ENCYCLOPÆDIA BRITANNICAを資料として、ラテン語の歴史と中世ヨーロッパについて勉強します。中世ヨーロッパは、六世紀頃から十五世紀くらいとしておきましょう。その頃、ラテン語は唯一の公用語として法令や証書、史記などの重要な公文書では必須のものでした。聖書ももちろんラテン語訳でありました。教会関連の著作、講解、典礼、説教などすべてラテン語が使われました。
ラテン語の教育は社会文化の基礎となります。フランク王国(Frankenreich)のカロリング朝(Carolingian)における一般教育政策や教会附属学校における初等中等教育などでは、なににもましてラテン語の読み書きを課したのは当然です。フランク王国は、フランス,ドイツ西部,イタリア北部にまたがる西ヨーロッパの中核地域を統一した最初のキリスト教的なゲルマン国家といわれます。その中心都市がアーヘン(Aachen)でした。
フランク王国の為政者、カール大帝(Karl der Große)は英語読みではチャールズ大帝(Charles)といわれます。チャールズ大帝は、後に初代の神聖ローマ皇帝として君臨します。内外から高名な学者や知識人、修道士を宮廷に招聘し、一般にカロリング朝ルネサンス(Carolingian Renaissance) と呼ばれるラテン語の教育に基づく文化運動を提唱したともいわれています。特にカロリング小文字が標準の書体として採用され、王国全体で使用されるようになったのもチャールズ大帝の功績といわれています。
一般社会の状況とは別に、知的な営為の中でラテン語は自由七科の基礎となったといわれます。自由七科とは、中世のヨーロッパにおいて必須の教養科目とされた学科のことで、文法学,修辞学,弁証論からなる初級の三科と,算術,天文学,幾何学,音楽学の上級四科からなります。リベラルアーツ(Liberal Art)の原型です。
文法学は、狭義のラテン語学として、語法規則を集成した初等学校から大学に至るまで、ラテン語法は古典ラテン語の基準に従って教えられたようです。弁証論は形式論理の表現手段で、時制、法、態、接続詞などの形式的な特質が論じられます。さらに修辞学としては、ラテン語の統辞法(syntax-シンタックス)が論述の展開の基礎として援用されます。