Big History その11 宇宙の進化と論争

宇宙の進化に関しては、いくつかの理由で論争が生まれてくる。進化ということについては、生得的にそれを誹謗する者が現れる。例えばファンダメンタリスト(fundamentalist)と呼ばれる宗教者である。あらゆる現象は神の摂理にある業と考える人々である。ファンダメンタリストとは、保守的な宗教上の指導者のことを指す。宇宙の進化は宇宙と人類の起源を説明するものであるが、人間の情動性をかき立てることになる。進化の理論は、伝統的な生命に関するテーマに挑むものだからである。進化の理論は変化を要求する。多くの人々はそれを嫌悪したり不信感を抱いたりする。だが進化の概念に関する幅広い解釈は歓迎されてきた。

進化とか分化という自然の現象は、一定のきまりに従って起こる因果関係
(cause and effect)で、この因果は自然の出来事同士の間で成り立つ関係と考えられる。超越的なものとの関係ではないとれる。ニュートン(Isaac Newton)の物理学あたりからようやく因果は科学上の法則として学問的な形をとるようになったと考えられる。自然現象がいかに複雑であっても質点の運動として数学的な法則に従って行われるとされる。それゆえ力学的に記述されるという。

因果であるが、天体においてある出来事Aが起これば、続いて必然的に次の出来事Bが起こる。これは天体運動の軌道計算によって知ることが出来るように、数学的な計算によって正確に予測できるとする。この考え方は「決定論的自然観」(deterministic view of nature)と呼ばれる。しかし、こうした決定論に対して反論したのが18世紀、イギリスの哲学者、ヒューム(David Hume)である。ヒュームは、必然的な因果関係というものは元来ありえない。ただ、同じことが何度も起こったとき、人間はそのような起こり方に必然的な因果関係があると思い込む傾向があると主張する。因果というものは、人間の主観や信念の産物なのだという。こうした考え方は、一般に経験論(empiricism)の底流となっている。

だが、時間と空間という絶対的な記述上の枠組みによって、物理的な現象は必ず「ある時」、「ある場所」で起こることが定説となり経験論は廃れていく。

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