中学時代の教科書に、福岡県志賀島で「漢委奴国王」という金印の写真がありました。この金印によって中国の王朝と日本の交流があったことが裏付けられたという内容でした。「後漢書東夷伝」の記述では、当時中国の諸王朝は日本列島にあった政治勢力や国を「倭」とか「倭国」と呼び、その王の一人が卑弥呼であるとしています。
「倭」は中国に恭順の意を示すために貢ぎ物や人を送っています。当時の日本は「邪馬台国」だったそうです。まだ、文字が通用していなかった日本のことが、後漢書などで記述されていることで、畿内ヤマトや佐賀平野などの所在地論争というロマンが続くことになります。
今回の記事は、「漢」です。「漢」とは元々は長江の支流である漢水に由来する名称です。漢水は漢河ともいわれます。前漢時代と呼ばれるのは、紀元前206年から紀元後8年のことです。秦が滅び項羽との争いに勝利した劉邦が王となり都を長安におきます。後漢時代は紀元後25年から220年までで、都は洛陽におかれます。この時代に書かれた歴史書が「後漢書東夷伝」です。当時の日本を知ることができる唯一の資料ではないでしょうか。
「漢」の説明を広辞苑で調べると、「あまのがわ、中国の王朝名、前漢、後漢など中国の異称、晋の五胡が中原を乱したとき、漢民族の男子を罵って漢児と称したことから、男子、おとこ」などとあります。こうして、中国本土古来の民族や中国に関することがらから、沢山の熟語が生まれます。「漢民族、漢人、漢土、漢字、漢語、漢文、漢詩、漢学、漢籍、漢訳、漢方、漢風」などです。男子やおとこ、という「漢」からは、 「漢魂、好漢、悪漢、巨漢、怪漢、酔漢、暴漢、」そして「痴漢」という按配です。男は「漢児」とも呼ばれたようです。
「漢」または「水の流れていない川」をあらわす形声文字で「あまのかわ」ともいわれます。音読みは「乾」に通じるようです。
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