心に残る一冊 その118 「樅ノ木は残った」 その五  毒殺計画と分割

大老酒井雅楽頭と組んで仙台藩分割を目論む伊達兵部宗勝は、仙台藩四代目藩主幼君の亀千代の毒殺を図るが失敗します。かつて甲斐の家臣であった塩沢丹三郎が亀千代の「鬼役」といわれる毒見役を買って出て毒にあたり殉死します。

事件のあった夜、兵部の江戸屋敷に駆けつけた甲斐は告げます。「きょう、亀千代ぎみのところで食中毒があったと聞き及びました」すると兵部は我が耳を疑いながらこう云います。
「今なんと申した、食中毒と申したか?」

亀千代毒殺計画は主君亡き後の仙台藩を乗っ取ろうとする兵部の仕組んだ陰謀でした。既に口封じも兼ね毒をもった医者を切腹に処した後だけに、このような思いもよらぬ甲斐の言葉を聞き、この男は信用に価する男だと思ったのです。もちろんこれも甲斐の芝居で、自分は兵部の味方であると思わせるゆえの策略でした。

実は甲斐は酒井雅楽頭邸に間者を送り込もうとします。中黒達弥です。甲斐はあることで切腹しようとしていた家臣の達弥にこう云います。
「人間死ぬのは簡単だ。生きることのほうがずっと大変だ」
「…」
「そちの命を私にくれぬか?」
主君のこの問いに達弥は武士らしく一言「承知しました」とだけ答えます。

酒井雅樂頭と伊達兵部が取り交わした仙台藩分割の証文を奪取すると言うのは極めて危険な仕事でありました。その証文さえあれば伊達騒動の内幕を総て白日に晒す事ができます。達弥は原田甲斐の命令で、名を中黒達弥から黒田玄四郎に変えて酒井雅樂頭の家臣となり酒井邸で勤務することになります。雅樂頭の家臣になったとはいえ、邸内の隅から隅まで歩き回れる自由はありませんでした。

幸い、滝尾という奥女中が雅樂頭と兵部が取り交わした証文が存在する事を教えてくれるのです。玄四郎は滝尾を使って雅楽頭と兵部の密約書、すなわち仙台藩内紛不祥事を理由に伊達六十二万石を召し上げ、兵部に半分の三十万石を与えるとの書状を盗み出すことに成功します。書状の内容は明らかに雅楽頭と兵部の著名が確認できるものでした。滝尾は玄四郎を私かに心を寄せていました。これで流れが甲斐の側に優位に傾くことになります。

老中の久世大和守と大老の酒井雅楽頭が密談します。この密談の前に久世大和守の屋敷を訪ねた甲斐はこの密約書を久世候に見せ、雅樂頭と兵部の企みを暴いていました。格上の大老に「このような私利が絡んだ場合、そこもとの大義が立たなくなる」と久世大和守は雅樂頭に詰め寄ります。その厳しい表情には、例え誰だろうが筋の通らないことはまかりならぬという不動の信念と毅然たる態度があらわれていました。