北海道とスコットランド その12  「埴生の宿」

このところ朝ドラ「マッサン」ではイギリスの民謡が流れている。その一つ、「埴生の宿」は耳慣れていて郷愁を湛えている。この歌は日本の唱歌で「楽しきわが家」として紹介されている。作曲したのはイングランド出身のヘンリー・ビショップ(Henry R. Bishop)である。

「埴生の宿」の原名は「Home! Sweet Home!」となっている。「埴生の宿」がなぜ唱歌で「楽しきわが家」という訳題がついたのかはわからない。「楽しきわが家」では元の歌詞の意味が伝わってこない。

埴生の宿も わが宿 玉の装い 羨まじ 、、、、

「埴生の宿」とは,床も畳もなく土間が剥き出しのままの家のことである。誠にもって貧しく粗末な家である。日本も農村は素朴な家が残っている。今は古民家と呼ばれるようだが、生活が農業と一体化していて土と共にある姿が浮かぶ。イギリスもそうだったようだ。

古語では,「たのし」にも「たのもし」にも「富んでいる」、という意味があるそうである。生活が貧しく、家が粗末であっても、家族とともにある生活で心は富む、家庭ほど大切な所はないということが歌われる。Sweetとは「甘い」とか「楽しい」ではなく「優しく包み込んでくれる」という意味である。

Home, home, sweet, sweet home,
   There’s no place like home.

「埴生の宿」の旋律を聞く度に思い起こすのが二つの映画の場面だ。一つは『ビルマの竪琴』である。1946年から数年の間、竹山道雄が執筆した作品である。市川崑が監督し1956年に上映された。竪琴を弾く水島上等兵が主人公である。水島を演じたのは安井昌二である。1985年にも同じ映画が作られた。水島を演じたのは中井貴一である。日本人捕虜がビルマからの帰国を前に、「埴生の宿」を歌う。そこに竪琴を持った仏僧が現れ伴奏を弾く。かつての水島上等兵だ。

「埴生の宿」が歌われたもう一つの映画は、壺井栄作の『二十四の瞳』である。木下恵介が監督し1954年に上映された。小学校の大石先生を演じたのは高峰秀子であった。戦争が終わって教え子が集まり、大石先生を囲む同窓会が開かれる。盲目になった生徒が、かつての12人の友達の写真を見つめながら一人ひとりを指さして大石先生に説明する。戦争の爪痕が皆の心に深く残る。

132861245019013205138 ビルマの竪琴twentyfoureyes66sss 二十四の瞳