アメリカ合衆国建国の歴史 その39 リトルビッグホーンの戦い

イギリスと植民地との対立は深刻化し、やがて独立戦争へと展開します。独立革命から南北戦争(1760年〜188年代)後及び、独立戦争で大半の部族がイギリスと同盟し、独立派軍に対抗します。そのうち五大湖周辺の北西部諸部族は、1763年のポンティアック戦争から1794年のフォールン・ティンバーズの戦い(Battle of Fallen Timbers)の敗北まで、本国からの独立革命を遂行しつつあった植民地人に対して、自らの自由と解放のために戦います。

フォールン・ティンバーズの戦いとは、独立派軍よる北西部領土侵略に対抗して、諸部族が大同盟を組んで挑んだインディアン戦争のことです。この戦いは、1812年戦争といわる英米戦争の際にショーニー(Shawnee)部族長テクシム(Tecumseh)によって受け継がれ、彼は部族の大同団結を提唱しますが大望を果たせず、ハリソン将軍( William Harrison)に敗れ戦死します。

Cherokee

同じ頃、南部ではチェロキー族(Cherokee)などが文明化政策を受け入れて農業化、文明化への道を歩み、黒人奴隷制度も導入します。チェロキーはアンドリュー・ジャクソン軍(Andrew Jackson)と戦って敗れ広大な領土を奪われます。こうしてミシシッピー川以東における優位を確立した政府は、1830年にインディアン強制移住法(Indian Removal Act)を制定し、ミシシッピー川以東の諸部族に同川以西への移住を強制します。諸部族は多大の犠牲者を出しながら長い「涙の旅路」(Trail of Tears)を辿ります。セミノール族(Seminole)は強制移住に抵抗し黒人と結束しますが敗北します。「涙の旅路」とは、1838年にチェロキー族を、後にオクラホマ州となる地域のインディアン居留地に強制移動(Population transfer)させたときのことを指します。17,000名のチェロキー族のうち、途中で4,000名以上が亡くなったといわれます。

第7騎兵連隊

1840年代の急激な領土膨張とゴールドラッシュ(gold rush)によって、南西部や大平原、グレートベイスン(Great Basin)や太平洋沿岸の諸部族は、押し寄せる移民者の群れと合衆国軍に始めて向き合うことになります。ゴールドラッシュとは、新しく金が発見された地へ、金脈を探し当てて一攫千金を狙う採掘者が殺到することです。コマンチ(Comanche)、アパッチ(Apache)、ナバホ(Navajo)、シャイアン(Cheyenne)、スー(Sioux)、アラパホ(Arapaho)などの諸部族は果敢な抵抗を開始します。

Battle of Little Big Horn

南北戦争が起こると部族間のみならず、部族内が敵味方に分かれて戦う悲劇を強いられます。戦争中、スー族の討伐やサンドクリーク(Sandcreek)の虐殺など大平原部族への圧力が高まります。サンドクリークの虐殺とは、1864年11月にコロラド地方で、政府軍が無抵抗のシャイアン族とアラパホ族インディアンの村に対して行った無差別虐殺です。