく。貿易で栄えたヴェニス(Venice)は定住地の一つといわれる。

反ユダヤ主義者の主張とは、「ユダヤ教は強烈な選民思想であるがゆえに排他的な思想であり、キリスト殺害の張本人であり、金融業で財を成した」などがある。こうしたキリスト教中心主義的な発想がエスノセントリズム(ethnocentrism)、自文化中心主義や自民族中心主義を醸成し人種差別(racial discrimination)を正当化していく。

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英語あれこれ その12  ヘブル語と英語 その2

今や、イスラエルを中心に多くの人々がヘブル語を日常的に使っている。ポーランドでもユダヤ系の人々が話しているとWikipediaにある。主にアメリカ、アルゼンチン、オーストラリア、ブラジル、カナダ、フランス、ドイツなど、740万人のユダヤ人がヘブル語を使っている。

世界に離散した(Diaspora)ユダヤ人が戦後、イスラエルに帰還し建国に寄与した。ユダヤ人の多くは、まずウルパン(Ulpan)という教育機関でヘブル語を学び、イスラエル社会に同化するように奨励される。

ヘブル語が英語に与えた影響についてである。それは、なんといっても旧約と新約聖書の記述、特に登場する人物や場所、出来事などが今も使われていることだ。人物に関してであるが、アルファベット順に名前を列記してみる。Adam, Abraham, Ann, Benjamin, David, Daniel, Deborah, Elizabeth, Emmanuel, Esther, Eva, Gabriel, Hannah, Isaac, Isaiah, Jeremiah, Jesse, Joel, John, Jonathan, Joseph, Joshua, Mary, Matthew, Michael, Moses, Naomi, Nathan, Rachel, Rebecca, Ruth, Samuel, Sarah, Simon Susanna。こうした名前はヘブル語から由来している。どこかで必ず聞いたことのある名前があるはずである。

人名ではないが、救世主はMessiah、ジーンズのブランドとなっているLevi、神であるJehovahなどなど。旧約聖書の最初は「モーセ五書」で、トーラ(Torah)と呼ばれている。トーラはユダヤ教の教義全体を指すともいわれる。ともあれ旧約聖書の影響は絶大だ。

ヘブル語の特徴としてアラビア語と同様に、この言語は文章で書くときは右から左に書く。筆者はまったくヘブル語を知らない。だが日本語とヘブル語の発音と意味には似たものがあるとはきいている。偶然なのか、はたまたどんな関連があるのかは知りたいところだ。

山などで叫ぶ「ヤッホー」はヘブル語では偉大な神というのが語源。「ヤーウェ」(Yahweh)とか「エホバ」ともいわれ、福音系の教会では「主」として使われる。ミカド(帝)はヘブル語でミガドル、高貴な人というらしい。ワラベ (子供)はヘブル語でワラッベン(子供)と発音するそうだ。どこか似ている。

(終わり)はアハリ(終わり)と発音すると辞書にある。この稿もここらでアハリとする。

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英語あれこれ その11 ヘブル語と英語 その1

筆者の友人で先輩のお一人、Dr. Robert Jacobがいる。今はミルオーキー(Milwaukee)の郊外で整形外科の医師をしている。Jacobという姓のとおり、彼は敬虔なユダヤ教徒(Jewish)で熱心な国際ローターリークラブの会員でもある。筆者が国際ローターリクラブから奨学金を頂戴したとき、ウィスコンシン大学にやってきた留学生の面倒をみてくれた人でもある。ユダヤ系のアメリカ人と交わったのはこの時である。ロータリアンとして中南米への医療チームに参加する活動家だ。

ロータリの留学生は皆地元でホームステイを楽しんだ。筆者はDr. Jacobの家で過ごした。奥様は小学校の音楽の教師をしていた。ご家族に連れられてシナゴーグ(synagogue)に行った。ダビデの星(Star of David)や7枝に分かれたしょく台(menorah)が目についた。聖堂に入る前にヤムカ(yarmulke)という帽子をちょこんと被った。これが習慣だそうだ。丁度旧約聖書の研究会が開かれていて、皆英語で議論していた。

さて、ヘブル語(Hebrew)である。紀元前580年頃セム語(Semite)といわれた古語がカナン(Cannan)という地方にいたヘブル人によって使われはじめたとある。しかし、紀元前200年頃になるとヘブル語は日常会話としては使われなくなったが、宗教上の儀式などでは使われていた。

歴史は19世紀の中頃、エリエゼル・ベン・イェフダ(Eliezer Ben Yehuda)という人が、自宅でヘブル語を使うことを実践し、それが地域にひろまり学校でも教えることを奨励した。イスラエルの建国と共に、ヘブライ語も現代に復活する。長い間話されなくなった言語が、再び人々の日常の言語として復活した。このことは言語学的にも奇跡と言われている。
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