ユダヤ人と日本人 その6 なぜユダヤ人に関心を抱くのか(2)

私がユダヤ人に関心を抱くきっかけとなったもう一つの理由は、その民族の不思議な歴史にある。これほど流浪を続け迫害を受けた人種はないであろうと思うほどである。旧約聖書にある出エジプト記にある「エクソダス」(Exodus)はユダヤ人の流浪の始まりである。そうして全世界に離散(diaspora)していく。

「エクソダス」は、旧約聖書の申命記(Deuteronomy)などで記述される「乳と蜜の流れる場所(a land flowing with milk and honey—the home of the Canaanites)」、「豊穣の地」、「 恩寵の地」、「安住の地」を求める旅である。神がアブラハム(Abraham)の子孫に与えると約束したカナン(Canaan)である。カナンは地中海とヨルダン川、そして死海に挟まれた地域といわれる。

離散された民、ディアスポラは離散先での永住と定着を示唆している。そこには偏見や差別に満ちた世界でもある。だが彼らは難民ではない。難民は元の居住地に帰還する可能性がある。ディアスポラにはそれがない。

近代の「エクソダス」は中東からヨーロッパへの大量移住がよく知られている。ユダヤ系のディアスポラのうちドイツ語圏や東欧諸国などに定住した人々とその子孫はアシュケナージム(Ashkenazim)と呼ばれる。語源は創世記10章3節に登場するノア(Noah)の子孫として「アシュケナズ」(Ashkenazi)である。

アシュケナージムの離散の歴史を調べると、まさに過酷さのそれといえそうである。その最たるものが、精神科医ヴィクトール・フランクル(Viktor Frankl)の「夜と霧」に記される強制収容所送りであろう。この体験記の翻訳はみすず書房から1946年に出版された。
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ユダヤ人と日本人 その5 なぜユダヤ人に関心を抱くのか(1)

このシリーズの最初に記したが、私には留学中にお世話になったユダヤ系のアメリカ人がいる。現在、ミルウォーキー(Milwaukee)の郊外で整形外科の医師をしている。熱心なロータリークラブ(Rotary Club)の会員で週一の例会は欠かしたことがない。出張したときは、近くにある別のロータリークラブの例会に出席するのだそうだ。奉仕活動にも積極的に参加し、中南米の医療チームに加わったりした。

私は国際ロータリインターナショナル(Rotarty International)からの奨学金でウィスコンシン大学で学ぶことができた。そのスポンサーがこの人である。名前はDr. Robert Jacobsという。Jacobsとはユダヤ人の名、「ヤコブ」と日本語では表記される。

大学に入って早々、留学生を迎えるためにマディソンまでワゴン車で迎えにきてくれた。そしてご自宅にホームスティさせてくださった。その時、ご自身が長老をされているシナゴーグ(Synagogue)に連れて行ってくれた。礼拝所に入る前にヤマカ(yamaka)という帽子をちょこんと頭に載せた。Dr. Jacobsは熱心なユダヤ教徒である。

さてユダヤ教のことである。ユダヤ教がキリスト教と一線を画する点は、新約聖書(New Testament)イエス・キリスト(Jesus Christ)の誕生には言及しないことだ。旧約聖書における唯一の神、ヤハウェ(Yahwe)を拠りところとする。ヤハウェは全世界の創造神とされる。なお新約聖書では、エホバというように使われる。

ユダヤ人の精神性は二つの律法から形成されていると考えられる。一つはトーラ(Tola)である。モーゼが記したといわれる旧約聖書の最初の5つの書のことを指す。トーラは律法のことである。もう一つはタルムード(Talmud)である。ユダヤ人の生活、宗教、道徳に関する口伝で語り継ぐべき教えの集大成である。

Dr. Jacobs家の先祖は、第一次大戦後、東欧ポーランドのあたりから迫害を逃れアメリカ大陸に移民してきたのだそうだ。人種差別や迫害の歴史はユダヤ人のことであるといっても過言でないほど、翻弄されたものである。私はこのことをDr. Jacobsから教えられた。
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ユダヤ人と日本人 その4 「Le Concert」から考える(4)

ユダヤ系ロシア人音楽家の苦悩と喜びを描いた映画「Le Concert」の大団円である。

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そして遂に公演の夜になる。パリ市内で好き勝手なことをしてた団員は、携帯電話からの連絡で公演がリアを追悼する演奏会であることを知らされ劇場に集まってくる。だが一度もリハーサルはしていなかった。

その間、ボリショイ劇場の支配人がたまたまパリに休暇にきていた。そして偽のボリショイ楽団の演奏会のポスターを目にする。あわてて演奏を中止しようとする。マネージャーのガブリロフは支配人を清掃具入れに押し込めて演奏中止を阻止する。

公演の幕が上がる。だが練習不足やリハーサルなしのぶっつけ本番で調子っぱずれの演奏が始まる。聴衆はざわつく。それでも、団員が自主的にハーモニーを引きだそうとするアンドレの演奏の理念を団員は知っていた。そして、アンマリーの類い稀なるヴァイオリン独奏の技巧は聴衆を魅了する。彼女の技巧は、実は母親であったリアが注釈をつけた楽譜から学んだものであった。

公演は大成功裏に終わり、その後この楽団はアンドレを指揮者とする「アンドレフィリポ・オーケストラ」として再出発する。世界各地での演奏会にはアンマリーがいつも独奏者として同行するのだった。

この映画は偏見と差別、迫害を描いて残酷である。ユダヤ系ロシア人は長い厳しい道を歩んできた。それでもなお弛まなく挑戦する姿に共感と感動を与えるのである。

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ユダヤ人と日本人 その3 「Le Concert」から考える(3)

 

ソ連体制から”ユダヤ主義者は人民の敵”と称されたユダヤ系の演奏家の矜持を描いたフランス映画「Le Concert」の続きである。
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いよいよ、なりすましのボリショイ楽団はパリ公演にでかける。パスポートを業者に偽造させたり、楽器は借り物、演奏会用の洋服や靴をそろえるなどドタバタが続く。そしてパリにやってくる。だが団員は物見遊山ツアー気分で、パーティを楽しんだり、持参したキャビアを売ったり、タクシーの運転手などをして金儲けを始める。団員は集まらずリハーサルは流れてしまう。

このような団員のプロ意識の低さやアンドレの音楽界復帰のチャンスという意図に嫌気をさしたアンマリーは出演を断る。それをきいたチェロ奏者のアブラモビッチは、彼女に対してこの公演はアンマリーの過去や未だに会ったことのない両親を思い起こす機会となるとして出演を説得する。アンマリーは、幼い頃から両親は科学者で、アルプスで亡くなったきかされていた。

アンドレと妻のイリーナ(Irina)はユダヤ人音楽家であったリア、イヤーク・ストルム夫妻( Lea and Yitzhak Strum)の親友であった。リアはヴァイオリン奏者で、KGBによって演奏を停止させられた時のヴァイオリン奏者であり、指揮者はアンドレであった。

二人は自由ラジオヨーロッパ局やアメリカラジオ局を通じてブレジネフ政権やKGBの圧政と弾圧に公然と批判する。KGBが二人を連行しようとしたとき、二人はフランスからモスクワに公演にきていた楽団で演奏していたギレーネ(Guylene)に乳飲み子を託し、ギレーネはその赤子をチェロのケースに隠してパリに逃れるのである。その赤子こそがリアの娘アンマリーであった。
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ユダヤ人と日本人 その2 「Le Concert」から考える(2)

ソ連の政治体制への批判やユダヤ系ロシア人の気概がおかしみと真剣さを込めて描かれているフランス映画「Le Concert」の2番目のプロットである。

KGBのエージェントであったガブリロフ(Ivan Gavrilov)は、アンドレのパリ公演案を彼なりに注目し、一儲けをしようとしてアンドレのマネージャとなる。だがアンドレから公演を持ちかけられたかつての首席チェロ奏者アブラモビッチ・グロスマン(Abramovich Grossman)はこの計画に疑心暗鬼であったが、結局それに加わることにする。

ガブリロフとアンドレは、シャトレ劇場に対していろいろな要求をつきつける。パーティとかセーヌ川船上での夕食会などである。それは、ロスアンジェルス交響楽団を招くよりも費用が安いというのが要求の理由であった。また、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の演奏者をパリに在住するアンマリー・ジャケ(Anne-Marie Jacquet)とすることも要求する。

ところがアンマリーはこの協奏曲を一度も弾いたことがなかった。だがボリショイ楽団と演奏したかったこと、さらにロシア以外でも有名だったアンドレと一緒に演奏したかったので、演奏依頼を引き受ける。

アンマリーの付き人であるギュレーネ・リビエラ(Guylene Riviera)は実はアンマリーの養母であった。彼女はこの演奏会にアンマリーが出演することにためらっていた。その理由は、ギュレーネがアンドレの過去を知っていたからだった。

さて、なりすましのボリショイ楽団は知名度の高かったマフィアのボスから支援を受ける羽目になる。このボスは自分も技術は酷いのだが舞台でチェロを弾きたいと願い出る。
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ユダヤ人と日本人 その1 「Le Concert」から考える(1)

しばらく「ユダヤ人と日本人」というテーマを考えていく。私個人の留学におけるユダヤ系アメリカ人スポンサーとの交誼、戦前の杉原千畝氏の活躍や満州で近所に一緒に住んでいた白系ロシア人との付き合い、父や叔父が樺太で抑留されていたときのロシア人との交流、1970年頃読んだ「日本人とユダヤ人」と著者イザヤ・ペンダサンなどがこのテーマの下敷きになっている。

「Le Concert」という映画を観た。2009年にフランスで製作された。一見コメディ風だがロシアの政治体制や人種、マフィアなどへの風刺もきき、音楽の素晴らしさを交えながら、社会問題を掘り下げた味わい深い佳作である。特に体制への批判やユダヤ系ロシア人の気概がおかしみと真剣さを込めて描かれている。

さて本シリーズは、映画「Le Concert」のあらすじから始める。舞台はモスクワ(Moscow)のボリショイ(Bolshoi Theater)劇場である。かつてボリショイ歌劇場交響楽団(Bolshoi Theater Ochestra)で世界的な指揮者「マエストロ」といわれたアンドレ・フィリポ(Andrey Simonovich Filipov)は、今は同劇場の掃除夫として働きアル中になっている。

アンドレは30年前に、当時のブレジネフ政権(Leonid Brezhnev)によるユダヤ人楽団員の排斥に抵抗したために、チャイコフスキー(Tchaikovsky)のヴァイオリン協奏曲を演奏中にKGBのエージェントであるイワン・ガブリロフ(Ivan Gavrilov)によって中止させられ、団員とともに楽団を解雇され掃除夫となる。

劇場支配人の部屋を掃除しているとき、一枚のファックスがでてきた。アンドレはそれを手にとって読むと、パリの有名なシャトレ劇場(Chatelet Theatre)からのもので、ロスアンジェルス交響楽団(Los Angeles Philharmonic Orchestra)の代わりにボリショイ楽団にパリで演奏してもらいたいという招待状であった。アンドレはそのファックスを手にして、かつての団員に呼びかけオーケストラを組織し、ボリショイ楽団になりすましてパリで公演しようと画策する。

古いユダヤの音楽やジプシー音楽を弾いているかつての団員など、追放された仲間に声をかけてチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲をシャトレ劇場で演奏しようと持ちかける。この曲はKGBによって中止に追い込まれた怨念の曲であった。
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無駄から「無」を考える その8 ゼロと帰無

「無駄から無を考える」シリーズの最後の稿となった。

我々が毎日使っているコンピュータは、電子計算機という別称のように計算が大得意である。電卓もそうである。だが計算は0,1,2,,,,9 という十個の数字による、いわゆる十進記数法そのままで行われるのではない。日常使う「十進法表記」をコンピュータ内部で「二進法表記」に書き換えた上で、加減乗除がなされ、その結果を十進法表記に書き戻している。

二進法表記とは、「0」と「1」という二つの記号だけであらゆる「自然数」を表す方法である。ここでも位取り記数法が使われ、十進法表記となんら変わりない。コンピュータでは、たったの二つの数字しか必要としない。「0」を「無い」、「1」を「ある」、あるいは0を「No」、「1」を「Yes」としている。「0」と「1」使う二進法の効用とは、あらゆる計算をこの二つの数字で行うことができることである。「0」がいかに重要な数字であるかをいいたいのである。

ゼロに似た語に「null」がある。英語では「ナル」と発音されるがこれは「何もない」という意味である。ラテン語で「無」を意味する「nullus」に由来し、ドイツ語でもnullは0を意味する。英語では、「null」 はzero または empty と交換可能である。例えば、零行列でいうnull matrix は zero matrix、空集合でのnull set は empty setという具合である。

統計学でも「null」が使われる。帰無仮説とされる「null hypothesis」である。帰無仮説とは、ある仮説が正しいかどうかの判断のために立てられる仮説のことだ。例えば、「男と女で読書時間に差はない」とか「二つの薬の効果は同じだ」といったことである。

帰無仮説は棄却されて始めて研究者の調査や実験の意図が達せられる。この意味で無に帰される仮説と呼ばれる。大抵、研究者は否定されることを期待する。だが帰無仮説が採択されたからといっても,必ずしも帰無仮説として立てられた内容が正しいことにはならない。確率と実際の事象には違いはある。従って「無に帰せられる」といってもゼロになるとは違う。ここが少々悩ましい。

無駄から「無」を考えてきたつもりだが、どうもテーマが複雑で筆者の理解はまだまだ十分ではない。多くの時間をかけて調べ、考えてきたことが無に帰するようなのだが、無駄ではなかったと振り返っている。
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無駄から「無」を考える その7 「ゼロということ」

中国への仏教の伝来は一世紀頃と推定されている。仏教伝来以前の中国、紀元前六世紀頃は老子や荘子らの道家思想でいう「無」が広く受け容れられてきた。「無」とはゼロの観念とは異なり「無と有の中間の存在」と考えられたということが日本佛教文化辞典や諸氏百家にみられる。

仏教の根本問題である「空」との関連である。数学的には「0=ゼロ」を意味するのか? XとYという座標軸に沿っている記号を根源で支える点(原点)、ゼロ記号としてのこの支点がなければ、X軸もY軸も存在しない。ゼロは抽象的な形体や世界を指示するための象徴記号として作用している。この0の発見によって無限の数列が可能になった。このような考え方は、インド仏教の根底に流れる思想といわれる。

我々が通常使っている数字は算用数字。これはアラビア数字(Arabic numerals)のことだがもともと起源はインドにあり、インド数字(Indian numerals)とも呼ばれる。それに対してローマ数字(Roman numerals)は文字の組み合わせである。ローマ数字はラテン文字(Latin)の一部を用い、例えば I, II, III, Xという具合である。ローマ数字に「0」という文字はないのも特徴とされる。1000を超える数の表記法は複雑だった思えるが、それには大きな数を扱う機会が少なかったためという説もある。ともあれローマ数字は表記が長いので数字としては限界がある。

珠算というそろばんを使った計算は誰もが一度は経験したことである。そろばんによる計算は、縦の1列が十進法の1つの桁を表していて、上の桁から順次下の桁に降りて計算を行う。これは筆算と異なる点である。十進法であるから0は存在することになる。このとき、そろばんでも筆算でも、無意識のうちに位取りを使っている。

筆算のよいことは、位取りの位置が記録に残り、正否を確認できることだ。そろばんや電卓はそうした記数法は記録に残らない。「零の発見」(岩波新書)の著者は、「アラビヤ文字の占めてきた役割は主として記数数学としての役割だった。位取りの記数方法にまさる記数法は考えにくい」という。パピルス(papyrus)から始まるといわれる紙の上での記録が記数方法の重要さを物語る。
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無駄から「無」を考える その6 サンスクリット語の「シューニャ」

日本佛教語辞典によれば、「空」という語は、古代から中世にかけてインドで使われていたサンスクリット語(Sanskrit)の「シューニャ(Sunya)」ということである。真に実在するものではなく、その真相は空虚とされる。空なることは空性と呼ばれる。このような見方を空観と呼ぶ。サンスクリット語は今もヒンドゥー教(Hindu)や仏教における礼拝用言語である。

アラビア語で「sifr」: シフルという語があるという。その意味は「空」と翻訳されたとある。この「sifr」が、13世紀のはじめ、アラビア記数法、後のインド記数法が伝わったイタリアでラテン語化して 「zephirum」となったようだ。そして最終的には「zero」という語に変化した。一方、中世ヨーロッパの数学界では「ゼロ」をあらわすために、もとのアラビア語とほぼ同じ語である「cifra」(数字)を長く使い続けた。ゼロ、0といったアラビヤ数字を意味する英語は「cipher」という。「cipher」は、「sifr」とか「cifra」が語源であることがわかる。

サンスクリット語の「シューニャ(Sunya)」はなかなか興味深い。この語はやがてフランス語のシニフィエ「signifie」, とかsignifierなど「意味する」とか、「表している」という語に発展したとか。記号表現、記号内容といった使われ方をする。英語の「signify」とか「significant」にあたることはいうまでもない。「意味ある」ということを指す。

「空」がゼロとなり、0が意味ある表記となったのはインド哲学の偉大な貢献の一つといえそうである。
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無駄から「無」を考える その5 「無私ということ」

「私」を無にすることは、無心になることであり、それは「私」を自然に近づけることであるとされる。自然に近づいた「私」が自我を離れた無心の自己になる。

無私とは心を「空」にすることでもない。心が初心であり続けること、いつも自然や他者と共鳴し続けることのできる「無心」の状態にあることである。これは漱石の文学観とも解されている「則天去私」の境地かもしれない。「天に則り私を去る」と訓読する。

総合佛教辞典によれば、仏教における空は、存在論的な虚無や空虚といったことを意味するものではない。存在と非存在、あるいは客体と主体といった二元論的な構図の中で、その一方を否定するものではない。

さらに佛教辞典によれば、事物の無常性、変化性、消滅性を表現するとき仏教では「色即是空」という。「色」とは法とか事物のことであり、それが無常であることを「空」という語によって説明している。法とは、制度、習慣、宗教、法律、道徳、正義といったことを示唆する。しかし、「空」はこの法の常性、永遠、持続の観念を否定したものではない。

佛教辞典は次のようにも云う。「法の空は、一切の現象を否定的に説明するための言表であるよりは、一切の現象を肯定的に説明するための象徴であるという順接の関係をいう。」一切の現象が有として存在するためには、空の構造において始めて可能になる、ということのようである。

非常に難解な解釈であるが、どうも数学の「零の発見」に近づいているように思える。
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