ユダヤ人と日本人 その32 「反ユダヤ主義者がユダヤ人を形成した」

これまで小説や映画、ミュージカル、ドキュメンタリーなどのメディアを通して、反ユダヤ主義(Anti-semitism)がいかに世の中に浸透してきたか、特にロシアやソ連におけるユダヤ人の迫害、ポグロムを中心に調べてきた。同時にこうしたユダヤ人や少数民族に対する偏見や迫害をいかになくすることができるかを考える。

このシリーズの冒頭で、個人的な交誼を続けるユダヤ系アメリカ人医師のことを紹介した。地元のロータリークラブの会員としてクラブの精神を実践しておられる。ロータリークラブは地域社会貢献、職業専門性の発揮と道徳水準の向上、国際理解、親善、平和への貢献などを掲げている。この医師は開発途上の中南米の医療活動をしたり、留学生のお世話などをして活躍している。

この医師は、自ら反ユダヤ主義反対のための活動を組織したりしない。また、宗教活動を止めてアメリカの世俗的な社会に同化しようとするようなこともしない。トーラ(Torah)である「モーセ五書」やタルムード(Talmud)という生活と信仰の教えを重んじる生き方をしている。自分たちユダヤ人が、その性格とか風貌とか職業が反ユダヤ主義を惹き起こしているとは考えない。反ユダヤ主義者がユダヤ人なる者を形成し結束させてきたと考えているに違いない。

「ヴェニスの商人」に登場する守銭奴を強調することやアーリア人種の高邁さや優秀さを喧伝したナチスなどの国家社会主義が、実は「ユダヤ人とはかくかく、しかじか」というイメージを作り上げたのである。翻って、戦前のわが国における近隣の人々に対する偏見の感情も反ユダヤ主義と同じ線上にある。朝鮮人や中国人に対する差別をみても、彼らが大大東亜共栄圏などを形成したのではない。八紘為宇という叫喚的なスローガンは、日本人の一部がでっち上げ反理性的に国民の思想と行動を縛ってきた。

権力への適応ではなく、迫害・離散への適応という形で生き延びてきたのがユダヤ人である。通常土地に同化し、混血してその国の人間になってしまう。しかしユダヤ人たちは、混血はしたものの、自らの信仰と民族としての誇りを忘れずに、ひたすらユダヤ教の教えを守って生活した。彼らの宝と言えば、そのユダヤ教と未来を託す子供たちへの教育以外にはいなかった。

アラブ諸国には石油という財産がある。イスラエルにはそれがない。日本も全く同じ状況にあるといってよい。ユダヤ人が、すぐれた人々を輩出した最大の原因は、常に異邦人として存在し続けてきたこの二千年間の緊張感そのものである。厳しい歴史のなかでユダヤ人は、優秀でなければ生き延びて来れなかったということを知っていたのではないか。

聖書的にいえば、ユダヤ人は“神から選ばれた特別な人間”といえる。しかし、彼ら自身は外に向かってそれを公言することはない。むしろ自分たちに危機が迫るとき団結するのに使うのである。決して彼らは特別の民族でもではない。排他主義とか選民主義とエゴイズムといったステレオタイプなユダヤ人に対する呼び方こそが「反ユダヤ主義」を象徴している。だが、注意しなければならないことは、「反ユダヤ主義」というフレーズを単純なイデオロギーでくくるのは間違いであることである。こうした「主義」の根っ子には人種や宗教、言語や文化の違いという実に悩ましい課題がある。

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