ウィスコンシンで会った人々 その114  読み書き噺 「七の字」

江戸時代には読み書きできる者はかなりいたらしい。それは寺子屋の普及にあるようである。寺子屋は読み書きソロバンなど基礎的なことを教えていた民間の施設である。道徳なども教えていたとWilipediaにある。寺子屋が一般庶民の間に定着し、それによって識字率がかなり高くなったようである。

街頭で読み上げながら売り歩いた「読売」を競って買い求める庶民が多かった。「読売」は瓦版ともいわれ、かなり娯楽志向のガセネタもあったようだ。文字通り「人騒ガセのネタ」だ。タブロイド紙である。裏を返せば、読み書きができる庶民が多かったということである。苗字帯刀がご法度の頃である。

「読売」についてもう一つ。佐伯泰英の時代小説「酔いどれ小籐次留書」や「吉原裏同心」、「古着屋総兵衛」などでは、犯人の動きを探ったりおびき寄せるために、意図的にガセネタを「読売」で流す。現代も政治や経済の世界ではもこうした手法は使われる。

さて、演目「七の字」である。貧乏長屋の紙屑屋、七兵衞は「くず七」というあだ名で知られていた。家族がいなかった叔父が亡くなり、くず七は財産を相続してたちまち金持ちになる。そこで長屋を引き払い、一軒家に移って悠々と暮し始めた。それまで仲良くしていた住人との付き合いをぷっつりやめる。長屋の住人には歯牙にも掛けず、尊大な振る舞いで周りの者を呆れさせる。性格がすっかり変わってしまった。

ある日、くず七が床屋の前を通りかかると、床屋にたむろしていた長屋の太助と源兵衛がくず七を見付ける。二人が呼び入れて見ると、くず七は腰に筆と筆壺の矢立を差しているので、二人は問い詰める。

太助 「くず七、てめえ矢立なんぞ腰にさして、、長屋にいた頃は、自分の字も書けなかったはずだ」
くず七 「いいや、長屋にいた頃はあえて書かなかっただけだ。叔父が死んでから書き始めた」
源兵衛 「じゃ、ここで自分の名前の七って字を書いてみろ」
くず七 「書けたらいくら出すか?」
太助 「いやなこというな、、いくらでもやるよ。一文でも二文でも」
くず七 「さすが貧乏人だ。付き合いたくないな。一両出すなら書いてやら、、」
源兵衛 「今は一両を持ってねぇから、これから集めてくる。昼過ぎにここへこい!」

一両の工面に太助と源兵衛は床屋を飛び出す。他方、くず七は「さて、さて誰に字を教わろうか」と町内の手習いの師匠の所へやってくる。師匠の女房がいて教わることになった。「わかりやすく、この火箸を使い横に一本、縦に一本置いて、かかしにします。足を右に折って曲げれば七になります」と教わり、くず七もなんとかやってみて納得する。

くず七は勇んで床屋に戻ってきた。源兵衛と太助も一両集めてきて待っていた。くず七はもどかし気に、横に一本、縦に一本置いてかかしをつくる。二人は「こりゃ書けそうだ。一両取られる」と驚いて頭を下げて謝った。

太助 「勘弁してけれ。確かに書けるようだ。謝るからこの一両はなかったことにしてくれ」
くず七 「いいや。そうはいかない。この足を…………」
源兵衛 「わかったよ。右に曲げるんだろう?」
くず七 「いいや。左に曲げるのさ」

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