「初蕾」の二回目です。うめの乳母としての役割は、小太郎の一歳の誕生までということになっていました。やがて、せめて立ち歩きのできるまでということになり、うめの乳母は続きます。児に愛をもってしまっては身がひけなくなる、深い愛情の生まれないうちに出ようとうめは決心していました。
然し、怖れていた愛情はすでにぬきさしならぬ激しさで彼女を小太郎に結びつけていきます。それだけでなく、小太郎をとおして梶井夫妻までその愛情がつながっていくのです。実はうめはお民だったのです。
良左右衛門はうめに素読を教えることになり、決まって少しずつ稽古をしていきます。小太郎は六つのときに疱瘡にかかります。うめは昼夜一睡もせず看病をするのです。やがて小太郎は袴着の祝いをします。そのとき、老臣が半之助の居所を良左右衛門に伝えるのです。殿が昌平坂学問所の日課に出たとき、講壇にあがったのが半之助でした。その才能を認められ学問所の助教に挙げられたのです。殿が帰国のときに半之助もお供をするというのです。それを側できいていたうめは愕然とします。
うめは鳥羽の海の見える梅林の中にやってきます。
「どうしてお泣きになるの」
うめが振り返るとはま女は小太郎を連れています。
「半之助が帰ってくるのです。喜んでもいいはずではないか、あなたがお民どのだということも、小太郎が半之助の子だということも、私たちはずっと以前からわかっていたのですよ」
「でも、ご隠居さま、わたしは決して、、、」
「仰るな、過ぎ去ったことは忘れましょう、半之助が帰ってくること、小太郎をなかに新しい月日のはじまること、あなたはそれだけ考えればよいのです」
「わたしにはできません、、、」
「わたしは梶井家の嫁になる資格はございません」
「そうするつもりもございませんし、半之助さまに対しましても、、」
「もう一度云います。過ぎ去ったことは忘れましょう。七年前のあなたも今のあなたとの違いは私たちが朝夕一緒にいて拝見しています。旦那様がなぜ素読の稽古をなすったか、あなたにもわからないことはないはずです」
はま女はそういって傍らの梅の枝を指します。
「ご覧なさい、この梅にはまた蕾がふくらみかけています。去年の花は散ったことを忘れたかのように、どの枝も始めて花を咲かせるような新しさで活き活きと蕾をふくらませています」
「帰ってくる半之助にとっても自分が初蕾であるように、あなたの考えることはそれだけです」
「女にとってはどんな義理よりも夫婦の愛というものが大切なのですよ」
「おかあさま、、」 うめは泣きながらはま女の胸にもたれかかるのです。