読書感】「暗殺の年輪」 藤沢周平

端正で凛とした文体で知られる作家藤沢周平の名作の一つといわれる武家ものの短編小説「暗殺の年輪」を紹介します。

海坂藩士・葛西馨之介が主人公です。成長するにつれ、周囲が向ける冷ややかな笑いの眼を感じるようになります。そして仲間から孤立していきます。剣友仲間に貝沼金吾がいます。あるとき金吾に誘われて貝沼家の奥屋敷へ行くと、3人の家老たちが待っています。一人の郡代が馨之介を見ていいます。
「これが、女の臀ひとつで命拾いをしたという倅か、よう育った。」この野卑で無思慮な一言が馨之介の胸を貫きます。

剣技を見込まれた馨之介は、藩執行部の反対派である家老の水野から、藩政の実権を握る重役の嶺岡兵庫の暗殺を引き受けろと言われます。20年もの昔、父の葛西源大夫は、藩内の派閥争いにからんで中老の嶺岡兵庫の暗殺にかかわり、失敗して横死します。その事件ののち、幼い馨之介の命と家名を救おうとして嶺岡に肌を許したと噂されたのが母の波留です。その秘密を知った馨之介は、母に問い詰めるのです。

波留の顔色はほとんど灰色で、眼のまわりはくすんでいます。まるで老婆のようです。
 母 「お前のためにやったことですよ。」
 馨之介「ずいぶんと愚かなことをなされた。」
 馨之介「そのために、私は20年来、人に蔑まれてきたようだ。」

夫の敵に身を任せ、じっと耐えてだれにも秘密を明かすことなく生きてきた波留は、悲哀を一杯に溜め込み家の守りをやり通すのです。男以上の豪毅さを感じさせてくれます。

浴びるほど酒を呑んだら苛立たしく募ってくる母への憎悪も幾分晴れそうだと、いきつけの飲み屋に行きます。したたかに呑んで家に戻ると血の匂いがします。奥の間の襖を開くと、むせるような血の香がそこに立ちこめています。掌に懐剣を持って自害した母の姿があります。穏やかな死相をしています。馨之介は立ち上がると嶺岡兵庫の刺殺を引き受ける覚悟を決めるのです。

馨之介は汚名を晴らすのですが、やがて父と同じ罠にかかったことを知るのです。それは、剣友仲間の貝沼が水野家老とともに、自らの手が動いた痕跡を消すために馨之介の口をふさごうとする策動です。口をふさげば、馨之介の死が父源大夫の横死に絡む私怨から嶺岡を刺殺したと雄弁に語ることになるのです。

家名を残すための、馨之介の母の哀しい行動が端正な文章で描写されています。軽侮され続ける馨之介が簡潔で無駄なく記述されています。そして汚名を晴らすはずが、策略に乗せられた馨之介の憤りが凛として描かれています。ほの暗く哀切を感じさせる一作です。

            (2023年11月4日  成田 滋)