ウィスコンシンで会った人々 その100 医者噺 「代脈」

以前、藪医者の演目の一部を紹介した。https://naritas.jp/wp1/?p=2045
江戸時代の医者は、徒弟制度で世襲制であった。それゆえ極端にいえば誰でも医者になれた。そうした医者を揶揄して、ヤブ医者の他にヘボ医者、雀医者、葛根湯医者、手遅れ医者などたくさんいたようである。教習もなければ資格もなかった。ただ医者になると姓を名乗り小刀を腰に差す事が許されたという。山本周五郎の「赤ひげ診療譚」は、長崎で修行した医師保本登と赤ひげの物語。彼らは不幸な人々の救済にあたった本物の医師だったようである。医師が免許制となったのは明治9年になってからである。

今は八重洲通りである中橋広小路に尾台良玄という医者がいた。彼には銀南という弟子がいた。良玄のお得意に伊勢屋があった。そこの綺麗な娘が向島の寮で療養中だった。そろそろこの銀南を代脈に行かせようと良玄は考えた。代脈とは主治医に代って患者を診察することである。銀南は少々虚けのところがあるので良玄は、初めての代脈の作法を指南する。

良玄 「向こうに着いたら、番頭さんがお世辞にも『これはこれは、ようこそ』と迎えてくれる」
良玄 「そして奥の6畳に案内してくれる。座布団が出るから静かに堂々と座る」
良玄 「次にたばこ盆が出る。さらにお茶とお茶菓子が出る」
銀南 「お菓子は何が出ます?」
良玄 「いつもは羊かんが9切れ出るな」
銀南 「では、片っ端からパク付いて」
良玄 「品が無いな。食べてはいかん。羊かんは食べ飽きている、と言うような顔をする」
良玄  「どうしてもと言う時は一切れだけ食べても良い」
銀南 「残りの8切れは?」
良玄 「お連れさんにといわれたら、紙にくるんで貰って良い」

良玄 「それから奥の病間に通してくれる。丁寧に挨拶して、膝をついて娘さんに近づき”銀南でございます”と挨拶をする」
良玄 「脈を診て、舌を診て、胸から小腹を診る。この時左の腹にあるシコリには絶対触ってはならない」
銀南 「何でですか?」
良玄 「私も何だろうと思って軽く触れたら、びろうな話だが、放屁が出た」
銀南 「ホウキが出たんですか」
良玄 「いや、オナラだ」
銀南 「綺麗なお嬢さんがオナラをするはずがないでしょう」
良玄 「出物、腫れ物はだれにもあるから仕方がない」
良玄 「お嬢さんも真っ赤な顔をした。お前だったら何という?」
銀南 「や〜、綺麗な女のくせしてオナラをした〜」
良玄 「そんな事言ったら、お客様を一軒しくじる」
良玄 「わしはその時、掛け軸を観ていて聞こえない振りをして『この二.三日、耳が良く聞こえん』と頓知を働かせた」
良玄 「するとお嬢さんの顔色が元に戻った。決して左の腹を触るでないぞ」

銀南は師匠の着るものや道具箱を借りて伊勢屋へ出かける。駕籠に初めて乗るので舞い上がっている。頭から乗ろうとして上手く乗れず「キャー」っと声張り上げ、道行く人に笑われる。駕籠に乗っているうちイビキまでかき始めた。

伊勢屋での出迎えはご老母。娘に挨拶をし、脈を取って驚いた。痩せて毛むくじゃらな娘だと思ったら横で寝ていた猫であった。お腹を拝見とばかり、触るとシコリを発見する。そっと触わるようにと言い含められたのだが、銀南グイッと押したからたまらない。特大のオナラが出て銀南はビックリ。

銀南 「ご老母さん、この二.三日陽気の加減で耳が遠くなっています。何か用事があったら、大きな声でおっしゃってください」
老母 「先日、大先生も同じ事言われましたが、若先生もお耳が遠いのですか」
銀南 「えぇ、遠いんです。安心なさい、今のオナラはちっとも聞こえませんでした」

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ウィスコンシンで会った人々 その59 藪医者噺

落語にでてくる医者はどれも頼りない。江戸時代には今のような免許制度なく、医術の心得がなかろう医者になろうと思えば誰でもなれた。藪医者とは「藪のように見通しがきかない」という説がある。「藪にも至らない」という意味を込めて「筍医者」というのも落語での枕にでてくる。ヘボ医者ということのようだ。

それでも真面目に医術を習得しようとする者は、医者に弟子入りする。そして師匠に腕を認められ、代診の期間を経て独立を許され開業する。治療だが、主として薬草を煎じ薬、貼り薬や塗り薬を処方したようである。そして小石川養生所ができたのが1722年。困窮者救済が主たる役目だった。山本周五郎の「赤ひげ診療譚」は、長崎で修行した医師保本登と赤ひげ、そして不幸な人々の救済物語である。

医者に関する二つの演目を紹介する。まずは「夏の医者」。夏の暑い盛りの昼間、ある村の農夫が仕事中に倒れる。村には医者がおらず、叔父に相談すると「山向こうの隣村にお医者の先生がいる」という。息子は山すそを回って長い道のりを行き、往診を頼みに向かう。

さて、息子と医者は山道を向かうが、歩き疲れて山頂で少し休憩をとろうと横になる。すると急にあたりが真っ暗になる。医者は「この山には、昔から住むウワバミがいる、これはおそらく腹の中に飲まれてしまったな。このままでは、足の先からじわじわ溶けていく」脇差を忘れてしまったので、大蛇の腹を裂いて出ることもできない。思案した医者は薬箱から大黄の粉末を取り出し、周囲にたっぷりと振りまく。胃袋に下剤を浴びせられた大蛇は苦しんで大暴れする。「薬が効いてきたな。向こうに灯が見える。あれが尻の穴だ」ふたりは、外に放り出される。ところがウワバミの中に肝心の薬箱を忘れてしまう。そして取り返そうとしてウワバミにもう一度飲み込んでくれと頼む。ウワバミは首を振って、
「夏のイシャは腹に障る。」

「代脈」であるが、尾台良玄という名医に銀南という弟子がいた。ごひいきの商家に綺麗な娘がいて療養していた。良玄はこの銀南を初めての代脈に行かせることにした。少々与太郎気味の銀南であったので、詳しく挨拶の仕方、お菓子の食べ方、お茶の飲み方から脈の取り方など、娘の対応の仕方を指南する。特に診察の仕方をこと細かに説明する。特に娘の左の腹にあるシコリには絶対触ってはならないと言い聞かせる。シコリは放屁だというのだ。

銀南は、丁寧に挨拶してひざをついて娘に近づき挨拶をする。脈を診て、舌を診て、胸から小腹を診る。銀南は、綺麗な娘がオナラをするはずがないと思い込んでいる。これが大きな間違い。止せばいいのにシコリの部分をグッと押す。たちまちものすごい音が響き渡った。銀南は、「最近のぼせの加減で耳が遠くなっているのでなにも聞こえなかった」と白をきる。娘の母親が、「大先生もそのようなことを仰ってましたが、若先生ものぼせでございますか?」
「ええ。ですからさっきのオナラも聞こえませんでした!」

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