アメリカ合衆国建国の歴史 その33 パリ条約

1759年、数ヶ月にわたる散発的な戦闘の後、ジェームズ・ウルフ(James Wolfe)が率いる軍隊がモンカルム侯爵(marquis de Montcalm)の率いるフランス軍からケベック(Quebec)を奪取します。これがおそらく戦争の転機となります。1760年の秋には、イギリスはモントリオール(Montreal)を占領し、アメリカ大陸のすべてを実質的に支配することになります。イギリスが他の地域の国々を破るのにさらに2年かかったのですが、アメリカ大陸での覇権争いは決着していきます。

パリ条約よる新大陸

1763年のパリ条約(Treaty of Paris)で、イギリスはカナダ全土、東西フロリダ、アメリカ大陸のミシシッピ川以東の全領土、カリブ海のセントビンセント (St. Vincent)、トバゴ(Tobago)、ドミニカ(Dominic)を領有することになります。当時、このようなイギリスの勝利は史上最大級のものと思われました。アメリカにおけるイギリス帝国を樹立しただけでなく、領土が大きく拡大したのです。

Treaty of Paris, 1783

しかし、この戦争に勝利したことで、イギリスは帝国の最も強力な物質的接着剤のようなものを失っていきます。それは、イギリス帝国のニーズとアメリカの植民地のニーズとが異なるため、両者に深刻な対立が生じていくのです。経済的に強力になり、文化的に異なり、政治的に着実に独立しつつある植民地は、最終的にはイギリスの帝国主義に反旗を翻すことになるのです。

イギリスは北アメリカのヌーベルフランス(Nouvelle-France)と呼ばれていた地域で、東はニューファンドランド島から西のロッキー山脈まで、北はハドソン湾から南のメキシコ湾までに大半を委譲されます。さらにイギリスは、スペイン領フロリダ、西インド諸島のいくつかの島、西アフリカ海岸のセネガル植民地、インドにおけるフランス交易地に対する優越を獲得します。