憲法改正論議を考える洞窟の比喩

注目

学者や政治家の間には、憲法改正の是非は結局国民自身が決めるべき問題であるという、それ自体もっともな主張によって、自分の態度表明を明らかにしなことが見られます。実際は自分の立場は決まっているのですが、現在それを表明するのは具合が悪いので、もう少し世論がそちらのほうに動いてくるのを待とう、あるいはもっと積極的に世論をその方へ操作誘導してから後にしようという戦術があるようです。また形勢を観察して大勢の決まる方に就こうとする日和見派もあるようです。

憲法改正問題は次の総選挙において大きな争点の一つとなると思われます。その結果によっては来るべき憲法第九条の改正が、国民投票において最後の審判が下されるべき話題となるはずです。いうまでもなく国民がこの問題に対して公平な裁断を下しうるためには最小限、いくつかの条件が満たされていなければなりません。第一は通信手段や報道のソースが偏らないこと、第二に異なった意見が一部の職業政治家、学者、評論家といった階層の人々の前にだけでなく、あまねく国民の前に公平に紹介されること、第三に以上の条件の成立を阻む、もしくは阻む恐れのある団体の示威行為、破壊活動防止法の発動、公安機関の登場を阻むことです。

真摯な動機から憲法改正を国民の判断に委ねようと主張する人々は、必ず以上のような条件を国内に最大限に実行する道徳的責任を感じなければなりません。憲法の護持や改正を謳う人々が、以上のような条件を無視し、もしくは無関心のままに国民の判断を云々するなら、国民は正しい判断ができるかは疑わしいと思われます。

現在、新聞やテレビ、インターネット上のニュースソースが偏っていたり、必ずしも嘘をついているとはいえないまでも、さまざまな意見が紙面や解説で公平な取り扱いを受けないことが見受けられます。全体主義国の独裁や海洋進出への批判などが多出するなか、アメリカの外交政策の批判やグローバリズムの問題はあまり取り上げないとか問題視しない状態、別な表現でいえば言論のフェアプレイによる討論を阻んでいる諸条件に対して、特段の異議を唱えることなしに、ただ、世論や国民の判断をかつぎだしてくるのは、早計であるといわざるをえません。現在の大手の新聞やマスコミの記事の取り上げ方にフェアプレイの姿勢が欠如していることを重々承知のうえで、逆にそれを利用して目的を達成しようという魂胆を持った政治家がいるのも事実なのです。

そこで注目したい報道がありました。2024年5月3日の東京新聞の社説です。私たち国民は、この10年間、囚人のように洞窟に閉じ込められ、政権が都合よく映し出した影絵を見ているのではないかというのです。これは、ギリシャの哲学者プラトン語る「洞窟の比喩」というエピソードを引用しています。囚人たちがいる洞窟の壁に影絵が映ります。囚人はその影絵こそ真実だと思っています。ある1人が洞窟の外に出ます。そこで見る世界は洞窟の影絵とは似ても似つかないのです。その者が洞窟の奥に戻り、囚人たちに自分が見た世界を語ります。でも洞窟の囚人たちは誰もその話を信じようとはしません。政権が都合良く推し進める風景が影絵なのですが、それを信じこまされているというのです。国民は、ようやく洞窟の外に導かれて数々の忌々しい影絵の実体を知ることになりました。

現在、職業政治家が使う言い回しの一つが「大国間競争や地域紛争で世界秩序が一段と不安定し不確実性が高まっている」ということです。確かに国際秩序は危機に瀕しているといわれます。大きな原因は、アメリカの国際社会への関与が弱まりつつあること、中国等の最大貿易国が強大な経済力に持つようになったことです。中国は海洋進出を続け、国際法違反を繰り返しています。加えて深刻な問題はロシアのウクライナ侵略などは、紛れもない国際法の違反行為です。こうした情勢を錦の御旗のように掲げて、防衛力の抜本的な増強、すなわち「国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」に備えるとしています。それを憲法第九条改正の根拠とするのです。

新憲法の精神を誉め、宣伝した学者や子ども達にその精神を教えてきた教育者の中には、今や「あれはGHQによって押しつけられたものである」と言う者がいます。国際情勢などにあまり関心も知識もない人ならともかく、少なくとも人並み以上にそうしたことに通じているはずの政治家や学者、評論家、教師などが「当時はまだ米ソがそれほど対立していなかった」という理由から戦争放棄の条項を説明し、今やそうした状況は変化しているという「事情変更の原則」を持ち出して憲法改正の伏線にしようとしているのです。

ところが第二次大戦の終了と同時に冷戦の火蓋は既に切られていました。その代表が1946年3月のウィストン・チャーチル(Winston Churchill)の演説です。「バルチック海のステッティンからアドリア海のトリエストにいたるまで、大陸を縦断する鉄のカーテンが降りている」と警告するのです。「全体主義と闘う世界中の自由な国民を支援する」という共産主義封じ込め政策であるトルーマン・ドクトリン(Truman doctrine)が宣明されたのは1947年3月です。アメリカ大統領トルーマンが、共産主義または全体主義的イデオロギーに脅かされているあらゆる国へ経済的、軍事的援助を提供すると宣言したのです。

ちなみに、現行の憲法草案要綱が内閣から発表されたのは1946年3月、その後審議修された結果、8月に衆議院を通過、貴族院での学者や政府当局者との論戦ののち、衆議院が再修正に同意し、かくて同年11月3日に公布され、翌1947年5月3日に施行されるのです。このように冷戦の真っ直中に憲法は施行されたのです。憲法の前文にある一切の武力を放棄し「国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う」と謳ったのは決して四海波静かな世界においてではなく、米ソの抗争が今日ほどではないにしても、その緊張状態が世界的規模において繰り広げられることが十分に予見される情勢の下において施行されたのです。こうした冷戦の開始と進行にも拘わらず、敢えて非武装国家として新しいスタートを切ったところにこそ現行憲法の画期的な意味があったといえましょう。
成田  滋
(2024年5月10日)
                  shigerunarita@gmail.com

どうも気になる その23 教員免許が国家資格になるのか

政権与党というのは、ときに面妖なことを考えるものだ。そこには驕りに似た姿勢が伺える。文教政策にもそのことがあらわれている。「教員制度改革」を検討しているのが教育再生実行本部。ここでは今、学校の教員免許の「国家資格化」を提言する方針を固めたようである。

その提言とは、大学における教員養成課程を履修した後に国家試験を科し、一定の研修期間を経て免許を取得する内容といわれる。なんとなく医師免許の取得過程を思わせる。一体その意図はなにかというと、教員の資質向上を図るのが狙いのようである。教員の資質や力量が不十分だということらしい。大学の教員養成課程は、設置基準を満たすかどうかが国によって審査されて認定される。さらに修了生に国家資格を与えるという仕組みはどう見ても屋上屋を架すようなものだ。

復習だが、現行制度では教員免許は大学で教員養成課程を修了すれば卒業時に大学が所在する都道府県教育委員会から教員免許が与えられる。そして都道府県や政令都市の教育委員会が実施する採用試験に合格すればその自治体の学校で勤務する。採用試験は教職教養や論文試験のほか、面接、集団討論そして模模擬授業が科せられる。教員採用試験に合格し、採用候補者名簿に登載された者から正規職員になる教諭と年度ごとに雇用契約を結ぶ常勤講師から構成される。このように教師になるには結構、茨の道なのである。

教員の資質や力量に問題があるのかということだが、少子化に伴う学校の統廃合も進んでいるなかで、正規教諭の採用数を抑え、その分を常勤や非常勤講師を恒常的に任用することで人員を補う傾向にある。資質の課題はこうした講師が増加することや専門分野を深める修士課程を経ない教員が多いのが問題なのである。

さらに教員採用試験の問題は文科省と都道府県教委などが共同で作る共通化を教育再生実行会議が提言する方針だともいわれる。教員免許を国家資格にするという意図は不可解なことといわなければならない。

提言で注目すべきことは、スクールソーシャルワーカーとスクールカウンセラーを「基幹職員」として学校に常駐させること方針であることだ。多様な授業方法の習得やいじめ、不登校などの課題への対応が求められる中、教員の資質向上と学校のサポート体制を構築するのが狙いである。

教員免許を国家資格とするよりも、ソーシャルワーカとスクールカウンセラを正規職員として常駐させるほうが学校の文化が向上することは間違いない。教員だけの単一集団では発展が期待できない。専門性に溢れる多様な教職員集団ができることは望ましい。中央教育審議会はこうした制度の導入でどのような判断を下すかが注目される。

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どうも気になる その22 旧ユダヤ人街が世界記憶遺産へ

4月19日日曜日の朝刊に「旧ユダヤ人街 上海の歴史紡ぐ」という記事があった。筆者はユダヤ人の歴史や日本との関わりについて関心がある。ユダヤ系の人との個人的なつながりがりによる。

第二次大戦中、上海でユダヤ人が暮らした記録を世界記憶遺産に登録しようとする動きが出ているというのである。迫害で国を追われたユダヤ人にとって上海は一時、数少ない安住の地となり、その後は狭い区域で隔離生活を強いられたといわれる。かつての居住者らへのインタビューや資料収集が進められており、関係者は「遺産登録を実現し、上海の知られざる歴史を世界に伝えたい」と意気込んでいるそうである。是非実現してもらいたいものだ。

旧日本軍が占領した上海は当時国際都市で、パスポートやビザがなくても上陸できる世界唯一の場所だったという。上海の北東部に旧日本人街があった。そこに上海ユダヤ人難民記念館がある。このあたりは上海随一の観光エリア、バンド(The Bund)に近く、煉瓦造りの建物が今も残っているようである。第二次大戦中、ナチスの迫害を逃れて大勢のユダヤ人が上海にたどり着いた。その数、18,000人ともいわれる。リトアニア領事代理であった杉原千畝氏が発行した通過ビザを所持していたユダヤ人もいたようである。

上海には米英の租界地ができていた。日本人租界地もそうである。そこにヘブライ語の新聞が発行され、シナゴーグや学校、いろいろな店が建ち並んだ。旧日本軍が上海を占領した1937年以降、こうした姿が上海にできた。だが、1942年、第二次大戦が始まりナチスのユダヤ人迫害が上海にも迫る。日本は日独伊防共協定を結ぶことによりユダヤ人の自由な活動を制限せざるをえなくなる。

日本本土にもドイツ、ポーランド、チェコスロヴァキア、オーストリア、リトアニアでの迫害から逃れてきたユダヤ人がいた。だが、“無国籍難民の定住と商売の制限に関する声明”によって日本占領下の上海に移住させられる。そこで日本政府は無国籍難民隔離区という上海ゲットー(Shanghai Ghetto)をつくる。そこに全てのユダヤ人が集められた。外出には許可が必要となる。このゲットーには、貧しい100,000人の中国人も定住していたという。

1941年頃までの上海のユダヤ人社会だが、アジア・アフリカ系のユダヤ人であるスファラディム(Sephardim)社会と東欧系ユダヤ人であるアシュケナジム(Ashkenazim)社会があった。この二つのユダヤ社会の二大勢力のことは既述した。スファラディム系のユダヤ人の中にイギリス国籍を取得していた富豪がいた。銀行家・商人であったサッスーン家(Sassoon Family)だった。サッスーン家の家長ビクター・サッスーン (Victor Sassoon)は、上海を中心とした大富豪であった。

もともと東インド会社(East India Company)からアヘンの専売権を持ったサッスーン商会は、中国でアヘンを売り払い、とてつもない利益を上げたといわれる。イギリス政府に代わって徴税や通貨発行を行うなど植民地経営にもあたったというからその威光は絶大であったようである。ロシア革命やポグロムが発生するたびに、ユダヤ人が満州へ流出し、そこから上海へ向かった。ロシア系ユダヤ難民は上海に根をおろし、多くは交易で栄えた。だが第二次大戦により上海のユダヤ人もまた流浪の民、ディアスポラ(diaspora)となる。上海ゲットーは1945年9月に解放され、ほとんどのユダヤ人は上海から去ったといわれる。

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どうも気になる その21 「プラウダ」と「イズベスチヤ」

「国の見解に反するような放送をする自由はない」という質問が国会で取り上げられた。「公共電波を使って国内外に反日自虐番組をし続けたのだ誰か」という国会での発言もある。NHK会長のハイヤー代の支払いを巡り、情報がリークされるようなガバナンスとかコンプライアンスも取り上げられた。「政府が右ということに対して左とはいえない」というこの会長の発言も大いに注目された。

「行き過ぎた表現の自由を問題視し、表現の自由を濫用して虚偽、歪曲、捏造、印象操作など偏向した恣意的な放送をしている」といったことも国会で取り上げられている。「国家のプロパガンダを流す国営放送であることを求める」とは、恐ろしい発言だといわざるをえない。

今、放送法第一条二項にある「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送の自由を確保する」が揺らいでいる。広辞苑には、「不偏不党」とは「いずれの主義や党派にくみしないこと、公正で中立の立場をとること」とある。一体、報道や放送における言論の自由とはなにか、である。それについて小さな思い出がある。

バルセロナ(Barcelona)の中心街からカタルーニャ鉄道(Catalunya)に乗り、モンセラット山(Montserrat)の中腹に向かったときだ。そこの標高720mに壮大な修道院がある。この修道院へ向かう電車内で隣り合わせた夫婦である。身なりは質素である。旦那はむっつりし、終始眠ったふりをして視線が合わなかった。婦人に話しかけるとサンクトペテルブルク(Saint Petersburg)から休暇で来たという。もちろん筆者は一度も訪ねたことのない街だが、ドキュメンタリーなどでこの街の歴史は少しは知っていた。かつてのレニングラード(Leningrad)で、大戦中ナチスドイツにより900日にわたる包囲を受けたところである。

この婦人は経済関連の記者や編集をしているという。「プラウダ紙(Pravda)か?」と尋ねると、プラウダは形や内容を変えてしまったと説明してくれた。そして「プラウダ」とは「真実」という意味であることも教えてくれた。ちなみにイズベスチヤ(Izvestia)という機関誌もあった。こちらはソ連政府の政府見解が発表される公式紙だった。イズベスチヤとは「ニュース」という意味である。

ご婦人は会話で次のような小咄を紹介してくれた。プラウダ紙は無味乾燥な公式発表と標語ばかりで、読みにくい新聞であった。共産党にとって都合の悪い事は極力書かれず、時には事実が歪曲されて、捏造も行われた。多くの国民もそのようなことはわかっていたので、行間を読みながら真実を探ろうとしたそうである。市民の間で次のようなやりとりがあったとか。

「プラウダとイズベスチヤの違いは何か?」
「プラウダにイズベスチヤ(ニュース)はなく、イズベスチヤにプラウダ(真実)はない」

この婦人が紹介してくれた車内での小咄から今のわが国の公共放送のあり方を考えさせてくれるヒントがある。

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どうも気になる その20 発達障害と診断と治療 その6 「教育の医療化」

沖縄国際大学人間福祉学科准教授の知名孝氏が「発達障害の診断が、学校を医療の場にしている!?〜教育の医療化」 という記事を書いている。http://www.okinawatimes.co.jp/cross/?id=188

知名氏の主張で興味あることは、「診断」という医療の営みが学校にも持ち込まれ、教職員が処方を求め、その結果「自らが考え試し発見する機会を奪っている」というのだ。現場の教師が、例えば「アスペルガーと診断された子どもの対応を教えて欲しい」といって「専門家」と呼ばれる人を尋ね歩く現状があるというのである。こうした姿を「教育の医療化」と呼んでいる。診断が下されたといっても指導は現場の仕事だ。保護者も親の会をつくり勉強する。こうした学びの機会で各学校の対応を共有しあい、行政に支援を要請している。

筆者は、こうした「教育の医療化」とか「教師の診断志向」は、アメリカ精神医学会のDSMや 世界保健機関のICD-10の影響にあると考えるのである。このような「精神疾患の分類と診断の手引」は、診断の基準を示すだけで、なんら教育上の処方箋を出しているわけでない。「診断も検査も結局は仮説」なのである。

これまで養護学校教職員、施設職員、医師などを主体とする団体が、すべての障害児はレベルに応じて発達可能であり、それを保障するための特別な教育が必要であると主張してきた。特別支援学級や学校の存在はそのためにあるという立場である。すべての子どもが統合や包摂された環境での学習を保障する人々、いわば分離教育からの解放とは鋭く対立してきた経緯がある。

今、共生社会の形成に向けた包括的な教育が進行しつつある。こうした実践の核心は子どもが同じ場で共に学ぶことを追求するとともに、個別の教育的ニーズのある子どもに対して、小・中学校における通常の学級、通級による指導、特別支援学級、特別支援学校といった、連続性のある『多様な学びの場』を用意しておくことが必要であるという考え方である。これが「インクルーシブ教育」である。

しかし、普通教室の中で多動で落ち着きのない子どもがいたとすれば、そうした子どもの対応に慣れない教師はおどおどするはずだ。普通学校への包摂や包容である「インクルーシブ教育」には、教師への支援が欠かすことができない。だが支援教育の軽視が取り沙汰されている。特別支援教育コーディネータの実力不足と不適切な配置が課題であることを現場から寄せられている。

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どうも気になる その19 発達障害と診断と治療 その6 製薬会社と研究者の「良好な関係」

中枢神経刺激薬であるを含むストラテラやコンサータが幅広く18歳未満のAD/HDの人々に対して処方されている。一般に、AD/HDの子どもに鎮静効果があり、衝動的行動や行動化の傾向を軽減するといわれる。それにより学校生活に集中できるようになる。AD/HDの大人の多くは、メチルフェニデートによって仕事に集中することができるといわれている。同時に、メチルフェニデートの副作用として抑うつ気分、疲労、無欲、脱力、不快感など依存形成を伴うことが指摘されている。

「AD/HDは作られた病であることを「AD/HDの父」が死ぬ前に認める」という記事に対して、FB上で次のようなコメントが寄せられている。

M氏: 「米国の”正義”とは得てしてこのようなものが背景に潜んでいますね。」

この正義についてであるが、個人は内部告発も含めて広く自分の意見を述べることが大事だという考えがある。いまだにベトナム戦争に対して贖罪のように反省や教訓の記事がみられる。正義とは勇気をもって誤りを指摘し自分の立場を鮮明にすることである。米国の”正義”というのは多面的な性格を帯びているということである。

次ぎにDr. Eisenbergが指摘する製薬会社と医者や研究者の「良好な関係」についてである。薬の開発では副作用をいかに制御するかに苦心しているはずである。そのために企業から多くの研究費や資金が大学や研究所に提供されている。医師主導の新薬開発の治験も製薬会社と行動で行っている。これは悪いことではない。新薬の開発には産学共同はどうしても必要だからである。スーパーコンピュータやロケットの開発、原子力開発、半導体、iPS細胞の分野では産学共同研究が欠かせない。

日本も米国でも発達障害は一大産業となっている。AD/HDやLDの改善に効果的な新薬の開発に日本の研究者も大勢関わっている。日本ADHD学会の設立には製薬会社の後押しがあったようだ。AD/HD治療薬は順調に売上を伸ばしているときく。産学共同研究の悩ましいところである。日本ADHD学会の趣旨には、「ADHDに関する医学の発展ならびに医療の充実に寄与することを目的」とある。教育は一体どこにいったのか、という気分になる。

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どうも気になる その18 発達障害と診断と治療 その5 「病名が決まらないと治療が開始できない」

AD/HDの原因はさておき、病名が決まらないと治療が開始できないとされる。いま困っている症状は何か、ということで早急に治療を開始するために、まず病名をつけるのは治療者にとって便利ではある。そのためにDSM-5とかICD-10のような分類基準が必要とされるようだ。

しかし、病名とは結局「どこからどこまでがこういう名前」というような症状の分類の仕方によって決められるものである。従って新しい事実や考え方が生まれ、分類の仕方が変われば、病名も変わり分類表も改訂される。当然処方される薬も違ってくるだろう。新薬の開発も進むかもしれない。

ザックリと指摘するならば、AD/HDの診断を望むのは教師にも大勢いるはずだ。教室にAD/HDらしき子どもがいて困っている教師は、診断によって「ヤレヤレよかった。これで特別支援学級か学校へ行ってくれる」と安堵するだろう。もしかしたら補助教員がつくかもしれない。特別支援教育コーディネータも、診断によってこうした子どもの措置先や指導体制づくりが進むことで、荷が下りた気分になるのでないのか。特別支援教育に予算がつくのは歓迎すべきことだろう。バンバン診断が下るとこのような状況が起こるのである。

精神科医も次のように囁くのではないか。「これは病気である、あなたのせいではない。」、「支援を得るためにはAD/HDのラベルが有効である。」、「障害者のラベルがつけば公的な支援が得られる。」と。日本における児童生徒へのリタリンやコンサータなどのメチルフェニデートの服用と副作用に関する長期的な研究は一体あるのだろうか。薬に依存する者の割合は薬の種類と服用期間や服用量、年令、性別などの要因と関連があるはずだ。当然服用によって行動が改善された事例もあるに違いない。

国連の児童の権利委員会は、児童と青少年の情緒的・心理的な健康問題に対処するために効果的な措置を講じるよう勧告している。この委員会は、締約国がAD/HDの診断数の推移を把握しつつ、この分野における研究が製薬産業とは独立した形で実施されるよう勧告している。問題は日本で国連の勧告にそって、独立した調査ができるかである。産学共同研究にはこうした難しさもある。

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どうも気になる その17 発達障害と診断と治療 その5 「AD/HDは作られた病である」

2013年5月29日に、「AD/HDは作られた病であることを「AD/HDの父」が死ぬ前に認める」という記事が転載された。以下にある。
http://gigazine.net/news/20130529-adhd-is-made-by-industry/

記事の主たる論点や主張は以下のようなことである。
1. 「実際に精神障害の症状を示す子どもは存在するものの、過剰な診断と製薬会社の影響とによって注意欠陥多動障害(Attention Deficit/Hyperactive Disorder: AD/HD患者の数が急増している。」

2. 「”AD/HDの父”であるDr. Leon Eisenberg(レオン・アイゼンバーグ)の作り出したAD/HDは過剰な診断と相まって薬の売上を増加させた。」

3.「AD/HD患者の数が急増しているのは、AD/HDは過小評価されているいるとして、小児科医、小児精神科医、保護者、教師たちに思い込ませた製薬会社の力と、それまでは正常と考えられていた多くの子どもがAD/HDと診断されたことによるものだ。」

4. 「医者や教育者、心理学者の果たすべき役割は、子どもたちを薬漬けにすることではなく製薬市場から自由にすることである。」

筆者はこうした指摘を確認するために、2009年9月23日付けのNew York Times紙に掲載された「自閉症研究の先駆者、Dr. Leon Eisenberg死去、享年87歳」の追悼記事などを読んでみた。それらによると、確かにDr. Eisenberg氏は、「アメリカでは、製薬会社と医者との良好な関係によって子どもたちが流行のようにAD/HDと診断され、薬物治療を受けている」ことに警告している。
http://www.nytimes.com/2009/09/24/health/research/24eisenberg.html?_r=0

Dr. Eisenberg氏はさらに「AD/HDの診断は40年以上前には、あまり取り上げられなかったが、現在は子どもの8%がAD/HDと診断されている。それにより、中枢神経刺激薬の処方が極端に上昇した。」とも振り返っている。

中枢神経刺激薬であるメチルフェニデート(Methylphenidate)を含むストラテラ(Strattera)やコンサータ(Concerta)がAD/HDと診断される小児期の子ども対して幅広く処方されている。リタリン(Ritalin)も国内外で広く使われている。一般に、AD/HDの子どもに鎮静効果があり、衝動的行動や行動化の傾向を軽減するといわれる。それにより学校生活に集中できるようになるという。AD/HDの大人の多くは、メチルフェニデートによって仕事に集中することができるともいわれる。

Dr. Eisenbergは40年以上もの間、精神病理学の研究や教育、そして自閉症や社会医学の分野で活躍し、思春期の精神医学研究に対するいろいろな賞も受賞している。既に紹介した診断の手引きであるDSMやICD-10の作成にも関わってきた。こうした手引きで示された診断基準によって中枢神経刺激薬の開発が促進されたともいえる。Dr. Eisenberg自身も、自分の研究が思いもよらない方向に行ってしまうことを予見できなかったと振り返っている。そのことが彼の”AD/HD is a fictious disease.”「AD/HDとは虚構の病である」という述懐に伺える。

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どうも気になる その16 発達障害と診断と治療 その4 処方と「お薬手帳」

たまの外食に洒落たレストランへ出掛ける。この時ばかりはいつも飲んでいる焼酎は避け、ワインを注文する。「食堂」でのワインは雰囲気がでない。しばし食後の満足感を味わっていると連れ合いが袋をとりだしてテーブルに薬を並べる。それも一つや二つでない。ドバーッとである。これを見ると、「やっぱり食堂のほうが良かったか、、、」という気分になる。

大勢の高齢者が薬とかサプリメントを服用している。薬代の負担は本人達だけでなく納税者にもかかかっている。そこで「残薬」の問題である。連れ合いは毎月ホームドクターの所へ行って薬を処方してもらう。一月分である。「二月分だしてくれると助かる」とブツブツ言いながら出掛ける。だが今は、医師も薬の飲み残しに敏感になっている。「お薬手帳」を利用することで患者の薬の種類と量を正確に把握でき、複数の医療機関から同じ薬を処方されていないかどうかも薬剤師が確認できるようになった。

厚生労働省は、日本薬剤師会の調査をもとに2012年度に全国で7億9,000万件あった薬の処方箋について推計している。それによると180万件は「残薬」を理由に薬剤師が薬の量を減らすなどの対応をとり、それによって医療費をおよそ28億7,000万円抑制できたと報告している。180万件とは少なすぎる。まだまだ残薬問題はあるはずである。厚生労働省は、「お薬手帳」の利用をさらに促進したり、長期間にわたる薬を一度に処方される患者に対する薬剤師の服薬指導を徹底するなどとしている。患者の薬の量を正確に把握する取り組みは大事だ。多額の医療費の節約のほか、不要な薬の処方も減らせるはずである。

医者と薬剤師はより協力して患者の「残薬管理」をしてもらいたいものである。たとえば、医師の診察前に薬剤師が残薬を確認して、処方量を提案するといったことである。患者も薬の量を少しずつ減らす努力も必要ではないか。過度に薬に「信頼する」のは、薬がないと不安に駆られるからだろうと察する。なにか薬中毒のようである。医師は思いきって疾病にかかっていない「予備軍患者」には薬を減らす決断をしてもらいたい。点数をかせごうとするのは医師としての倫理に反するのではないか。製薬会社にもそこのセールスマンにも責任はある。

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どうも気になる その15 発達障害と診断と治療 その3 AD/HD

医学上の診断には、多くの場合薬の処方が伴う。そして薬剤師、看護師、そして医療費を負担する納税者がかかわる。薬剤の処方には本人のみならず社会の負担にもつながる。そして皮肉にも企業の利潤にもつながる。

もう少しDSMの診断分類に触れる。DSMー4では注意欠陥多動(Attention Deficit/Hyperactive Disorders: AD/HD)は「破壊的行動障害(Disruptive Behavior Disorder )」というカテゴリに入っていた。DSMー5では「神経発達障害(Neurodevelopmental Disorder)」に入るとされた。だが診断は一種の「仮説」を提供するくらいのものと考えられまいか。正しいということはないのだからである。

さて、アレン・フランセスの本に戻る。フランセスらは、DSMー4の編集には議論を尽くし慎重に作成したと書いてある。それでも子どものAD/HDの診断は15%増加すると見込んだ。しかし、実際には3倍に増加したというのである。感情の高ぶりの波が大きい双極性障害は40倍、自閉症は20倍になったともある。医師による診断の基準が曖昧になり診断のインフレーションが続いたのだ。

DSMー5の登場により、さらなる大きな間違いが起きている。それは新しい障害のカテゴリ化によって「新たな患者」を生んでいることだ。これはDSMー5の過度に広げた診断の網と編み目の縮小化によって健常な範囲にあると考えられる者も引っかかるようになったからである。このように過剰な診断が下され、不必要で不適切な量の薬が処方され、危険な副作用に悩むことが懸念される。製薬会社はしめしめとばかり、行き渡る疾病の広がりに伴う商法に新しい患者を招き入れていく、とフランセスは警告している。

フランセスは云う。DSMー4は誤用され診断上のバブルを生んだ。そして三つの新しい虚構の精神疾患である自閉症、注意欠陥多動症、双極性障害の増大を防ぐことができなかった。さらに、盛んに行われた診断上のインフレに対する措置を持たなかった。そのため精神医学の領域がその能力を越えて拡大したのである。DSMー5は不用意な診断基準を定めたため、ネガティブな成果しかもたらさない。だがDSMー5によって、「素晴らしく希望に満ちたパラダイムシフトが生まれた」と精神医学界ではいわれている。

フランセスはさらに云う。過度な診断によってもたらされるものは、極めて高くつき無視することができない。なぜなら新しく診断された者と社会全般にその影響が及ぶ。この診断のインフレによって多くの「患者」が抗うつ薬、向精神薬、抗不安薬、睡眠薬、鎮痛剤に依存することになりかねない。そうした有様は、まるで薬剤が花火のように吹き上げられるようなものだ。

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