アメリカ合衆国建国の歴史 その71  流通革命

あらゆる面における工業化進展の鍵である輸送の改善は、アメリカでは特に重要でした。発展途上のアメリカ経済の根本的な課題は、国の地理的広がりと貧弱な道路網の状態でした。五大湖、ミシシッピ渓谷、湾岸と大西洋の海岸を単一の国内市場に組み込むという幅広い課題は、航行可能な河川の豊かなネットワークに蒸気船を投入することによって最初に解決されました。

蒸気船


早くも1787年、ジョン・フィッチ(John Fitch) はフィラデルフィアの人々に実用的な蒸気船を公開しました。数年後、彼はニューヨーク市でもその業績は受け入れられました。政府の資金援助がないため、蒸気船の発明を完全に実用化するには民間の支援が必要でありました。その結果、最初の蒸気船の実用化を実現したのはロバート・フルトン(Robert Fulton) でした。彼は、1807年に最初にハドソン川(Hudson River)を外輪船(paddle wheeler) クレルモン号(Clermon)で走らせるための資金を得て、何度も運転していきました。その時点から、内陸では蒸気が王様であり、その最も壮観な船はミシシッピ川の外輪船でした。これは、浅い急流の川で航行ことができる船を作ることに挑戦した海洋技術者のユニークな作品となりました。

Robert Fulton

海洋技術者は、貨物、エンジン、乗客を喫水線の上の平らなオープンデッキに置くように設計します。これにより、「父なる川」(The Father of Waters)と呼ばれた浅瀬の多いミシシッピ川流域の大部分の温暖な気候で航行が可能でした。ミシシッピ川の蒸気船は、アメリカの象徴となっただけでなく、いくつかの法律にも影響を与えました。ギボンズ対オグデン(Gibbons v. Ogden)という係争(1824)で、マーシャル裁判長(Chief Justice Marshall)は、州間を流れる川の交通を規制する連邦政府の排他的権利を認める判決をだします。

潜水艦Nautilus号

「ギボンズ対オグデン」という裁判事例です。アーロン・オグデン (Aaron Ogden)の会社に、ニューヨーク州は州内の水域における蒸気船の独占航海権を与えていました。ところが、連邦法によって航海の許可を受けていたトーマス・ギボンズ(Thomas Gibbons)は、ニューヨーク州法を無視し、ニュージャージー州からニューヨーク州に蒸気船を航海させるビジネスを始めました。そこでオグデンは訴えを提起しますが敗訴します