心に残る一冊 その111 「小説日本婦道記」 その九 「尾花川」

膳所藩は近江国大津周辺にあった藩で彦根藩に次ぐ譜代藩です。関ヶ原の戦のあと、幕府が全国の諸大名に命令し行わせた土木工事が天下普請。膳所城はその第一号と云われます。京都の東の守りを固める目的で築かれたようです。藩主家は本多家です。藩政安定化のため、漁民を保護してしじみの豊漁を奨励したことで知られていました。

幕末期、頻繁に異国船が渡来し各地で尊王攘夷の声があがっていた頃です。膳所藩も攘夷派と佐幕派が対立しています。河瀬太宰は尊王攘夷の波の中にいます。やがて佐幕派が藩内で力を盛り返します。あるとき、将軍家茂が膳所城に宿泊することになっていたのですが、藩内に不穏な動きがあるというので、宿泊は取りやめとなります。藩は恥をかくのです。そのため藩は尊攘派の藩士を検挙します。

河瀬宅は琵琶湖から離れ近くに尾花川が流れ、屋敷も広く幕吏の追捕を逃れる者にはいい隠れ場所でした。尊攘派の同志は河瀬の家に、我が家のようにやってきて静かな一時をすごしたり、志を語りあいます。幸子は客人を温かく迎え酒食も費用をいとわず気を配ります。客人をして「百日の労苦が一夜で癒される」と云わしめたくらいです。

太宰の妻幸子はゆったりした体つき、口数は少ないのですが、はきはきとしたなかに温かい包容力をもった婦人です。年齢からも気性からも老臣の五男に育った太宰には姉という感じで、一種の圧迫感を受けるばかりでした。太宰は膳所藩の家臣です。

やがて幸子のもてなし方がよそよそしくなります。安い鮒を買い、酒はもうないといって食事をだしたりして、吝嗇にちかいもてなしなのです。太宰がそのことを尋ねると幸子は云います。この家へ立ち寄りくださるときくらいは、身にかなうおもてなしをして、せめて一屋なりとも心からご慰労もうしたい、そう考えて至らぬながら酒肴の吟味もしてきた、しかし、この世情不安の中で、いまは禁裏でさえ食べるものに難儀しているという、事に身を捧げる志士の日夜のご辛労はどれほどか、それなのに酒肴を吟味するなど許し難い行為だ、と云うのです。

幸子は太宰に云います。「ひともわれもできるだけ費えをきりつめ、あらゆるものを捧げて王政復古の大業のお役にたてなければなりません。」

太宰は妻の言葉を聞いておのれの迂闊さを恥じ入り、決意します。どんな人間よりも謙虚に、起居をつつしみ困苦欠乏とたたかって大業完遂の捨石とならなければと、、、