文化を考える その23 街角の風景 その3 ゴミ処理

我が日本人が誇るべきことはたくさんある。その最たるものは、高い公共精神である。少々古くさいが公衆道徳心と言ってもよい。外国へ行ってみればそれがすぐわかる。パリの汚さ、喫煙者の多さには目を背けたくなる。東南アジアからくる観光客は、口を揃えて日本の街は綺麗だという。時に空き缶やゴミ、煙草の吸い殻が不用意に捨てられているのを目にする。だが総じて街は清潔さを保っている。公共施設、会社やレストラン、路上での禁煙が条例で定められたことも素晴らしい。

高い公共精神の象徴は、ゴミの分別廃棄にあるのではないか。このような徹底さは外国には希である。色の違うビンのまで分けられている。これほど細かく分別されている国は知らない。

私の住む八王子もそうだ。家庭から出る資源ゴミのうち、排出頻度が高い約980品目を50音順に掲載している。資源ゴミである空きびん、ペットボトル、空き缶、紙パック、紙製容器包装、プラスチック製容器包装などの回収日が決まっている。「燃やせるごみ」、「燃やせないごみ」、「大型ごみ」は有料。可燃ゴミの中に缶やビンが誤って混じっているときは、その袋は警告紙がついてそのまま玄関脇に放置される。

こんなことばアメリカにはない。アメリカはゴミ処理では大いなる後進国である。集荷日になるとビンや缶を除き、大きなプラスチックのゴミ箱を道路側にだす。それをダンプカーのようなトラックが来て、ゴミ箱を高々と持ち上げ空にしていく。

我が国のゴミ処理の課題は放射能で汚染された「指定廃棄物」にある。汚染水、焼却灰や汚泥や土壌などなど増え続けている。どこで誰が誰が引き受けるかとなると尻込みしたり反対する。公共精神も少々自信がなくなる。

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