心に残る一冊 その45 「エミール」

架空の「エミール(Emile)」という金持ちの孤児で健康な少年を著者のルソー(Jean-Jacques Rousseau)が育てていくという設定で書かれています。誕生から年令にそって、子どもに何をどう教えるべきか、そして一人前の人間としてどのように育てるかという教育論が語られます。

ルソーはエミールをして、人間は生まれつき善良であることを知り、そのことによって自分自身によって隣人を判断できるのが大事だと説きます。社会がどのように人間を堕落させていくのか、人々の偏見のうちに社会のあらゆる不徳の源がなんであるか、個人の一人ひとりが尊敬を払うことの大切さも説きます。当時の教会を中心とする価値観や伝統などの慣習から解放され、個人の自由を理想とするとことを訴えます。

「神は、人間が自分で選択して、悪いことではなくよいことをするように、人間を自由な者にしたのだ。神は人間にいろいろな能力をあたえ、それを正しくもちいることによってその選択ができるような状態に人間をおいている。」

「学問の研究にふさわしい時期があるのと同様に、世間のしきたりを十分によく理解するのに適当な時期がある。あまりに若い時にそういうしきたりを学ぶ者は、一生のあいだそれに従っていても、選択することもなく、反省することもなく、自信はもっていても、自分がしていることを十分に知ることもない。しかし、それを学び、さらにその理由を知る者は、もっと豊かな見識をもって、それゆえにまた、もっと適切で優美なやり方でそれに従うことになる。」

伝統やしきたりで縛られる不幸な社会に生まれる子どもを、いかに「自然人」として育てあげるか。ルソーは「人間はもともと自由なものとして生まれた」というテーゼから論じています。

ルソーは、「自然による教育、人間による教育、事物による教育」という三つの柱を示しています。自然による教育とは、これは子どもの成長のことです。人間による教育は教師や大人による教育です。事物による教育は外界に関する経験から学ぶということだと主張します。

心に残る一冊 その44 「シートン動物記」–狼王ロボ

イギリス人作家アーネスト・シートン(Ernest T. Seton)の作品はいろいろと読みました。子どもにも大人も動物の不思議な習性や行動、そして家族の絆や群れのつながりを教えてくれる作品です。シートンは長くカナダやアメリカで生活し、アメリカ・インディアンの生活を理想とし、今でいうエコロジー(ecology)と自然主義を基調として著作活動をした作家として知られています。

日本で一般に知られた標題は「狼王ロボ(Lobo, the King of Currumpaw)」。合衆国西南部、ニューメキシコ州北部が舞台です。カランポー(Currumpaw)と呼ばれる地帯です。多くの馬、牛、ヒツジなどが放牧される丘と小川が広がります。そこに一匹の灰色オオカミ「ロボ」がいます。ロボは並み外れた知恵と力を持ち、一族の集団を統率します。その群れは毎日のように牧場を襲い、牛やヒツジを殺します。土地の人びとは、ロボに畏敬の念すら込めて「カランポーの王者、ロボ」と呼びます。

ロボには高額の賞金がかけられ、オオカミ狩りの経験を持つシートンにも捕獲の白羽の矢が立ちます。しかしロボは悪魔のような賢さで、仲間をしとめようとする人間たちの挑戦を退けます。あらゆる術策は尽きたかに見えたとき、シートンはロボとつがいであるブランカ(Blanka)に目を付けます。そして捕えて殺すことに成功します。彼女を失ったロボは狂いブランカの血の臭いにおびき寄せられてシートンの罠にはまってしまいます。

本作のモチーフは、アメリカの大平原で展開されたオオカミと人々の暮らしです。シートンは言うのです。「もともとアメリカでは、先住民のアメリカ・インディアンはオオカミを敬っていた。白人とオオカミとの間に接点はなかった。だが白人が野牛が皆殺しにしたため、オオカミは牧牛を襲うようになり、それに伴いオオカミ狩りが始まったのだ。」

心に残る一冊 その43 「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」

ドイツの社会学者テンニェス(Ferdinand Tönnies),が使ったゲマインシャフト(Gemeinschaft)とゲゼルシャフト(Gesellschaft)は、人間の社会関係を分析する概念として今も広く知れわたっています。ドイツ語辞書によりますと、「Gemein」とは市井の人、常民、庶民など、「Geselle」とは相棒、仲間、職人など,「schaft」は名詞・形容詞の語尾について、性質や状態が集まったものをあらわします。例えば、友達Freund にschaftが付くとFreundschaft で友情というわけです。ゲマインシャフトとは共同体組織、ゲゼルシャフトとは利益社会とか機能分化社会のことといわれます。

テンニェスによれば、人間の意志はさまざまな関係を営むとします。そこには肯定的な関係や否定的な関係があるのですが、大事なことは相互的な肯定の関係によって形づくられる集団である提起します。こうした集団はゲマインシャフトとゲゼルシャフトに区別されていきます。

まずゲマインシャフトとは、人間の根源的あるいは、自然的な状態としての人間の意思の完全な統一体であるとします。その例は、地縁、血縁、友情、家族、村落などです。こうした「共同体」は自然発生するというのです。町内会とか郷友会、自治会といった身近で緩やかな組織です。

これに対してゲゼルシャフトとは、平和的な仕方でたがいに生活していながら、本質的に結合しないで、利害関係に基づいて人為的に作られた利益社会を指します。近代社会の特徴はこのゲゼルシャフトの形成と発展にあるといわれます。その例は、大都市、国家、および世界という3つに代表されます。企業、同盟、連合体もそうです。

ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの分化は、人間関係に及ぼした影響です。関係が疎遠になり「疎外」ということが懸念されました。今ほど地域住民の相互性が強調される時代はありません。地域コミュニティの再形成を示唆したのがテンニェスの功績といえましょう。

心に残る一冊 その42  Intermission  感謝祭とPlimoth Plantation

今日で感謝祭の休暇が終わると、キリスト教会暦の典礼である待降節 (アドベント: advent)がやってきます。クリスマスのシーズンのことです。バッハ(Johann Sebastian Bach)のクリスマスオラトリオ(Christmas Oratorio)やキャロル(Christmas Carol )が聴かれる頃です。「12 Days of Christmas」もいいですね。こうした音楽を聴きながら、1600年代にイングランドやオランダなどからはるばる新大陸にやってきた人々ことを考えます。信仰が長い航海を支えていたとはいえ、さぞかし苦しい旅だったろうと察します。

ボストンから東南に車で一時間のところにメイフラワー号(Mayflower)が大西洋を渡って到着したプリマス(Plymouth)という港町があります。ここにメイフラワー号のレプリカが停泊しています。1620年9月にイングランドの南にあるPlymouthという港町から出航し66日をかけてこの地に到着し、その名がついたようです。そうした人々は巡礼者(Pilgrims)と呼ばれました。102名の乗船者中、最初の冬を越して生き残ったのは53名と半数の乗組員だったとあります。イギリス国教会からの信仰の自由を求めた人々です。1629年には清教徒(Puritans)がプリマスの北にあるセーレム(Salem)にも到着します。どちらもプロテスタントの人々です。

メイフラワー号に乗ってやって人々が作成した誓約書(Mayflower Compact)が残っています。後のアメリカ憲法の下敷きになったものです。この誓約は「アメリカ最初の憲法」という歴史家もいます。誓約書によって人々の暮らしや農場の秩序を保ったのです。

プリマスの郊外にある「Plimoth Plantation」のことです。1624年にイングランドからやってきた人々がこの居住地を開拓したという記録があります。今でいうコロニーです。ここには、住居、鍛冶屋、パン屋、洋服屋、学校、集会所、家畜小屋、倉庫、貯蔵庫、チャペル、そして牢屋もあります。当時は300人くらいが住んでいたようです。農場の柵の外で小麦や大豆、コーンなどを作りました。こうして共同体の生活が営まれました。ここは現在、入植当時の生活を再現した野外博物館となっています。プリマスは「アメリカの故郷」と呼ばれ、歴史的遺産を数多く残す観光地となっています。なぜか”Plimoth”と”Plymouth”は使い分けられています。

心に残る一冊 その41  Intermission  感謝祭と勤労感謝の日

今、アメリカ国民は感謝祭(Thanksgiving) の休暇を楽しんでいます。昨日、家族と友達に電話して祝いの言葉を伝えました。そして、”I miss you all!”と叫びたくなりました。

11月23日勤労感謝の日はかつては新嘗祭とも呼ばれました。五穀の収穫を祝う風習は古から今でも地方では続いています。神事が中心でしたが1947年から国民の祝日となりました。

ついでですがカナダの感謝祭は10月の第2月曜日です。土曜日から月曜日の3連休となります。国によって期日は違いますが、年の収穫に感謝を込め喜びを表し、翌年の豊穣を祈るのはいずこも変わることのない習慣です。

収穫の品を前にして、働きによって自然から受けた恵みに感謝するのがThanksgivingです。感謝祭の由来は、家庭や学校で子どもたちに言い伝えられています。

「空の鳥を見なさい種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。」(マタイによる福音書 6:26)

心に残る一冊 その40  Intermission  初めての感謝祭

1978年11月26日、高速道路のInterstate-IS-94は冷たい風と小雪が舞う天気でした。留学最初の晩秋です。頂戴していた地図を頼ってマディソン(Madison)からミルウオーキ(Milwaukee)にお住まいのハス元宣教師宅(Rev. LeRoy Hass)に着きました。感謝祭(Thanksgiving) の晩餐にお招きいただいたのです。この先生はドイツ系福音派の方で、代々靴屋を生業としていたそうです。私の靴を見て「新しく良さそうな靴だね」と声をかけてくれました。「これはマディソンのモールで買いました」と説明しました。

ハス師は、日本での伝道に20年あまり従事していたので日本語には全く不自由しません。私も家族もまだ言葉の壁がありましたので、くつろぐことができました。感謝祭の宴はさして豪華ではありませんが、賛美歌を歌い短い奨励という感謝祭の意義を語るハス師の言葉に聞き入りました。そして食事が始まりました。

エプロンをしたハス師自らが七面鳥(Roast turkey)の丸焼きにナイフをいれて、細かくします。肉は白い部分と灰色の部分に分けられます。白いのは鶏肉に似ています。灰色のは少し粘り気があります。皿に盛られた肉が手渡しされてそれを少しずつ自分の大皿に盛りつけます。七面鳥のお腹の中には、スタッフィング(stuffing)という乾燥させた角切りのパン、米、野菜や果物などを混ぜた詰めた中身が入っています。肉からの汁が染みて美味しいものです。

七面鳥の肉にかけるのがグレイビーソース(gravy sauce)。このソースはマッシュポテトにもかけます。そして肉に添えるのが甘酸っぱいクランベリーソース(cranberry sauce)です。さらにサイドディッシュとして、グリーンビーン(green beans)、スクオッシュ(squash)が並びます。食事が終わるとパイやケーキがデザートとしてでます。どれも奥様ルースさん手作りの品です。これにアイスクリームをのっけていただくのが習わしです。

家の中は暖房が効いてお腹もいっぱいになり心地よい気分です。テレビでは感謝祭の日の恒例行事、アメリカンフットボールが放映されています。皆感謝祭の食事をしているので、視聴率が高いのです。その夜はハス師のお宅に家族5人が泊まりました。初めてのアメリカでの感謝祭でした。もうあれから40年が経ちます。ご夫妻は既に召されています。

Hass師の娘のDebbie Madiganさん(右)と友人

心に残る一冊 その39 「若きウェルテルの悩み」

5月4日に始まり、9月10日におわるこの小説の第一部は、ヨハン・ヴォルフガング・ゲーテ(Johann Wolfgang von Goethe)の処女作で、自身がその当時、友人と妹コルネリア(Corneria)にあてて書いた手紙をもとに構成されています。物語られることは、ほんどすべてウェルテル(Werthers) の恋人ロッテ(Charlotte Buff)への愛を中心としています。ウェルテルはそのままゲーテの青春のようなのです。ドイツ語の原題は「Die Leiden des jungen Werthers」となっています。Werthersの発音はドイツ語読みではウェルタ−、 Charlotteの愛称はロッテとなっています。

前半では、ウェルテルが自殺にまで追い込まれるような悲観的な雰囲気がでていないばかりか、むしろ健康的であるということを印象でけています。しかし、不安に絶えきれなくなったウェルテルはロッテの魅力から逃走します。

「ああ、わきたつ血が血管のすべてをかけめぐる、ふとぼくの指が彼女の指にふれ、ぼくたちの足がテーブルの下で出会ったりするときに。火にふれたようにそれをひっこめる。あらゆる感覚が迫ってきてくらくらっとする。」

「承知しました。愛するロッテ。万事取りはからいます。どうかたくさんご用を言いつけてください。どうかなんどでも。一つお願いがあります。ぼくに書いてくださる便箋に、どうか吸い取りの砂をまかないでください。きょう、それをいただいて、いそいでくちびるにもっていきました。おかげで歯がじゃりじゃりになりました。」

第二部は10月20日から12月6日の日記となります。舞台の季節は春から秋に移ります。明るい自然は陰うつな雰囲気にかわります。身辺におこるさまざまな不愉快な事件のために、すっかり憂うつになったウェルテルは、世間的な希望を失い、はてはロッテに対する恋にもまったく希望を持てなくなります。そして自殺の道を選びます。

「人間を幸福にするものが、また人間の不幸のもとになるということは、避けがたいことだったのか?」

著者ゲーテはウェルテルこのように言わしめます。このゲーテの作品は、お涙頂戴の物語ではありません。「恋愛、芸術、思想などどんあ分野であれ、絶対的名ものに人が執着するときの避けられない宿命的な結末が主題である」とブリタニカは記述しています。

日本でゲーテの名を知らしめたのが1913年に森鴎外が「ギョエテ伝」を出版したことだといわれます。それ以来、若者の間で「ギョエテとは俺のことかとゲーテいい」といった駄洒落も流行しました。ゲーテの作品中、日本で最も多く重ねて翻訳されたのがこの「若きウェルテルの悩み」とわれます。

心に残る一冊 その38 「クォ・ヴァディス(Quo Vadis?)」

ポーランドの作家ヘンリク・シェンキェヴィチ(Henryk Sienkiewicz) の作品です。私が学生のときに手にした小説です。「クォ・ヴァディス(Quo Vadis Domine)」というのはラテン語だそうです。その意味は、「あなたは一体どこへ行こうとしているのですが?」 Quoはどこへ、Vadisは行く、Domineは主人という意味です。

この小説のモチーフはヨハネによる福音書(Gospel according to John) 16章5節 や使徒行伝(Acts)にあるキリストと使徒ペテロとの対話です。ペテロ(Peter)はキリストの逮捕、磔という受難を知らず、「先生、どこへ行かれるのですか?(Quo Vadis, Domine?)」と尋ねます。キリストは言います。「ローマで伝道してくるが、やがて捕らえられるだろう、、」

時代はローマ帝国、ネロ・クローディアス(Emperor Nero Claudias)の治世です。本書はネロ帝治下のローマを舞台です。若いキリスト教徒の娘リギア(Lygia)と、ローマ人マルクス・ウィニキウス(Marcus Vinicius)の間の恋愛をいきいきと描きます。リギアはスラブ系の出身。そんな家系のリギアにローマ軍の大隊長であるマルクスは恋に落ちます。マルクスは彼女がキリスト教徒であることを知りません。当時、キリスト教は禁教ですから、二人の恋の成就は困難かにみえました。しかし、二人の絆は深まります。「リジアのためにその神を信じます」とマルクスは誓います。

ネロによるキリスト教徒の迫害が始まります。ローマで大火が起こりますが、それをキリスト教徒の仕業であるとネロは宣言します。実はローマに放火したのはネロの命令だったのです。やがて二人は逮捕されて闘技場コロセオ(Colosseo)に連れられます。キリスト教徒がライオンの餌食になり、また火あぶりになる様子をリギアやマルクスは見守ります。

コロセオでは奇蹟が起きます。マルクスは群衆に叫びます。「ネロがローマを焼き、多くの人々を殺した。圧制は終わりだ。」 ローマ市民が呼応してネロの圧政に立ち上がります。

心に残る一冊 その37 「主体性:青年と危機」

自分の75歳の過去で一度読み終わり、再度読みたくなる本をランダムに採り上げています。この拙稿のシリーズを始めてから、埃のかかった古本を手にし、かつてメモした筆跡に触れています。

「青年と危機」という本の原題名は「Identity: Youth and Crisis」。その名のとおり、青年が葛藤し追求する主体性とは何かを方向づけてくれる本です。青年期とは、「自分とは一体何なのか」「充実した生活をどうしたらできるか」「どんな職業が自分に向いているのか」といった問いかけをしながら、自分自身を形成していく時期です。著者エリック・エリクソン(Erik Erikson)によれば、「これこそが本当の自分だ」といった印象を実感すること、主体性あるいは自己同一性と呼びます。個人独自の存在であることの証明、それがアイデンティティだというのです。

エリクソンの研究の方法は以下の引用に示されます。
「アイデンティティを論ずる際に、個人的な成長と共同体的な変化とを切り離すことはできない。個人の人生におけるアイデンティティの危機と歴史的な発達における現代との危機とも切り離すこともできない。なぜなら両者は相まって、互いに他を定義し合い、真に相互関連的だからである。

人格心理学や社会心理学には、アイデンティティ、またはアイデンティティの形成という概念としばし同一のものとみなされているいくつかの用語がある。たとえば、一方では自我意識、自画像、自画評価などであり、他方では役割多義性、役割葛藤、役割喪失などと呼ばれている用語である。しかし、そのような用語を使って研究領域をカバーしようとする方法は、人間がどこからどこへ向かって発達するのかを解明しようとする人間発達の理論をいまだに欠如している。」

著者エリクソンは、伝統的な精神分析学的な方法もまたアイデンティティを十分に把握することができないと主張します。どうしてかというと、精神分析学は環境というものを概念化する用語を作り出せなかったからだというのです。心理社会的発達の視点が欠けているからです。

心に残る一冊 その36 「告白教会と世界教会」 告白教会とは

この著作「告白教会と世界教会」はドイツ福音ルーテル派の神学者、ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer)によります。ブリタニカ国際大百科事典から引用しながら、「告白教会」の特徴を考えることにします。あまり聞き慣れない教会名のようですが、カトリック教会とかプロテスタント教会というような包括的な名称であると前置きしておきます。

告白教会(Confessing Church)、(Bekennende Kirche)というのは、1933年に政権の座について国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)に反対するドイツの福音主義教会に属する牧師、信徒たちがモーセ(Moses)の十戒の第一戒を旗印として結成した組織といわれます。第一戒とは「わたしのほかに神があってはならない」というものです。教会をナチズムのプロパガンダの手段としようとしたヒトラーに抵抗して,ドイツのプロテスタント諸教会内に生れた信仰覚醒運動ともいわれます。

最初、ワイマール共和国(Weimarer Republic)はわずか14年間に21もの内閣が生まれては崩壊するという有様で、諸教会は共和国への反感などからヒトラーに好意的であったといわれます。ナチス支持のドイツ・キリスト者は、1933年結成のルター派(Lutheran Church),改革派(Reformed Church),合同領邦教会(Landes kirche)の連合体であるドイツ福音教会を牛耳り,聖書と宗教改革の信仰告白を脅かします。

これに反対するマーチン・ニーメラー(Martin Niemoller)らの青年改革運動が形成されます。同年 11月緊急牧師連盟を組織してドイツ・キリスト者に対抗し、1934年5月にルール地方のバルメン(Barmen)におけるバルメン会議(Synod of Barmen)の宣言となって積極的にナチズムと対決していきます。この会議は告白大会(Synod of Confession)とも呼ばれています。

こうしてドイツのプロテスタント諸教会は,国家統制下の教会と告白教会に二分されます。 1936年ルター派領邦諸教会は別個の評議会を組織します。改革派,合同派は告白教会内でユダヤ人迫害とか安楽死に積極的に抵抗していきます。しかし結局は地下活動に追いやられ,第2次世界大戦中は,逮捕,徴兵などで組織は大打撃を受けるのです。戦後はドイツ福音教会が再編されるとともに評議会は解散します。