心に残る一冊 その42  Intermission  感謝祭とPlimoth Plantation

今日で感謝祭の休暇が終わると、キリスト教会暦の典礼である待降節 (アドベント: advent)がやってきます。クリスマスのシーズンのことです。バッハ(Johann Sebastian Bach)のクリスマスオラトリオ(Christmas Oratorio)やキャロル(Christmas Carol )が聴かれる頃です。「12 Days of Christmas」もいいですね。こうした音楽を聴きながら、1600年代にイングランドやオランダなどからはるばる新大陸にやってきた人々ことを考えます。信仰が長い航海を支えていたとはいえ、さぞかし苦しい旅だったろうと察します。

ボストンから東南に車で一時間のところにメイフラワー号(Mayflower)が大西洋を渡って到着したプリマス(Plymouth)という港町があります。ここにメイフラワー号のレプリカが停泊しています。1620年9月にイングランドの南にあるPlymouthという港町から出航し66日をかけてこの地に到着し、その名がついたようです。そうした人々は巡礼者(Pilgrims)と呼ばれました。102名の乗船者中、最初の冬を越して生き残ったのは53名と半数の乗組員だったとあります。イギリス国教会からの信仰の自由を求めた人々です。1629年には清教徒(Puritans)がプリマスの北にあるセーレム(Salem)にも到着します。どちらもプロテスタントの人々です。

メイフラワー号に乗ってやって人々が作成した誓約書(Mayflower Compact)が残っています。後のアメリカ憲法の下敷きになったものです。この誓約は「アメリカ最初の憲法」という歴史家もいます。誓約書によって人々の暮らしや農場の秩序を保ったのです。

プリマスの郊外にある「Plimoth Plantation」のことです。1624年にイングランドからやってきた人々がこの居住地を開拓したという記録があります。今でいうコロニーです。ここには、住居、鍛冶屋、パン屋、洋服屋、学校、集会所、家畜小屋、倉庫、貯蔵庫、チャペル、そして牢屋もあります。当時は300人くらいが住んでいたようです。農場の柵の外で小麦や大豆、コーンなどを作りました。こうして共同体の生活が営まれました。ここは現在、入植当時の生活を再現した野外博物館となっています。プリマスは「アメリカの故郷」と呼ばれ、歴史的遺産を数多く残す観光地となっています。なぜか”Plimoth”と”Plymouth”は使い分けられています。