筆者は北海道大学と立教大学で学び、その後はウィスコンシン大学で学位をとり、国立特殊教育総合研究所と兵庫教育大学で仕事をした。だが日本の大学の図書館で世話になったことは全くない。なんでも自分で検索などの作業をしなければならなかったからだ。有能な図書館司書(librarian)がいなかったということだ。
今回の話題は図書館司書の専門性と養成についてである。振り返ると日米の大学の違いは、大袈裟にいえば図書館の置かれている地位と図書館司書の専門性、そして図書館学(library of science)の認識にあるのではないかと考える。
ウィスコンシン大学では、オリエンテーションで図書館の利用方法を教えてもらった。そのお陰で専門職である司書にひとかたならぬお世話になった。そしてその専門性には驚いたものである。実に良く訓練されている。もっとも、司書は最低の条件として図書館学の修士号を有している。
我が国とアメリカの司書養成の仕組みや内容を調べると、そこに大きな違いがあることがわかる。まず、我が国では司書となる資格は図書館法に規定する公共図書館の専門職員となるためとなっている。しかし、公共図書館の大部分では、司書の資格を取得した者を正職員として採用する人事制度がない。事務職員としての採用制度だからである。公立、私立の小中高校に司書はいないのというのは誠に貧弱な体制だ。
我が国では、司書資格の取得方法は二つある。大学の正規の教育課程の一部として設置されている司書課程と夏季に大学で集中して行われる司書講習がある。大学の司書課程はそのための全国統一的なカリキュラムが、図書館法の制定以来、現在に至るまで作成されていない。専門性に必要な科目の単位数が少なく、司書講習に相当する科目の単位の認定を受けて、大学を卒業すれば司書資格を取得できてしまう。
次に司書講習である。本来現職の図書館職員向けのものとされているため単位認定が甘く、「暇と講習料さえあれば取得できる資格」といわれるほど講習内容が貧相でおざなりな講習会といわれる。我が国の司書に関する根本的な課題とは。それは司書の専門性と役割を重視しない風土、そして図書館学の未熟さである。ところで心配になったのだが、公立図書館や大学に司書の資格を持った者がいるのだろうか。