心に残る一冊 その152  「やぶからし」 その七 「やぶからし」

「やぶからし」という野草は道端や荒れ地、フェンス際、その他どこにでも生える多年草です。茎は弾力があり、高い木々に絡まり伸びていきます。植栽を覆って枯らしてしまうほど旺盛に生育します。厄介な野草で、別名ビンボウカズラともいわれます。

山本周五郎がなぜこのような題名を付けたのかは、この作品を読むとわかるのですが、皆から嫌われるほどどん欲な生活をしたり、時に狡猾な為政をして、市井で貧しく生きる人々を苦しめる者がこの世の中に多いことを主張したかったからでしょう。

主人公は十六歳になって細貝八郎兵衛とさちの家に嫁いできた「すず」です。本当の父と母は四歳のとき亡くなり、常磐家に引き取られて育ちます。常盤家三百石ばかりの扶持で、旗本を編制した部隊に所属する大御番でした。きびしい家風と家族のあいだの不思議な冷ややかさがあって、すずは本当の家とは感じないで生きてきました。

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すずは、なぜか細貝玄二郎という放蕩な生活をしてきた男と祝言をあげます。初夜から大酒を飲み、すずに乱暴を働きます。それが毎夜続く始末です。しかも無頼の仲間と喧嘩をし傷つけたり借金を溜め込むために、細貝家はとうとう玄二郎を勘当します。

見かねた細貝八郎兵衛とさち女は、はすずに郷に帰るようにと言い聞かせます。
「すずは細貝家の娘です。この家の他に郷などはございません」

佐波久弥という書院番の男を八郎兵衛は夕餉に招きます。二十六歳で背丈は高く立ち振る舞いがのびやかです。酒はあまり飲みません。八郎兵衛とは親しくしていて、すずに嫁がせようとするのです。この二人は謡を唄うという趣味があります。その頃すずは鼓を習っていたので、食事の後に三人で唄うのです。

すずは久弥と再度の祝言をあげ、やがて二人の子供に恵まれます。娘のこずえを宮参りにつれていったとき、昔の良人、玄二郎にであいます。玄二郎はそこで過去の生活を語り、あげくにすずに五両を無心するのです。それが二十両になり、すずは一人で悩んだ末にとうとう懐刀をもって玄二郎の指定する場所にいきます。玄二郎を殺め、自分もその後を追っても、良人や子供たちは仕合わせに暮らせると決心したからです。

玄二郎はやくざ者たちによって始末されます。自らの手でかつての良人を殺めることがなかったことにすずは安堵するのです。

心に残る一冊 その151  「やぶからし」 その六 「こいそ」と「竹四郎」

本堂竹四郎という足軽組頭がいました。城代家老、藤川平左衛門の指名で家老の助筆をつとめることになります。助筆とは秘書官のような役割です。無礼から百二十石をもらうことになります。無礼とは下士、つまり下級武士のことです。助筆は、老職席と諸役所との取り次ぎや周旋をすることから、めはしが利き、すばやい判断と洞察力が求められます。稀有の抜擢だといわれ、周りの者からは反感や妬視を受けますが、ご本人は無頓着です。

竹四郎は剣術が得意で、藩の道場で代師範をしています。彼が教えるのは、身じまい、服装、作法、正しい挙措といったことで、ほとんど技の教授はしません。まるで舞いの稽古をするかのようで、「舞い舞い剣術」と陰口が広まります。

藤川平左衛門に「こいそ」という十八歳の娘がいます。明るい性格で愛くるしいすがたです。たびたび縁談が持ち込まれますが、平左衛門は本人の判断に任せてきたので、こいそはことごとく断り続けています。

あるとき竹四郎は付け文をこいそに渡し、呼び出して対面し結婚を申し込みます。「貴方を愛している、妻として娶りたい」と云うのです。こいそは、無礼きわまりない竹四郎の言葉に席を立ってしまいます。

良家の育ちである岡田金之助というのがこいそに縁談を申し込んできます。金之助は眼に落ち着きがなく、軽薄な人間です。役目で金子を勘定方から支出させるなど、不正なことをしています。あるとき、金之助は竹四郎のところに請求書を持ってきます。
「預かっておきます」と竹四郎は云います。
「今すぐ必要なのだ、、、」
「捺印はできない、」
「無礼なことを云うな、わたしになにか不正なことでもしたというのか、」
「大きな声を出さないがいい」
「貴方はいま、告白をした、わたしが触れもしないのに、自分の口から不正、、うんうんと云った」
「実は貴方が不正をしていることは調べ上げている」
「貴方の三人の仲間もつるんでいる」

金之助は仲間と一緒に果たし状を渡し、竹四郎に向かいますが全く歯が立ちません。二人はこの果たし合いやこいそをめぐる話題はだれにも口外しないと約束します。

城代家老藤川は竹四郎を館に招き夕餉の席を設けます。そして、喧嘩のこと、こいそのことを訊きだそうとします。竹四郎は男の約束があるとして、がんとして答えようとしません。平左衛門は竹四郎をめちがいだったとして助筆の役を罷免すると云い渡します。竹四郎は国家老助筆も足軽組頭もご奉公、お役の甲乙によって自分の値打ちはかわらない、と喝破します。

竹四郎が席を立とうとすると、「まあ座れ、、話は話、酒は酒だ、、」藤川は云います。そしてこいそに給仕を命じます。こいそは隣の部屋で二人の会話をきいていたようです。藤川の前で竹四郎はこいそに云います。
「貴女に申し上げたいことがあります。私はこんど助筆を免じられ元の役にもどることになりました」
「そうなると機会がなくなりますので、今ここで申し上げます」
「私の気持ちはもうおわかりの筈です、貴女のほかに一生の妻と頼む人はありません」
「その必要はございませんわ」
「よそからの縁談は断りました、わたしは貴女のお申し出をお受けいたします」
「なにを云うか、なにをばかなことを」 父親である家老は云います。
「足軽組頭の妻でもいいのですね」
「もしかして平の足軽でいらしっても」 こいそは微笑するのです。

心に残る一冊 その150 「やぶからし」 その七 菊屋敷

黒川一民。藩士で儒官。朱子に皇学を兼ねた独特の教授をしていました。二人の娘がいます。志保と小松です。跡継ぎとなる息子はいません。藩主の特旨で村塾を続けるようにとの命で志保が五人扶持をもらいます。小松は塾生であった園部晋吾に嫁いでいます。晋太郎と健二郎という男の子がいます。美しく才はじけて人の眼を惹く存在でありました。志保は妹に息子がいて睦まじそうな妹夫婦を前にして激しい妬みを感じます。

杉田庄三郎は黒川一民の門下生で、村塾にて熱心に学問に傾注しています。十数名の塾生の頭です。異国の思想に渦いされず、時代の権勢にも影響されない純粋の国史を識らなければならないというというのです。さらに、日本の先人の遺した忠烈の精神、それを子孫へ伝えるべき純粋の国体観念、これを明らかにしなければならないと同志に語るのです。藩国に仕えず王侯に屈せずという考えで、当時は危険な思想だったようです。

志保はあるとき付け文をもらうのですが、もしかしたら庄三郎からのものではないかと期待するのです。付け文に記されていた逢瀬の機会は、小松夫婦の突然の訪問でふいになります。庄三郎が自分に慕情を寄せているのではないかとひそかに悩みます。

園部晋吾は蘭学を学びたいと長崎に行こうとしまします。しかし、二人の子供と一緒に長崎に行くのは難しそうなので、志保に晋太郎を養子としてもらいたいと願いでます。こうした小松の我がままな要求が志保の生き方を思わぬ方向へ向かわせるのです。小松は姉の身の上を思いやる心の持ち主ではありません。しかし、志保は小松の押しつけを受け入れ、子育てを決意し将来は侍とすべく、晋太郎を厳しくも愛情を注いで育てます。

晋吾は故あって、江戸に戻って好条件の仕官にありつきます。次男の健二郎が流行病によって失うのです。やがて志保に対して晋太郎を戻すように求めてくるのです。
「本当はここにいたいのです。友達もいるしいろいろなものもあるし、、」
「いつもお母様はこう仰っていましたね、りっぱな武士になるには、子供のうちから苦しいこと、悲しいことにたえなければいけない、からだも鍛え心も鍛えなければいけない、、」
「本当はここにいたいんですけど、そんな弱い心にまけてはりっぱな武士になれませんから、、」
「晋太郎は江戸へまいります」

晋太郎が江戸の両親の許へいくと子供心に云うのも、志保の膝元に留まりたいというのは弱い心だ、というのです。志保の真実の心が晋太郎に引き継がれていることに志保は満足します。

しかし、幕府の大目付らが村塾にやってきて「上意である、神妙になされい」といって杉田庄三郎ら塾生を捕縛しようとします。庄三郎は同志に向かって上意を受けるように云い、大剣を差し出します。別れ際に志保に向かって庄三郎は云います。
「ご迷惑をおかけしました、志保どの、」
「長い間お世話になりましたが、たぶんこれでもうお眼にかかることはないでしょう」
「ほかに心残りはありませんが、今年の菊を見られないのが残念です、」
「では、、ご機嫌よう、、」

心に残る一冊 その149 「やぶからし」 その六 避けぬ三左

駿河国府中の城下街で、小具足をつけた三人の若者がひそひそと囁いています。大手筋の方から、ひとりの大きな男がやって来ます。眉が太く、口の大きな、おそろしく顎骨の張ったいかつい顔です。眼だけは不釣り合いに小さいのですが、柔和なひかりを帯びています。徳川家康の武将、榊原康政の家臣の一人、国吉三左衛門常信です。いつもは向こうから来る人であろうと、戦で矢弾丸だろうとなんであろうと、避けないので「避けぬ三左」と呼ばれています。雨の日でも雪の日でも傘や簑をつけません。「ああ、いい天気だな」というほどです。それでこの綽名がついています。

三左に突然憂うつが襲うのです。大橋弥左衛門という榊原家の年寄がいます。槍組の侍大将です。三左は、弥左衛門に鷲尾家の小萩という娘を妻にしたいと仲立ちを依頼します。しかし、実のところ小萩なる娘がいかなるものかを知らないのに結婚を決意するするのです。それは小田原評定後、徳川家が関東に移封されれば、家康の天下統一は三左の孫子の代の先になるのではと心配し、あえて出陣前に妻を娶ろうときめるのです。

箱根や鷹巣城攻めに加わった三左は、例の矢弾丸を避けぬ戦法で先陣にたって名乗りを上げます。
「城の大将にもの申す、山中城すでに落ちた」
「守将松田どのはじめ諸武将それぞれ討ち死にされた、早く城門を開いて降伏せられよ」

とたんに敵城方から射かけられた矢が三左の体へ突き刺さります。彼はそれでもぐっと槍をつかみ、城門へと悠々と大股で前身します。これを見た敵兵は恐怖にうたれ、動揺がおこります。その動揺はそのまま大きく敗走へと向かいます。榊原軍は一斉攻撃にうつり、難なく落城させてしまいます。

主君榊原康政に助けられた三左は、小田原城を見たいと願い出ます。城が指呼にあり、相模野が広がります。じっと眼を凝らして晴れやかにいいます。
「ああ、いい天気だな、、」

絶えてひさしい三左の言葉に、周りの兵たちはいいます。
「鷲尾の小萩どのを見たらもっといい天気だろうぜ、、」
「なにしろあのひとが駿府のかぐや姫といわれる佳人だとは、彼はまだ知らずにいるのだから」

短期決戦否定の戦争観と粘り強く天下制覇を果たした家康ごのみの色彩がはっきりと現れる作品です。

心に残る一冊 その148  「やぶからし」 その五 鉢の木

主人公の壱式四郎兵衛は元鳥居元忠の家臣です。主君から不興を買い琵琶湖近くに隠棲しています。そして勘当の許しを待っています。妹、萩尾の結婚のことで土地の豪族の当主である佐伯又左衛門と諍いを起こします。それは、又左衛門が萩尾を妻にと四郎兵衛に望むのですが、四郎兵衛から婉曲に断られたのが原因です。

四郎兵衛は籔下の家で賃取りの箭竹つくっているのですが、生活苦は一段ときびしくなります。折から、又左衛門は家康が上杉征伐に出陣のあと、伏見城の留守を預かった鳥居元忠ら1,800人が、石田三成軍ら四万人の軍勢に取り囲まれていることをしります。そして馬を曳き、鎧兜を負って四郎兵衛宅に駆けつけ、出陣の餞けとして贈ります。勘当の許しが届かないのは、元忠が敵に包囲されたためでした。

四郎兵衛は萩尾と又左衛門の結婚を許し、「鉢の木」の謡を朗吟しながら、四郎兵衛は恐らく再び還ることのない戦場へ勇躍出陣していきます。
「さて合戦はじまらば、敵大勢ありとても、かたき大勢ありとても、一番に割って入り、思う敵とより合いて死なん、、」

四郎兵衛は兜の下から萩尾と又左衛門をじっと見つめ、さらばと云いながら大股で外にでていきます。馬がたかくいななき、すぐ馬の蹄の音がおこり、それが道へと出て行きます。萩尾はつよく眼をつむります。馬上の兄の顔がありありと見えるのです。

心に残る一冊 その146 「やぶからし」 その三 抜打ち獅子兵衛

1940年2月の「講談雑誌」に収録された作品です。抜打ち獅子兵衛こと館ノ内左内は、お家再興を願っていたのですが、幕府や主家親族諸侯の冷たい態度から、御家再興に見切りをつけます。そして、往来繁華な両国広小路で賭け試合を行って話題を撒きます。

両国広小路は、人馬旅行客の往来は絶えず、旅館、茶店、見世物小屋などが軒を並べて賑わっています。その広小路の真ん中に次のよう高札が立ちます。

賭け勝負(木剣真剣望み次第)
  試合は一本勝負
  申込みは金一枚
  うち勝つ者には金十枚を呈上
  中国浪人、天下無敵
      ぬきうち獅子兵衛

軀つきこそ逞しく堂々としていますが、年は若く色白で眉の濃いなかなかの美丈夫です。しかも恐ろしく強く、その人気はすばらしいものです。群衆の歓声を浴びながら、出雲国広瀬三万二千石、松平壱岐守の子で虎之助が三人の供をつれて左内の前に現れます。虎之助は「鬼若様」と綽名されています。その活躍振りを私かにながめていたのが倫子という女性です。柘植但馬守直知という備中新見二万石の領主がいましたが、早逝したため藩は取り潰しとなります。その遺児が倫子でした。

鬼若様の供で左内に見事に打ち負かされた綿貫藤兵衛がやってきます。
「昨日お手合わせを仕った、拙者主人の申しつけでこれより屋敷へご同行願いたく参った」
「結構です、参りましょう」
「そんな口車に乗っちあ危ね、昨日の遺恨があるんだ、殺されちまいますぜ!」
「お止めなさい、先生、」群衆が云います。

左内は支度を直したうえ、藤兵衛に導かれて松平虎之助の前へでます。そして自分の禄をはむ気はないかとたずねられます。
「お言葉、身に余る面目に存じます」
「私にお願いがございます」
「できるこなら聞いて遣わそう」
「はなはだ不躾なお願いでございますが、こなた様に奥方をご推挙申し上げたいのでございます」

このことを云いたいがために、眼に尽きやすい両国に高札をたて、虎之助が来るのを待っていたというのです。
「ほう、、そうすると賭勝負は余を誘い出す手立てだと申すか、
「左内、余に娶れというその相手はいかなる身分の者だ、」
「こなた様とお見込み申し上げます、先生、ご改易に相成った柘植但馬守でございます」

左内らはお家廃絶のあと、家中離散のなかより不退転の者たちが御後室妙泉院の御息女倫子を護ってきたことを伝えます。
「お年は十七歳、御怜悧の質にて世に稀なお美しさをもちながら、このまま生涯、日陰のお身の上かと思いますと、わたくしども臣下の身にとり残念とも無念とも申しようがざいません」

「左内、、、、、それでよいぞ」
「もうなにも申すな、、そのほうほどの者に見込まれたら逃げられまい、」

心に残る一冊 その147 「やぶからし」 その四 蕗問答

寒森新九郎は秋田藩年寄役筆頭です。食禄は八百石あまりですが、佐竹では由緒のある家柄です。しかし、強情でおまけに健忘家として名を売っています。物忘れはずばぬけていて「忘れ寒森」と云われていました。

江戸にいた佐竹義敦から早馬の使者がやってきます。
「秋田蕗の最も大きいものを十本、葉付きのまま至急に集めて送れ」という墨付きの上意です。
江戸城では諸国の大名があつまって、お国自慢が披露されます。義敦は茎の太さ二尺、全長一丈をこえる蕗のことを話します。しかし、万座の者からさんざん笑殺されたのです。

新九郎は眼をむいて云います。
「つまらぬ自慢話のために早馬の使者をたてるとは怪しからぬ、」
そう云って、主君に諫言するために二人の供を連れて秋田を出立します。ところが途中まできて、大変なことになります。江戸へ行く目的である諫言の仔細を忘れてしまったのです。

新九郎が出府します。数日前、義敦は諸侯たちに秋田蕗を調理してみごとにうっぷんを晴らしたのです。しかし、新九郎から小言をいわれると気づくのです。新九郎を数寄屋に招き、侍女の浪江に茶を点てさせます。浪江は「おこぜ」という綽名の醜女で年は二十六歳です。醜いながら愛嬌があります。
「急の出府はなにごとだ、、」
「は、、、真にご健勝にあらされ、、、、なんとも祝着に存じ、、、、」
新九郎の額に大粒の汗が噴き出しています。ああ、新九郎め小言の種を忘れたな、と義敦は察します。
「どうした、用向きを申さぬか、、」
「御意の如く、もちろん、新九郎といたしましても、遙々国許より、、その、、」
「なにを考えておる、押しかけ出府は筋ではないぞ、急用あらば格別、さもなくして軽々しく国許を明けるとは不埒であろう、新九郎どうだ!」
「恐れ入り奉る、実は、実は、、」

必死に顔を上げると、ふと侍女の浪江を見ます。その瞬間、苦し紛れの逃げ道をみつけます。
「我がままながら、このたび一生の妻とすべき者をみつけましたので、ぜひともお上のお許しをおね願い仕るべく、、、」
「ほう、嫁を娶りたいというのか、してその相手は誰だ」
「は、お上のお側におります者で、、、」
こうして新九郎は浪江を連れて秋田に戻ります。

浪江は秋田で主婦として手際よく家事を処理し、荒れ地を開墾し、秋田蕗を砂糖漬けにして秋田の名産として江戸に送りだそうとします。秋田蕗のことから、新九郎は諫言の中身を思い出します。再び江戸に参上して主君に忠告するという可笑味な娯楽小説となっています。

心に残る一冊 その145 「やぶからし」 その二 笠折半九郎

「喧嘩は理窟ではない、多くはその時のはずみである」 このような書き出しで始まる短編小説が「笠折半九郎」です。

理窟のあるものならなんとか納まりもつくのですが、無条理にはじまるものは手がつけられないことが多いようです。半九郎と小次郎という二人の若侍の喧嘩がその例でした。二人は紀伊家の同じ中小姓で親友です。半九郎は西丸角櫓の番之頭を兼任し、食禄は三百石。小次郎は二百五十石をもらっています。半九郎は、生一本な直情径行派であるので対し、小次郎は沈着な理性派です。

喧嘩と和解を繰り返しながら、二人は主君紀伊頼宣の主従という隔てを超えた家臣への信愛によって絆で結ばれています。しかし他愛もない話柄が意外な方向へもつれ、ついには決闘を約して別れます。その前夜半叩き起こしたのは小次郎です。城の火事を知らせてきたのです。共に城に走り、配下を指揮して命がけで角櫓を守りとおします。

鎮火後に行われた恩賞で、持ち場を死守した半九郎だけには沙汰がありません。半九郎自身はなんとも思わないのですが、まわりが論功行賞の不平をあげつらって、半九郎をけしかける輩がでてきます。「自分は火消人足ではない」と答えた半九郎の返辞が恩賞組の反感を呼びます。仲介にはいった小次郎との勘定のもつれがまたも燃え上がって、再び決闘という次第となります。

争いの原因を知った頼宣が決闘の場に現れ、力一杯に「馬鹿者、馬鹿者、馬鹿者!」と連呼しながら半九郎を殴打して云います。
「世間の評判などはとりとめのないものだ、城は一国の鎮台として大切だ、宝物ものもまた家にとって大切だ」
「しかし、人間の命は城にも代えられぬ、予にとっては角櫓ひとつよりも、家臣のほうが大切なのだ」
「それほどの思し召しとも存ぜず、愚かな執着に眼がくらんでおりました」
「このうえは唯、、お慈悲でごさいます、わたしに腹を、」
「ならん!」
「そなたらは勝手に果たし合いをしようとした、軽からぬ罪だ、両人とも五十日の閉門を申しつける」
「小次郎も半九郎も一緒に謹慎しておれ、離れてはならんぞ、」

二人は平伏したまま泣いています。

心に残る一冊 その144 「やぶからし」 その一 入婿十万両

山本周五郎の作品の一つ、「やぶからし」を紹介することにします。讃岐多度津の京極藩に矢走源兵衛という槍奉行がいます。婿に迎えているのが一人娘、不由の良人である矢走淺二郎です。不由は京極藩随一の男勝りの才智容色をそなえています。

淺二郎は大坂の唐物売買商、難波屋宗右衛門の倅です。巨万の富者として知られていました。諸藩はいずれも財政難で逼迫しています。京極藩も例外でありません。淺二郎が京極藩に婿としてやってきたのは藩の財政事情があったのです。藩の財政を短期間に立て直す秘命を帯びて、見識の高い不由と祝言を挙げたにも関わらず不由は臥床を共にしません。

家中の若侍たちは、讃岐多度津の京極藩随一の娘、不由を横取りされたと怒り淺二郎に嫌がらせをするのです。出ては家中の侍に嘲笑され、入っては不由の卑めを受けるのです。
「なんだ、商人上がりの算盤才子が、、」
「あんな生白い奴に御槍奉行の跡が継がせるとは四国武士の恥辱だ」
こう云いながら嫌がらせが続きます。

ある時、淺二郎は三人の若い家中に襲われます。
「新参なれば遠慮しているのに、おのれを知らぬ無道者、、さあ参れ!」
日頃の柔和さとはがらりと変わった態度です。大きく見ひらいた双眸には犯しがたい威力と殺気が閃めいています。たまたま所用で通った不由ははからずも思いがけない淺二郎の姿を発見します。

淺二郎は恩師である岡田寒泉という人の示唆によって、京極家の家譜を閲覧して調べます。そこで京極家の家臣だった淺二郎の先祖が、唐物売買を始めるにあたり、藩祖から拝領した五千両を資本としたのが難波屋の巨富を積み上げるもとになったことを家譜から見つけます。淺二郎はその家譜を持って、ただちに生家に赴き十万両を藩家に献上させるのです。こうして藩の財政再建の目処をつけます。役目を果たした淺二郎は、槍奉行の矢走源兵衛に暇乞いをします。

「これにてお召し出しに与りましたお役目をどうやら果たしました、私を離別して頂きとう存じます」
「お嬢さまは清浄無垢にござりまする」
「殿にもお暇を願っております」
「ご承知くださいまするな」

淺二郎が立とうとするとき、不由が「お待ち下さい」と云って入ってきます。
「様子は次の間で伺いました、大坂へお帰りあそばすとのことでございますが、それならわたしもとお伴れくださいませ」
「、、、それはなぜでござるか、」
「わたしは貴方様の妻、妻は良人に従うのが道でござりまする、、、」
「それに貴方さまはわたしが清浄無垢と仰せられましたが、わたしはもはや身籠もっております」
「なにを仰せられる」淺二郎は呆れて「ご当家に参って以来、一夜たりとも閨を共にせぬこと、ご承知のはずではないか、」

彼の男らしさを知った不由は、不束を詫びて良人の膝に泣き伏します。

心に残る一冊 その143 「若き日の摂津守」 その二 町奉行日記

「望月どのはまだ出仕されない、その後なんの沙汰もなく、奉行職交代のようすもない」ー当番書役私記

家老や重臣を前に奉行職を任じられた望月小平太が云います。
「私は壕外をなくそうとするのではございません、長年の間、溜まっていた塵芥をかたづけ、毒草の根を断ち切るだけです、それだけがわたしの役目です」
小平太は脇においてある調書をとり、本田斉宮という重職に渡して「他の重職の方々でも回覧してもらいたい」と云います。

壕外をとりしきる三人の親方の一人、大橋の太十を小平太は訪ねます。着流しで刀をずっこけそうに差し、右手を懐にいれています。
「太十は私だが、、なにか私に御用ですか」
「おれは町奉行の望月小平太だ、」

二人は豪勢な造りの書院造りをとおり庭にでます。そこに茶と菓子が運ばれてきます。
「冗談じゃあね、おめえ大橋の大十だろう、」
「望月がどんな人間か、評判ぐれえは聞いている筈だ、おれは茶なんかほしくって寄ったんじゃね、ふざけるな」
太十は酒肴の用意を命じます。若い女が酌に座ります。どうやら太十の妾らしいようです。
「いい女だな」小平太は云います。
「お見通しでございますかな」
「いい心持ちだ、太十」
「痛み入ります」
小平太は云います。「まだそんな堅苦し口をきいているのか、こっちは兄弟分になろうと云っているんだぜ、さあ、大きいので一杯いこう」
「太十、、これはおめえとおれの、兄弟分のかための盃だ、いいだろうな」

五人の芸妓は小平太の陽気で巧みな遊び振りに、さそいこまれて、みんなすっかりはしゃぎだして無遠慮に嬌声をあげています。酔ったあげく休むと云って若い芸妓としけもむ小平太です。壕外の三人の親方、大河岸の灘八、継町の才兵衛、大橋の太十が集まり、小平太の桁外れの振る舞いを話題にします。
「あれは誰にもできるという芸じゃない、おらあすっかり惚れ込んじまったよ」灘八が云います。
「灘波屋八郎兵衛、気に入ったぞ、とても他人とはおもえねえって」

そこに小平太があらわれます。袴をさばいて上座に座り刀を置いて三人をみまます。濃い眉と一文字なりの唇とが、厳しい威厳を示しています。
「町奉行、望月小平太である」切り口上で云います。
「灘波屋八郎兵衛、継町の才兵衛、大橋の太十、こんにちはいずれも大儀であった」
三人は平伏します。
「これで挨拶は済んだ、三人とも楽にしてくれ」
小平太は手早く袴と紋付きを脱ぎ、白い下着の帯をぐるぐると巻き付け、三人の前へきてあぐらをかきます。三人はあっけにとられます。
「さあ、灘波屋のとっつあんから順に盃をもらおう」

「それはまた、どういわけです?」
「侍と町人、町奉行と壕外の親分、、こういう裃をぬいで、男と男になりたかった」小平太は云います。
「人間と人間、男と男になって頼みたいことがあったからだ」
「頼みとは?」八郎兵衛が云います。

小平太は懐から奉書紙で包んだ書状を出し、それを一通ずつ三人の前に出します。
「、、右により四月限り、壕外を立ち退くこと実正なり、万一仰せにそむき候ばあいは、いかようなる罪科に問われるとも、、、、」

同じ四月十二日の町奉行日記にはこうあります。
「壕外に住む親方三名、灘波屋八郎兵衛、継町の才兵衛、大橋の太十は、家財を処理していづれかへ立ち退いた、いかなる理由によるかわからないが、長年にわたって御政道のさまたげとなっていたことが、これでようやく落着した、藩家のために慶賀すべきことと思う」