懐かしのキネマ その117 【日曜洋画劇場と淀川長治】

そろそろ「懐かしのキネマ」のネタも切れようとしています。どうして自分は映画が好きになったのか考えています。振り返れば、それなりに理由が浮かんできます。そしてその原因や背景、人との出会いなども心に浮かんできます。それを記すことにします。

小さい時、北海道の美幌に進駐軍がやってきました。チューインガムやチョコレートをねだりました。それは初めての「外人」との出会いでした。アメリカの軍人です。親父が美幌駅で働いていたとき、将校が宿泊する列車が停まっていて、ときどき将校からレーション(ration)と呼ばれる食料などの配給品が入った缶詰を貰ってきました。アメリカ軍の野戦食です。甘い物が少ない時代でしたのでその美味しいことといったらありませんでした。

父の転勤で美幌から名寄に移りました。名寄中学校では始めて英語を習いました。今の子どものように幼稚園から英語を勉強するなんて考えられない頃です。幸い私は良い先生に出会いました。この先生の名前は藤田??。髭と眉が濃く声はバリトンでした。藤田先生の発音は、まるで真っ白の紙に滴が垂れるように、私の耳には実に新鮮でズンズンと伝わってきました。使った教科書は「Jack and Betty」。不思議と文章がスラスラと頭に入りました。

淀川長治

父が転勤で稚内駅勤務となったときです。市の突端ノシャップ岬に米軍の電波基地がありました。一度そこに稚内中学の英語の先生に連れられて基地に入りました。そこで出された黒い飲み物の味を覚えています。コカコーラでした。そこで出会った軍人さんとペンパル(pen pal)となりました。この方は退役してからウィスコンシン州のオコノモウォック(Oconomowoc)という街にあったカトリックの神学校を修了し神父となります。彼はその後、横浜の教会で宣教のために働きます。私がこの神父の活動を知ったのは2005年でした。今もFacebookでやりとりしています。

稚内にいたとき始めて洋画をみました。父親に連れられて観たのが「戦場に架ける橋」です。実は私の父親も大の洋画好きでした。稚内高校で合唱団に入り、NHK唱歌ラジオコンクールの予選に出場するために旭川に行ったとき、スカラ座という映画館で友達と観たのが「八十日間世界一周」という作品です。なぜか、その映画で執事役で出演したカンチンフラス(Cantinfla) というメキシコ人喜劇俳優が今も記憶に残っています。

外国に憧れるようになったきっかけの一つが、中学生のときヨーロッパの地理を学んだことです。イギリスやフランス、ドイツの白地図をノートに書く時間がありました。フランス、ブルターニュ半島(Bretagne)の形を今も覚えています。第二次世界大戦でのD-デイ(D-Day)のとき連合国軍の上陸拠点に近いところです。地理の勉強は世界の地図や地形、首都などを覚えるのにとても役立つものです。普仏戦争での敗戦によってプロイセン(Prussia)の領土となったアルザス(Alsace)の学校で、フランス語に基づく愛国心を描いた「最後の授業」という短編小説があります。アルフォンス・ドーデ(Alphonse Daudet)の作品で、これを読んでフランスとドイツの歴史を学んだことも懐かしい思い出です。いつかはこうした国を訪ねたいという願望をかき立ててくれたものです。

水野晴朗

映画といえばテレビの影響を忘れることができません。『日曜洋画劇場』、『ゴールデン洋画劇場』、『金曜ロードショー』などの番組です。『日曜洋画劇場』の冒頭では淀川長治が「ハイ皆さん、こんばんは」から始まり、解説の締め括りに「さよなら、さよなら、さよなら」で終わるあれです。『水曜ロードショー』や『金曜ロードショー』番組では、水野晴朗が「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」という決め台詞がありました。『シェーン』(Shane)を観たのはこの番組のお陰です。

最近、ビデオ・オン・デマンドで戦前や戦後の名作映画を観ることができるようになりました。Youtubeでも広告なしで観ることができます。ただ、近年は昔作られたような名作に接する機会がないような気がします。莫大な制作費や興行上の必要性から,ほかの芸術に比較して産業としての性格が著しく強いのが映画です。テレビに押され固定の映画劇場が少なくなり、映画産業が下降しているのは時代の流れといえるようです。それでも「アナと雪の女王」や「鬼滅の刃」の記録的なヒットは意外でした。

懐かしのキネマ その118 【昼顔】

フランス映画はアメリカの作品と異なった特徴や雰囲気があります。人間の存在や二面性をテーマにすることが多いのが特徴の一つです。人間を抑圧しようとする状況の中で、自分という存在の愚かさを受け入れる姿を描くのです。これを実存主義の表れだという解説者もいます。ともあれ映画を「芸術」として考えていることが伺えます。監督や脚本家が一致してこの人間の生き様を描くのです。決して派手さはありませんが,深い思索を感じるものです。自分という存在を女性の視点からとらえた【昼顔】(Belle de Jour)の紹介です。フランスを代表する女優カトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve)が一人の女を演じるのが見所です。

セブリーヌ(Séverine Serizy)は若く美人の妻です。内科医である夫のピエール(Dr. Pierre Serizy)とは夫婦として不満足な暮らしています。セブリーヌは、サドマゾヒズム(sadomasochism-加虐被虐性愛)や威圧性などの性格の持ち主ですが、夫は妻の不感症に耐えています。

スキーリゾートへ行ったとき、友達のヘンリー(Henri Husson)とルネ(Renée)に出会います。セブリーヌにはヘンリーの仕草や自分を見る目つきが気にくわないのです。パリに戻るとセブリーヌはルネとその友達のヘンリエッテに会います。ヘンリエッテは売春宿を経営しています。セブリーヌはヘンリーから薔薇の花束を受け取りますが、ヘンリーの動作にぐらつきます。テニスコートでヘンリーに会い、そこでヘンリエッテと売春宿でのことを語り合います。ヘンリーはパリにある高級宿のことを語り、セブリーヌを誘うのです。彼女はそのときは拒否します。

Severine Serizy

子ども時代の記憶が甦り、ある男が自分の体を触ろうとしたことを思い出します。セブリーヌは、マダム・アナイ(Madame Anaïs)が経営する高級売春宿を訪ねます。その午後、セブリーヌはそこで最初の男の相手をするのです。始めはためらうのですが、マダム・アナイの強い誘いによってベルドジュア(Belle de Jour–昼顔) という名で、見知らぬ男を客としてとるようになります。その一週間後になると、セブリーヌは午後2時から5時まで客をとり、夕方、なにも疑うそぶりのしない夫のもとに帰ります。ある日、ヘンリーが自宅に訪ねてきますが、セブリーヌは会おうとしません。しかし、夫の前でヘンリーと交わる幻想に襲われます。それと同時にセブリーヌは夫ピエールとの夫婦生活が改善するのを感じていきます。

セブリーヌは、マルセル(Marcel)という若い青年と懇ろになります。彼は、セブリーヌがスリルで興奮するような幻想を演出します。マルセルは嫉妬深くなりセブリーヌにもっと要求するようになると、彼女はマダム・アナイの同意を得て高級宿を去ることにします。夫は、セブリーヌが高級宿に行き来していたことを知っていたのです。マルセルの仲間が、セブリーヌの家を訪ね、彼女の秘密の行為を夫にばらすと脅してきます。出て行って欲しいと男に懇願するセブリーヌに対して、その男は「お前の夫は邪魔者だ」と罵るのです。

マルセルはピエールの帰りを待ちます。そして銃で彼に3発を放ちます。マルセルは逃げますが警官によって撃ち殺されます。ピエールは昏睡状態を脱して助かります。警官は、事件の顛末を明らかにできません。セブリーヌは、半身不随となり車椅子に乗る夫ピエールの世話をするようになります。ヘンリーが訪ねてくると、ピエールにセブリーヌの秘密の行為を告げます。 彼女はその言葉を黙って聞いています。ヘンリーが去ると、セブリーヌは夫の前でむせび泣きをします。ピエールは車椅子から身を乗り出して酒をつぎながら、次の休暇はどこでしようかという会話をセブリーヌとするのです。

懐かしのキネマ その117 【太陽がいっぱい】

【レミセラブル】【地下室のメロディ】につぐサスペンス犯罪ものです。原題は英語で【Purple Noon】。1960年にフランスで製作され、サウンドトラックも大変有名になった作品です。

アメリカ人のトム・リプリー(Tom Ripley) はイタリアに赴き、5,000ドルもらえる約束で大金持ちのフィリップ(Philippe Greenleaf)が父親のビジネスを継ぐためにサンフランシスコ(San Francisco)へ戻るように依頼されます。フィリップは戻ることに同意はするのですが、自身の銀行口座にたんまりある金を定期的に引き出してはイタリアで自由奔放な暮らしを続けようとするばかりで、全然帰国する気はありません。フィリップの父親から謝礼金を受けることが出来ないままのトムは、やがて手持ちの金がなくなってしまい、その結果フィリップが日々湯水のように使う金のおこぼれをあてにして、彼と行動を共にせざるを得なくなります。

Philippe, Marge & Tom

フィリップに言われれば買い物や調理やハガキの代筆をするなど、トムはまるで都合の良い「使い走り」のように扱われる有様です。内心嫉妬心や怒りにさいなまれていきます。トムはフィリップと彼のガールフレンドであるマージ(Marge)に惹かれていきます。フィリップは次第にトムのへつらいに辟易し始め、ヨットで出掛けたとき、トムをボートに置き去りにして何時間も太陽にさらすのです。

トムはあらかじめ練ってあった計画どおり、フィリップになりすまして彼の財産を手に入れるための手を着々と打ち始めます。トムはフィリップを殺害し、自分が彼になりすまそうとするのです。フィリップが他の女性と関係している証拠をマージに見せ、彼女を怒らせるのです。マージが海辺にいくと、フィリップはトムに関係は一時的なものだと認めます。ヨットの上で、フィリップは冗談だろうといいながら、トムに金銭を渡すから自分とマージから離れるように伝えます。それを了承すると見せかけてトムはフィリップを刺して海へ捨て、港に戻ってきます。波止場に戻ると、トムはフィリップが姿を消したとマージに伝えます。

フィリップのパスポートの偽造には、公印を粘土で型どりにしてニセの公印を作り、それを自らの写真に押すことで、見事に差し替えます。フィリップのサインをそっくり真似るため、スライド映写機を使い彼のパスポートの筆跡を拡大して壁に貼った紙に映写し、筆跡の映像を何度もなぞって練習し、見事にフィリップと完全に同一の署名ができるようになります。トムは、さらに彼の声色も完璧に真似してフィリップになりすまし、電話越しで婚約者のマージすら騙すことに成功するのです。マージがフィリップに会いたがれば、フィリップのタイプライターでつれない文面の手紙を作成しマージに手渡し、フィリップに女ができたから会いたがらなくなったのだ、と思わせることにも成功します。才気と才能に溢れた男の面目が躍如とします。

フィリップの友達、フレディ( Freddie Miles)がホテルに会いにきますが、フィリップでないと疑います。トムはフレディを殺害します。警察がフレディの死体を見つけますが、トムは自分とフリップを使い分けてなりすまします。トムはフィリップがフレディを殺したとして、自殺し財産はマージに譲るという書き置きを残します。トムは機知を働かせて何とかイタリア警察の追跡を逃れます。そしてマージに言い寄っていきます。そして彼女と同棲を始めるのです。

フィリップのヨットを買い手の業者が点検しようと波止場に引き寄せます。アンカーに引っかかったカンバスに包まれた死体が発見されます。スクリューに巻き付けられていたのです。トムは露知らず、ビーチでワインに酔いしれています。犯人がトムであることを確信した刑事がウェイトレスにトムを呼ぶように依頼するのです。

懐かしのキネマ その116 【地下室のメロディ】

フランス映画界の二大スター、アラン・ドロン(Alain Delon)とジャン・ギャバン(Jean Gabin)が共演し、カジノ襲撃計画の顛末をスリリングに描いた犯罪サスペンスの名作です。英語の題名は【 Baseball Melody】。フランス映画はこうしたサウスペンスものの名作があります。後に紹介する「太陽がいっぱい」もそうです。

Charles & Francis

5年の刑期を終えて出所した老獪なギャングのシャルル(Charles)は、生涯最後の仕事として、カンヌ(Cannes)のパームビーチ(Palm Beach)にあるカジノの地下金庫から10億フランを強奪する綿密な計画を立てます。かつての仲間マリオ(Mario)や刑務所で知り合った青年フランシス(Francis)と彼の義兄ルイ(Louis)も仲間に引き入れ、周到な準備の末に計画を実行に移します。

金持ちの青年を装い、カンヌのホテルに滞在するのがフランシスです。カジノの踊り子と親しくなることで、フランシスは一般客が立ち入れないカジノの舞台裏に出入りする口実を設けます。カジノのオーナーが売上金を運び出す日を狙って、一行は地下金庫を襲撃します。そして10億フランの札束をバッグに詰め、何食わぬ顔でホテルに戻ります。大金を奪い去り完全犯罪は成功したかにみえますが、予想外の事態からフランシスの正体が露見する危険性が高まります。

計画の急な変更を余儀なくされ、フランシスは仕方なく、隠し場所からバッグを持ち出します。そこへ更なる不運が重なり、盗んだ金が人々の目に触れる事態となります。騒ぎ出す人々の中でフランシスとシャルルは、もはや為す術もなく10億フランの札束が水面に浮かぶのを見つめていきます。

懐かしのキネマ その115 【レミゼラブル】

【レミゼラブル】(Les Misérables) は、ヴィクトル・ユーゴー (Victor Hugo)が1862年に執筆したロマン主義(Romanticism)フランス文学の大河小説です。この小説を長い時間をかけて読んだ記憶が甦ります。Misérablesとは「悲惨な人々」という意味です。は2012年12月に公開され、イギリス・アメリカ合作のミュージカル映画ともなりました。2時間半のそれを紹介することにします。

Les Misérables & Jean Valjean

大勢の囚人たちが力を合わせて巨大な船を曳いています。船を曳き終わると、警部のジャベール(Javert)が1人の囚人の番号を叫びます。その囚人の番号は24601で、彼に仮釈放の紙を渡します。こうして囚人のジャン・バルジャン(Jean Valjean)は釈放されます。あてもなくバルジャンは、ある教会に入ると、ミリエール司教(Bishop Myriel) から暖かい食事と寝る場所を提供されます。彼は感謝もせず、無我夢中で食べたあと、食器を盗んでしまいます。翌朝、教会の人に捕まってしまったバルジャンに、司教は慈悲の心で彼を許します。その司教の態度に感動したバルジャンはその後、猛勉強の末、過去を清算し、多くの人が貧しさでごった返していたモントルイユ(Montfermeil)の市長になります。

その街に、かつてバルジャンが囚人時代に世話になったジャベールが訪れます。そしてバルジャンと面会した彼は、素晴らしい市長であると感じます。しかしある時、通行人の馬車を持ち上げたバルジャンの姿を見たジャベールは、囚人時代に丸太を持ち上げたバルジャンの姿を思い出し少し疑いを持ちます。

工場で働く1人の女性がいました。ファンティーヌは(Fantine)です。皆から隠し子がいることを噂されて、クビになってしまいます。そしてお金がなくなったため、自分の娘のために髪の毛、歯、さらには自分の体まで売って、身も心もずたずたになっていきます。バルジャンは貧民街を歩いていたときに偶然ファンティーヌを見つけ、ジャベールに逮捕されそうになっている彼女を助け、病院に連れていきます。ジャベールは、バルジャンを疑ったことを謝罪します。それを聞いたバルジャンは、良心の呵責にさいなまれ、自分が囚人24601であったとジャベールに告白します。

バルジャンは病院へ走り、ファンティーヌの最期を看取りながら、彼女の娘を保護することを約束します。その場に現れたジャベールは、市長がバルジャンだったことに驚きながらも彼を逮捕しようとします。そしてバルジャンは川に身を投げて逃亡します。安い酒屋で働かされているファンティーヌの娘コゼット(Cosette)は、養父母からの過度の虐待に耐えながらも必死に毎日を生きていました。水汲みへ行ったとき、偶然バルジャンがコゼットを見つけます。彼は酒屋の主人にお金を払うと、コゼットを連れていきます。そして夜、ジャベールに見つかったバルジャンは、すぐさま修道院へと逃げ込み、ジャベールをまきます。バルジャンを捕まえることができなかったジャベールは、必ず捕まえると決意を固めます。

時が経ち1832年、学生たちは自由を求めてフランス第一帝制打倒の組織を作ります。そんな学生の一人、マリウス(Marius)は、街で美しい女性を目にします。その女性は、ある男の人と一緒にいました。そこにジャベールが現れ、バルジャンはすぐさま姿を消します。マリウスはコゼットを探し当て、夜な夜な会いにいきます。その姿を悲しく見ていたのが、密かにマリウスに恋をしていた酒屋の娘、エポニーヌ(Eponine)でした。彼女はマリウスを愛することはできないと悟ります。革命の足音が近づくなか、弁護士となったマリウスは帝政との戦いに身を投じていきます。

そのマリウスのグループに、一人身分を隠して入る人がいました。その人はジャベールでした。侵入したジャベールは、逆に内部の子どもに正体を見破られ、拘束されてしまいます。マリウスはコゼットへの手紙を書いて送ります。その手紙を読んだバルジャンは、二人の真実の愛を知り、マリウスに会いにいきます。そしてジャベールと会い彼を許します。

帝政側の総攻撃が始まり、多くの若き革命戦士が死亡していきます。マリウスも銃弾に倒れ、バルジャンは下水道を伝いながら彼を担ぎ、逃亡します。ジャベールはバルジャンの崇高な精神に負けて、自らダムに身を投げます。バルジャンはマリウスを匿い、彼が回復するとコゼットに会わせます。バルジャンは二人の幸せを願うとともに、マリウスに、自分の過去を伝えます。コゼットに伝えることができない彼はその場を去ります。

そしてマリウスとコゼットは結婚式を挙げ、その場にいた酒屋の主人がバルジャンの居場所を知っているというので、すぐさまバルジャンのところへコゼットとともに行きます。そしてバルジャンは修道院で彼らと再会を果たします。再びコゼットと会えたバルジャンは涙し、コゼットに自分の過去を書いた手紙を渡します。そして彼は2人の結婚を見届けて静かに息を引き取り、コゼットとマリウスはバルジャンの言葉を固く守る誓いを立てます。

懐かしのキネマ その114 【真夜中のカーボーイ】

1969年公開のアメリカ映画「Midnight Cowboy」を紹介します。大都会の孤独に流される2人の男性の生き様を描いています。

男性的魅力で富と名声を手に入れようと、テキサス(Texas)からニューヨーク(New York)に出てきた皿洗いだった青年・ジョー・バック」(Joe Buck)。カウボーイスタイルに身を固めた彼は、女を引っ掛けて金を要求します。逆に金をふんだくられます。女こそ名うての娼婦です。

Joe & Enrico

ジョーはスラム街に住むエンリコ・ラッツォ(Enrico Rizzo)という片足をひきずる小男に出会い、売春の斡旋人を世話してくれるという約束で10ドルを手渡しますが、斡旋人は男色を専門としていました。騙されたと知ったジョーは、エンリコを捕まえて問い詰めるのですが、既にエンリコの手には金がありません。その代わり、罪滅ぼしにエンリコは、カモ探しに協力する羽目になります。

二人はエンリコのねぐらである廃墟のビルで共同生活を始めます。ジョーとエンリコの間に奇妙な友情が芽生えます。しかし、エンリコの身は病魔に冒されていました。冬のニューヨークで暖房もない貧苦の生活。エンリコは温暖なフロリダ移住の夢を語ります。ひょんな切っ掛けからジョーの稼業がうまくいきそうになるも、エンリコの病状は次第に悪化していきます。ジョーはゲイの紳士から強奪した金で、エンリコとマイアミ行きのグレイハウンドバス(Greyhound bus)に乗ります。既に身体の自由の利かなくなっていたエンリコは、車中で小便を漏らしていきます。ジョーはバスの停車中に二人の新しい衣服を購入して、自分のカウボーイ装束とエンリコの汚れた衣服をゴミ箱にぶち込み、フロリダの明るい服装に着替えます。しかしエンリコはバスのマイアミ到着を目前に息絶えるのです。

懐かしのキネマ その113 【ハタリ!】

『ハタリ!』(Hatari)とはスワヒリ語(Swahili)で「危ない!」という意味だそうです。1962年に公開された野生動物生け捕りチームの物語です。アフリカのタンザニア(Tanzania)舞台に、雄大な山々を背景に猛獣を生け捕り、動物園やサーカスに売るプロの狩集団と野生動物たちとの駆け引き描きます。

1950年代にアフリカのタンガニーカ(Tanganyika)地方で、モメラ(Momella Game Company)という芸能会社が、高速のトラックや投げ縄、檻を使って動物を捕獲し動物園や動物蒐集家を相手に供給しています。モメラ会社の社長はジーン・マーサー(Sean Mercer)で、他一行は、闘牛士のメキシコ人、ライフル銃の名手ポケット(Pockets)、引退したドイツ人のカーレースドライバーのクルト(Kurt)、元タクシー運転手そして現地人です。

狩の季節がやってきたので、早速メスのカバを捕獲しようとします。クルトとインド人の二人は、カバを追いかける車に乗り、ジーンとその助手はピックアップトラックで投げ縄を用意します。カバが車に追突しインド人の足に大怪我をさせます。一行は治療のためにアルーシャ(Arusha)という街まで5時間の旅をします。

病院に着くと、そこにいたフランス人のチャールズ(Charles “Chips” Maurey)ともめ事になります。彼は、モメラ会社に雇ってもらいたいと言い張るのです。そして自分がインド人に輸血で救える血液型の持ち主であると主張します。ジーンは結局、チャールズを雇うことにします。

宿営地に戻るとそこにイタリア人女性カメラマンのアンナ(Anna-Maria Dallas)がいます。翌日、アンナはバーゼル動物園(Basel zoo)からの手紙をジーンに渡します。バーゼル動物園(Zoo Basel)は、モメラ会社の大の得意先であると主張します。ジーンは不承不承でアンナの滞在を認めるのです。

アンナは二頭の子象を見付けてきます。一人の少年を雇って子象を飼い慣らしたいといいます。子象が彼女を追いかけるニュースがワアルーシャ(Wa-Arushas)の街に広がり、人々はある儀式を催し、そこでアンナを子象の母という意味の「ママテンポ」(Mama Tembo)という名で呼ぶようになります。ようやくアンナとジーンは和解していきます。

ポケットは、ロケットと網を使って猿の群れを捕らえる機器をつくります。その試みは大成功します。残るはカバを捕らえることです。怒り狂うカバを追跡し、数回の失敗のあと、ようやくカバを捕獲するのに成功します。

アンナは、ジーンが自分を一人の女だとしか思っていないと気になります。そしてポケットに手紙を託し,自分はアルーシャを去ることを伝えます。しかし、ジーンは彼女を愛していたので、二頭の子象を連れて、ジーンはアンナのいるホテルにやってきます。その昼下がり、二人は結婚を決めます。ジーンは初夜を迎える部屋を用意すると、そこに二頭の子象が飛び込んできて、部屋をメチャメチャにするのです。二人の驚きはいうまでもありません。

懐かしのキネマ その112 【デルス・ウザーラ】

1975年に公開されたソ連の映画です。監督は黒澤明がつとめた作品です。原題は【Dersu Uzala】といいます。年老いた猟師が酷寒のシベリア(Siberia)のなかで生きる姿を描く名作です。見逃したくない映画です。

1902年、ロシア人探検家で作家のアルセーニエフ(Arsenyev)は、コサック兵(Cossack)6名を率いて当時ロシアにとって空白地帯だったウスリー地方 (Ussuri)の地図製作の命を政府から受け、探検隊を率いることとなります。調査の途中で、森林の中で自然と共に暮らしている天涯孤独のゴリド人(Goldi) 猟師、デルス・ウザーラ(Dersu Uzala)と出会います。翌日から、デルスは調査隊のガイドとして先頭に立ちます。

Dersu Uzala

探検の中、デルスの自然に対する驚くべき体験と知識と六感、独特の哲学に触れたアレクセーエフや隊員達は、次第に彼に心が惹かれ、深い信頼を寄せていきます。デルスは、捨てられた帽子を修理し旅人のために白樺で作った容器に生き延び方のメモを入れておいたりするのです。ある時、二人の隊員が凍った湖で迷い、そこに雪嵐がやってきたとき、彼は二人の命を救います。迅速に藁をくんでシェルターの作り方を教え避難させるのです。疲れ切ったアルセーニエフはシェルターに運び込まれ隊員とともに凍死を免れます。

調査隊はツンドラ(Tundra)の大地で苦しい旅を続けます。そこで出会ったナニ(Nani)という家族の家に招かれ食事や暖を与えられます。次ぎにどこへ行きくのかをデルスはアルセーニエフに尋ねます。「街へ戻るが、一緒に行かないか」とデルスに問いかけます。彼は自分の住み家は森であるとして断ります。翌日、隊員達を鉄道まで送るとデルスは森に消えて行きます。

5年後、新たな調査で再びウスリー地方訪れたアルセーニエフは、地図を作成しながら昔の友に出逢いたいと考えています。ある夜、隊員が老猟師に出逢ったことを伝えます。猟師は調査隊のことを訊いたというのです。アルセーニエフが森の中を探していると、森に入ろうとする猟師を見つけます。喜び勇んで叫ぶと、デルスも応えます。二人は駆け寄りひしと抱き合うのです。二人はキャンプ地で焚き火を囲みながら、別れて以来のことを語り合います。

再びデルスはガイドとして調査隊に加わります。大きな川を筏で横切ろうとしたとき、一行は離ればなれとなります。馬を引き連れた隊員も川を渡ろうとします。アルセーニエフとデルスは筏に捉まりますが、他の隊員は急流に流されていきます。 デルスはアルセーニエフを押して、岸へ向かって泳げと叫びます。川はいっそう急流となります。デルスと筏が急流に呑み込まれそうになったとき、彼は木の枝に飛び移ります。そして一行に木を切り倒し、アルセーニエフを救えと指示するのです。暫くして一行はようやく全員が助かり一息つきます。デルスの写真を撮り、皆が安堵するのです。アルセーニエフは、秋が近づく頃、日記の中でこうした出来事を書き留めデルスとの記憶を残すのです。

一行がさらに森を調査しているとき、デルスは一頭のシベリア虎(Siberian tiger)が忍び寄ってくるのを察知します。隊員は銃で撃とうとするのでデルスは虎を威嚇しようとしますが、さらに近寄ってきます。仕方なく、デルスは虎を撃ち殺すのです。しかし、彼は自分が射殺したことで心を取り乱します。それは、カンガ(Kanga)と呼ばれ人々が敬う森の中の霊が悲しみ、さらに別の虎を差し向けるだろうというのです。デルスは苛立ち、アルセーニエフや隊員たちに、自分に近寄るな、と叫ぶのです。彼は歳とともに視力や感覚が衰え、もはや狩は無理になり森で一人暮らしは出来なくなります。

アルセーニエフはハバロフスク(Khabarovsk)という街にデルスを同行させようと決心します。しかし、街では規則によって木を倒したり、公園で焚き火をしたりすることができません。街の境界付近でも狩はできないのです。アルセーニエフとその家族から慕われるデルスですが、もはやハバロフスクは自分の住む所ではないとアルセーニエフに告げ、森へ戻る決心をします。アルセーニエフは真新しいライフル銃を彼に持たせます。

その後、アルセーニエフは警察から電報を受け取り、一人のゴリド人の死体が見つかったことを知らされます。身分証明になるものはなく、ただアルセーニエフからの手紙だけが見つかったという知らせです。急いでその場にアルセーニエフが着くとデルスが横たわっています。警官がいうのには、誰かが銃の欲しさにデルスを殺したに違いないといいます。墓堀人がデルスを埋葬したとき、彼が使っていた杖を見つけます。そしてアルセーニエフは墓の脇に杖を立てるのです。

懐かしのキネマ その111 【灰とダイヤモンド】

原題は【Ashes and Diamonds】といいます。ポーランドの名匠、アンジェ・ワイダ(Andrzej Wajda)がメガホンをとっています。ドイツ軍が降伏し、ロンドン亡命政府系のゲリラとソ連の後押しを受けるポーランド労働者党との内戦が始まろうとしていた1945年5月の4日間、とある地方都市に集った人々を描写することによって、第2次世界大戦末期のポーランドの姿を映し出す作品です。

時代は第二次世界大戦の最中です。1945年5月7日、ドイツ軍が遂に降伏。物語の始まりは、5月8日のポーランドでのことでした。国内軍系列のテロリストとして活動しているマチェク(Maciek)、アンジェイ(Andrzej)、ドレノウスキ(Drewnowski)は、ソビエトから帰国した共産党地区委員長シュツーカ(Konrad Szczuka)の暗殺を計画していました。

Ashes & Diamonds

マチェクとアンジェイは、街はずれの礼拝堂で車が通るのを待ち伏せします。そこに少女が現れて礼拝堂の扉を開けてくれと頼まれます。しかし、どうしたことか扉は開きません。そこに車がやってきます。二人は車の前に飛び出し、銃撃します。逃げた男を礼拝堂の前まで追い詰め一気に射殺します。

開かなかった礼拝堂の扉がゆっくりと開いていきます。闇に浮かび上がるマリア像が青年たちを見つめています。その後、ホテルでの戦勝祝賀会を訪れた二人は、なんと殺したはずのシュツーカを目撃するのです。銃撃は人違いだったことをマチェクとアンジェイは知ります。

マチェクは、自分には待っている者もこの世に未練もないと思い込みます。そしてマチェクは再び暗殺へと乗り出します。暗殺の機会を待つマチェクは、ホテルのバーで給仕として働くクリスティーナ(Kristina)と恋に落ちます。戦争で家族を失い、刹那的な生活を送っている彼女です。クリスティーナとしばしの逢瀬を楽しんだマチェクは、暗殺業から足を洗い、彼女と新しい人生を歩んでいくことを決意します。この女性との出会いがマチェクの人生を揺さぶり、一時の幸せを味わわせます。

Maciek

新年度迎え、ホテルではショパン(Frederic Chopin)の大ポロネーズ(grande polonaise) が演奏され人々は踊ります。シュツーカには長年会っていない17歳になる一人息子マレクがいます。彼はマチェクによく似た国内軍系列のゲリラ兵グループの一員となっていますが、保安隊に捕まります。その息子マレクに会いに行くのをマチェクが後をつけ射殺するのです。マチェクは逃げようとしますが、労働者党のポーランド兵に撃たれます。そしてゴミ捨て場で倒れるのです。

懐かしのキネマ その110 【地下水道】

原題は【Kanal】といいます。地下の下水道のことです。ポーランド(Poland)の名匠、アンジェ・ワイダ(Andrzej Wajda)監督の作品です。次回紹介する【灰とダイヤモンド】とともに、レジスタンス運動を描いで世界に紹介され、名声を博した作品です。ワイダは、16歳のころから反ナチズム抵抗運動に参加し、父親は「カチンの森虐殺」(Katyn Forest Massacre)に巻き込まれ亡くなります。

Kanal-地下水道

第二次世界大戦末期、1944年のワルシャワ(Warsaw)が舞台です。ポーランド国民軍とワルシャワ市民の抵抗運動=ワルシャワ蜂起(Warsaw Uprising)は、ドイツ軍による容赦ない攻撃で追い詰められ、悲惨な最終段階に追い詰められています。その中の一つ、ザドラ中尉(Lieutenant Zadra)の率いる43名の中隊は事態打開のため、地下水道を通り、市の中心部に出て活動を続けることにします。

夜になって隊員は地下水道に隠れようとしますが、やがて離ればなれになり、ある者は発狂し、自殺したり、またある者は暗闇と悪臭と恐怖心に耐え切れず、マンホールから外に出てドイツ軍に発見され射殺されていきます。

負傷した将校のコラブ(Officer Cadet Korab)と、彼を助けて道案内してきたデイジー(Daisy)の2人も、やっと出口を見つけたと思ったのもつかの間、そこは河へ注ぐ水路でした。一方、先を行くザドラと二人の隊員は遂に目的の出口を見つけますが、出口には頑丈な鉄柵が張られ、爆薬が仕掛けられています。

コラブは、一緒の仲間であるクラ(Kula)は破壊された街外れの下水道から抜け出します。他の隊員達がどうなったのか、とコラブはクラに問いただすと、ずっと前に隊員達を置き去りにした、と答えます。怒り狂ったコラブはクラを撃ち殺し、隊員達を探すために下水道に戻っていきます。