嫌煙権論争と慰安婦問題の本質

嫌煙権(Right to a smoke-free environment) 論争と慰安婦問題は似ているといわれます。その理由を考えてみます。嫌煙権論争の本質は、単なる「タバコの煙が好きか嫌いか」という個人の嗜好の問題ではなく、公共の空間における個人の権利と自由の衝突であり、ひいては法や社会規範が個人の私的行為にどこまで介入すべきか、という対立にあります。

Wikiediaより引用

 嫌煙権論争と慰安婦問題は、一見すると公衆衛生や・マナーと歴史認識・外交という全く異なる分野のテーマです。しかし、社会運動の広がり方、メディアの役割、当事者の語りの扱い、そして対立の構図において、いくつかの共通点や類似性が議論の対象になってきました。

 かつてタバコは「単なる迷惑(マナーの問題)」と捉えられていましたが、科学の進歩によって「受動喫煙による明確な健康被害(加害性)」が証明されたことで、論争の本質がガラリと変わりました。そして嫌煙権論争が生まれます。

 近代社会の基本原則には、「他人に危害を与えない限り、個人の自由は保障される」という危害原理(John Stuart Mill)があります。やがてマナーだった時代からお互い譲り合いましょうという道徳論への発展します。健康被害が証明され、 喫煙が 他者への明確な加害行為とみなされるようになり、嫌煙権側が法的・社会的な規制を求める強力な正当性を得ました。

 嫌煙権論争の本質とは、個人の嗜好の自由が他者の健康と生存の権利を脅かすとき、社会はどちらを優先し、いかに空間を切り分けるべきかという、公衆衛生と個人主義のバランスをめぐる法哲学的、かつ社会的な対立だと言えます。現在では世界的に健康権の優位という形で決着がつきつつあり、論争はいかに実効性のある分煙や禁煙環境を作るかという実務的な段階に移行しています。

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