囲碁にまつわる言葉 その7 【一目置く】

平成3年の碁老連ニュースには、日本棋院が発行していた「囲碁新聞」の「ボケ防止と囲碁」という記事を掲載し始めます。もちろん棋院より記事の転載許可を得ています。東大医学部教授の折茂肇氏と石倉昇七段の共同執筆です。脳の老化の仕組みとか、病的な老化や生理的な老化、といったことが解説されています。囲碁の効用のなかで、「碁を打っているとぼけない」というのが決め台詞のようです。

—–【一目置く】——–

一目置くライオン


「大辞林」によれば、【一目置く】とは、「自分より優れていることを認めて敬意を払う、一歩譲る」とあります。一目置くは囲碁から生まれた言葉で、一目は一個の碁石のことです。囲碁ではハンディとして、弱い方が先に石を一目置いてから対局を始めます。 通常の対局では「弱い方が先に石を置く」のです。なぜかと言いますと、盤上ゲームは基本的に先手の方が有利だからです。そこから、【一目置く】は、相手の実力を認め敬意を払う意味となります。

「一目置く」の強調した言い方には、「一目も二目も置く」という表現があります。注意すべきことというか、意外なことは「一目置く」は自分より目上の人に対しては使わないということです。「一目置く」には「相手を評価する」という意味も含まれているので、基本は目上の人が目下の人に対して使う言葉となります。世間での「一目置く」の使い方は逆のような感じがします。

囲碁にまつわる言葉 その6 【八百長】

八王子囲碁連盟の前身、碁老連はその大会への参加条件は60歳以上の市民と会員で、段位を持っていること必要でした。しかし、世の中の変化のせいでしょうか、その後の大会では級位者も参加できるようになります。碁の人口を掘り起こしたり、広げるために順当な判断だった思われます。

碁老連ニュースはなぜか第10号から手書き刷りとなります。それでも相変わらず記事は大会開催の案内や大会記録に終始しています。この理由は、ニュースは全く会員だけに配付され読んで貰う方針だったからだと思われます。しかし、ニュースというのは組織の顔にあたります。対外的な読者もいることを念頭におく必要があります。注目したい記事は、NTT敬老囲碁大会の対局の棋譜が掲載されていることです。八碁連だよりもこうした棋譜を載せて読者を楽しませることです。

—–【八百長】——–
広辞苑二版には、「明治初年、通称八百長という八百屋が、相撲の年寄伊勢ノ海五太夫と常に碁を囲み、すぐれた技倆をもちながら、巧みにあしらって一勝一敗になるようにした」とあります。この場合、年寄は相手は手加減の技倆を理解できていなかったようです。両国にあったある碁会所の来賓として招かれたのが16世・20世本因坊秀元です。八百長は秀元との対局で本気を出して勝負したことでその実力がばれたようです。以後わざと実力を出さないことを“八百長”と呼ばれるようになります。ただ、話が上手すぎるという印象もありますが、、、

八百長相撲

八百長の意味は、内々にしめしあわせておいて、なれ合いをすることとあります。相撲でも政治の世界でもみられることです。「おもねる」「へつらう」は、気に入られようとする下心のことです。ネガティブな脈絡でつかわれる言葉です。

2017年の新語・流行語大賞となったのが「忖度」。「他の人の気持ちを推し量ること」という意味」だそうです。「こびるとかへつらうというような下心はない」と辞書にはあります。ですが、報道されてきた忖度の用法は、どうも「おもねる」のニュアンスが感じられます。英語では「flattering」が相当します。

囲碁にまつわる言葉 その5【棊子麺】

八碁連の前身である碁老連は、同好会同士の囲碁対抗戦をやっていました。各同好会より6名の代表を選んで開いたようです。さらに新春囲碁祭りを2日間に渡って行ったというのですから、その元気さが伺えます。平成2年の大会には、今もかくしゃくとしておられる信江峻氏のお名前もあります。平成4年くらいまでは、ニューズレターは大会記録や碁楽連の規約、内規を満載です。

平成2年には、電話100年事業の一環としてNTT八王子支店が敬老囲碁大会を主催しています。大会参加者多数のために、予選会を実施するという盛況ぶりです。このときの弁当は,海苔巻き、いなり詰め弁当で300円とあります。ニューズレターには、駄句という断りながら、【碁敵は憎くも、愛し燕来る】【目を余して優勝ビール冷ゆ】という名句が掲載されています。

棊子麺

—–【棊子麺】——–
「棊」とは、碁や将棋の競技などの意味で、他の盤上遊戯の駒や碁石、その盤を意味します。「棊」は「棋」の以前に使われていた字です。棊は棋の異体字というわけです。江戸時代後期の有職故実の随筆『貞丈雑記』では、棊子麺は「小麦粉をこねて薄くのばし、竹筒で碁石の形に打ち抜き、ゆでてきな粉をかけた食べ物」との記述があるようです。原型は麺でなく碁石型だったというのですから面白いことです。現在は「ひもかわ」とも呼ばれ、平打うどんが通称になっています。

棊子麺の名称は、紀州の人々が食していた平打ち麺で、紀州麺から転じた用語という説があります。別の説もあります。信長の時代に『日葡辞書』というポルトガル語辞典がイエズス会から出版されます。その中に「Qiximen」という項目があり、「Qiximen.キシメン(棊子麺) 小麦粉で作った食べ物の一種」という記述があるようです。囲碁とは全く関係がなさそうですが、、、

囲碁にまつわる言葉 その4【玄人と素人】

八碁連の会長は長年にわたり1年任期が続きました。それだけ会長になれる沢山の人材がいたのか、はたまた2年、3年の任期では弊害が起こるのではないかという懸念があったからでしょうか。しかし、1年任期では相応の仕事ができるのかという疑問が生まれます。私の短い経験からしますと1年任期では中期的な仕事はできないという結論です。
 
政界をみますと、菅総理大臣も1年で退陣を表明しました。以前、宇野宗佑、羽田孜という首相はたったの2か月で辞めました。細川護熙も9か月という短命の首相でした。権力闘争や連合や連立といった内部における意見の対立によって、国民が期待する成果を挙げることができませんでした。

—–【玄人と素人】——–

素人と玄人の標識


玄人(くろうと)・素人(しろうと) という言葉です。黒石と白石から生まれた言葉が玄人であり素人です。「黒うと」「白うと」という表記はありません。でもおかしいな、という疑問が生まれます。対局するとき、碁の強い人が白を持ち、弱い人が黒を持ちます。もって平安時代では強い人が黒を持って対局をしていたといわれます。玄人とは、その道に熟達した人、特別の能力を究めた人です。そのために大いなる「苦労をした人」かもしれません。語呂合わせの印象もありますが、、、、

「玄」という漢字には〈黒い〉とか 〈微妙で深遠な理〉 という意味があります。老荘の道徳における微妙な道ともいわれます。他方「素」 の漢字には,〈色をつけてない〉 〈加工や装飾していない〉 という意味があります。「素のまま」とか「素っぴん」という用語がそれを表しています。

囲碁にまつわる言葉 その3 【先手と後手】

 八王子囲碁連盟の前身、碁老連の趣旨が少しずつ変わります。「ボケ防止のために、老人囲碁同好者の誰もが碁を楽しむことができるように機会と場所を確保する」というユーモラスな表現となっていきます。惚けとか痴呆、認知症という用語が広まってきたことがその背景にあるようです。高齢化社会がますます進行する時代です。「ボケ防止」はどうしたら実現するのか。「どしどし囲碁を打とうよ!」というのはあながち間違いではなさそうです。

この手は先手?


 しかし、碁を打っていればボケは防げるというのは、少々うさんくさい感じがします。近所に読書が好きで、俳句を作る90歳のお婆さんがいます。俳句の会にも参加しているのです。要は趣味を楽しむこと、人と会話すること、適度に運動すること、規則正しい食生活をすること等々、なんらかの姿勢や生き甲斐を持っていることが大事なようです。

—–【先手と後手】——–
 将棋は指す、囲碁は打つ、と言います。逆の表現はありません。囲碁では先手が黒石を持ち、後手が白石を持ちます。棋力が拮抗している者の対局では、先手と後手を決めるとき、ニギリが行われます。囲碁では先手が有利なため、後手に一定量の地を「コミ」として六目半を加算します。江戸時代にはコミがなかったといわれます。そのため、石を交代し2局を打ったたようです。「先手必勝」とはよくいわれますが、「先手必敗」という言葉は聞かれません。 

 対局において、盤上のある箇所に打つと大きな得をする手段が残る場合があります。通常相手はそれに受けます。そうしないと大損をするからです。先の対局者の着手を先手といいます。相手は、先の対局者に得をさせない着手で応じます。この着手を後手で受けるといいます。「先手をとる」とか「後手をひく」などの言葉ですね。前者は「機先を制す」「先に動く」、後者は「先を越されて受身になる」などの意味となります。

 石を取るか取られるかの戦いなどの場合、互いに手を抜けずに相手の着手の近くに着手することを繰り返します。その最後の着手を「後手を引く」といいます。先手を打たれても、大きな損をしないと判断すると「手抜きする」こともできます。この場合は、「手を抜く」ともいいます。
 ”後手”、”後手をひく”は英語では「defensive hand」「lose the initiative 」「passive move」などといいます。先手に対して堂々と受けて、じっと先手を待つのが碁の要諦のようです。

囲碁にまつわる言葉 その2【白黒】

 前回、八王子囲碁連盟(八碁連)の前身は、「八王子の碁を楽しむ老人連合」(碁老連)であることを申しあげました。碁老連ニュース第1号は、ガリを切り謄写版で刷っていたのです。ガリを切りは、結構職人がたきのような技能を要します。力を入れすぎると原紙が切れたりするのです。特に線を引くときは注意がいります。印刷ではインキのつけ具合が大事です。しばしば手が汚れたことを思い出します。

ガリ版刷り

 ガリ版が姿を消したのはワープロ専用機の登場です。昭和60年に日本語ワープロ専用機の先駆け的存在である「Rupo 」がでます。その後、「書院」「OASYS」「文豪」と続き、文書作りが一段と楽になります。
 
 碁老連を形成した頃の寿同好会の会員は有段者で、163名の会員数となっています。初心者や級位者は入会できなかったようです。ちなみに現在の八碁連の会員数は303名で級位者も含めた数です。碁老連の運営は、8つの寿同好会からの「上納金」や「寄付金」を充てるとあります。上納金とは面白い表現です。活動はもっぱら同好会の対抗囲碁大会、名人・王座・天狗戦大会の開催が中心だったようです。当時、初心者の育成とか子どもへの囲碁の啓蒙や普及活動などは視野に入っていません。

—–【白黒】——–
 碁石の大きさは、黒石が直径22.2ミリ、白石は21.8ミリです。錯覚で白い色は膨張して見えるので、同じ大きさで作ると白い碁石のほうが大きく見えてしまいます。見た目で同じ大きさに感じるよう、若干白石を小さくしています。対局のために、碁笥には黒石の数は181個、白石は180個が用意されます。
 物事には白と黒、表と裏、陰と陽があります。物事の是非・真偽・善悪などを決めるのが「白黒つける」です。その語源は、囲碁の碁石から由来します。物事をはっきりさせることです。人間の心理とし、「負ける・弱い」ことよりも「勝つ・強い」ことを前提にしがちです。ですから「黒白をつける」とはいいません。
 犯罪捜査や裁判のときも、白、黒が使われます。「事件の真相に白黒つける」という表現です。黒は否定的、白を肯定的と捉えられる傾向があります。黒という色は、高級、強さや権威、神秘的な雰囲気を感じさせる色です。高級車は黒、「偉い人」の背広や靴は黒です。ですが黒は他の色に比べて負のイメージが潜在的にあります。ちなみに英語の表記では「Black and White」が一般的です。

囲碁にまつわる言葉 その1 【盤石】

 私は、八王子囲碁連盟(八碁連)の会長を務めて今年で3年目となります。昨年、今年とコロナ禍のためにいろいろな大会が開くことができず、市内にある10の同好会が市民センターなどで定例会を開いたり、閉じたりといった有様でした。この同好会が集まって八碁連を形成しています。

 八碁連の歴史ですが、平成元年に結成されます。「八王子の碁を楽しむ老人連合」といい、略称は碁老連といわれていました。市内の8つの「寿囲碁同好会」で結成されました。碁老連の趣旨は「碁を楽しむための機会と場所を確保する」とあり、さらに「碁を通じてより良き福祉社会の建設に貢献する」という高邁な精神も掲げています。

碁盤と碁石

 八碁連の歴代の会長は皆さん高段者でした。会長というのは暗黙の了解で高段者が会長を務めるという慣行ができていたようです。しかし、私は例外で四段で会長になりました。なぜ会長になれたのかは、平成30年、会長に就任した第20代の会長吉澤實八段の推薦があったからです。吉澤八段の下で副会長を仰せつかりました。副会長は会長になるという慣行があります。それまで八碁連の会長は規約によって1年任期でした。吉澤会長らは、会長職が1年というのは対外的にも対内的にも短すぎるとして、総会において3年任期とすることになりました。そして私が第21代の会長に指名されたのが平成31年4月です。規約の改正により、私の会長職の任期は令和4年3月までです。

—–【盤石】——–
 広辞苑(第二版)によれば、盤石とは「大きな岩、いわお、極めて堅固なこと、安定して動かないこと、とあります。稀に「バンセキ」ともいわれるとあります。元もと【盤石】は「不動明王が坐している土台」で、土台は金剛石でできているのです。囲碁は、碁石、碁盤、碁笥から成ります。【盤石】とは切っても切れないご縁があります。碁では「盤石の構え」を相手が攻めようとしてもびくともしない、という状況をさします。「盤石の基礎を築く」「盤石の体制で挑む」などのように、きわめて堅固な状態を指す表現です。ちなみに【盤石】にあたる英単語は「robust」とか 「solid」があたります。

懐かしのキネマ その117 【日曜洋画劇場と淀川長治】

そろそろ「懐かしのキネマ」のネタも切れようとしています。どうして自分は映画が好きになったのか考えています。振り返れば、それなりに理由が浮かんできます。そしてその原因や背景、人との出会いなども心に浮かんできます。それを記すことにします。

小さい時、北海道の美幌に進駐軍がやってきました。チューインガムやチョコレートをねだりました。それは初めての「外人」との出会いでした。アメリカの軍人です。親父が美幌駅で働いていたとき、将校が宿泊する列車が停まっていて、ときどき将校からレーション(ration)と呼ばれる食料などの配給品が入った缶詰を貰ってきました。アメリカ軍の野戦食です。甘い物が少ない時代でしたのでその美味しいことといったらありませんでした。

父の転勤で美幌から名寄に移りました。名寄中学校では始めて英語を習いました。今の子どものように幼稚園から英語を勉強するなんて考えられない頃です。幸い私は良い先生に出会いました。この先生の名前は藤田??。髭と眉が濃く声はバリトンでした。藤田先生の発音は、まるで真っ白の紙に滴が垂れるように、私の耳には実に新鮮でズンズンと伝わってきました。使った教科書は「Jack and Betty」。不思議と文章がスラスラと頭に入りました。

淀川長治

父が転勤で稚内駅勤務となったときです。市の突端ノシャップ岬に米軍の電波基地がありました。一度そこに稚内中学の英語の先生に連れられて基地に入りました。そこで出された黒い飲み物の味を覚えています。コカコーラでした。そこで出会った軍人さんとペンパル(pen pal)となりました。この方は退役してからウィスコンシン州のオコノモウォック(Oconomowoc)という街にあったカトリックの神学校を修了し神父となります。彼はその後、横浜の教会で宣教のために働きます。私がこの神父の活動を知ったのは2005年でした。今もFacebookでやりとりしています。

稚内にいたとき始めて洋画をみました。父親に連れられて観たのが「戦場に架ける橋」です。実は私の父親も大の洋画好きでした。稚内高校で合唱団に入り、NHK唱歌ラジオコンクールの予選に出場するために旭川に行ったとき、スカラ座という映画館で友達と観たのが「八十日間世界一周」という作品です。なぜか、その映画で執事役で出演したカンチンフラス(Cantinfla) というメキシコ人喜劇俳優が今も記憶に残っています。

外国に憧れるようになったきっかけの一つが、中学生のときヨーロッパの地理を学んだことです。イギリスやフランス、ドイツの白地図をノートに書く時間がありました。フランス、ブルターニュ半島(Bretagne)の形を今も覚えています。第二次世界大戦でのD-デイ(D-Day)のとき連合国軍の上陸拠点に近いところです。地理の勉強は世界の地図や地形、首都などを覚えるのにとても役立つものです。普仏戦争での敗戦によってプロイセン(Prussia)の領土となったアルザス(Alsace)の学校で、フランス語に基づく愛国心を描いた「最後の授業」という短編小説があります。アルフォンス・ドーデ(Alphonse Daudet)の作品で、これを読んでフランスとドイツの歴史を学んだことも懐かしい思い出です。いつかはこうした国を訪ねたいという願望をかき立ててくれたものです。

水野晴朗

映画といえばテレビの影響を忘れることができません。『日曜洋画劇場』、『ゴールデン洋画劇場』、『金曜ロードショー』などの番組です。『日曜洋画劇場』の冒頭では淀川長治が「ハイ皆さん、こんばんは」から始まり、解説の締め括りに「さよなら、さよなら、さよなら」で終わるあれです。『水曜ロードショー』や『金曜ロードショー』番組では、水野晴朗が「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」という決め台詞がありました。『シェーン』(Shane)を観たのはこの番組のお陰です。

最近、ビデオ・オン・デマンドで戦前や戦後の名作映画を観ることができるようになりました。Youtubeでも広告なしで観ることができます。ただ、近年は昔作られたような名作に接する機会がないような気がします。莫大な制作費や興行上の必要性から,ほかの芸術に比較して産業としての性格が著しく強いのが映画です。テレビに押され固定の映画劇場が少なくなり、映画産業が下降しているのは時代の流れといえるようです。それでも「アナと雪の女王」や「鬼滅の刃」の記録的なヒットは意外でした。

懐かしのキネマ その118 【昼顔】

フランス映画はアメリカの作品と異なった特徴や雰囲気があります。人間の存在や二面性をテーマにすることが多いのが特徴の一つです。人間を抑圧しようとする状況の中で、自分という存在の愚かさを受け入れる姿を描くのです。これを実存主義の表れだという解説者もいます。ともあれ映画を「芸術」として考えていることが伺えます。監督や脚本家が一致してこの人間の生き様を描くのです。決して派手さはありませんが,深い思索を感じるものです。自分という存在を女性の視点からとらえた【昼顔】(Belle de Jour)の紹介です。フランスを代表する女優カトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve)が一人の女を演じるのが見所です。

セブリーヌ(Séverine Serizy)は若く美人の妻です。内科医である夫のピエール(Dr. Pierre Serizy)とは夫婦として不満足な暮らしています。セブリーヌは、サドマゾヒズム(sadomasochism-加虐被虐性愛)や威圧性などの性格の持ち主ですが、夫は妻の不感症に耐えています。

スキーリゾートへ行ったとき、友達のヘンリー(Henri Husson)とルネ(Renée)に出会います。セブリーヌにはヘンリーの仕草や自分を見る目つきが気にくわないのです。パリに戻るとセブリーヌはルネとその友達のヘンリエッテに会います。ヘンリエッテは売春宿を経営しています。セブリーヌはヘンリーから薔薇の花束を受け取りますが、ヘンリーの動作にぐらつきます。テニスコートでヘンリーに会い、そこでヘンリエッテと売春宿でのことを語り合います。ヘンリーはパリにある高級宿のことを語り、セブリーヌを誘うのです。彼女はそのときは拒否します。

Severine Serizy

子ども時代の記憶が甦り、ある男が自分の体を触ろうとしたことを思い出します。セブリーヌは、マダム・アナイ(Madame Anaïs)が経営する高級売春宿を訪ねます。その午後、セブリーヌはそこで最初の男の相手をするのです。始めはためらうのですが、マダム・アナイの強い誘いによってベルドジュア(Belle de Jour–昼顔) という名で、見知らぬ男を客としてとるようになります。その一週間後になると、セブリーヌは午後2時から5時まで客をとり、夕方、なにも疑うそぶりのしない夫のもとに帰ります。ある日、ヘンリーが自宅に訪ねてきますが、セブリーヌは会おうとしません。しかし、夫の前でヘンリーと交わる幻想に襲われます。それと同時にセブリーヌは夫ピエールとの夫婦生活が改善するのを感じていきます。

セブリーヌは、マルセル(Marcel)という若い青年と懇ろになります。彼は、セブリーヌがスリルで興奮するような幻想を演出します。マルセルは嫉妬深くなりセブリーヌにもっと要求するようになると、彼女はマダム・アナイの同意を得て高級宿を去ることにします。夫は、セブリーヌが高級宿に行き来していたことを知っていたのです。マルセルの仲間が、セブリーヌの家を訪ね、彼女の秘密の行為を夫にばらすと脅してきます。出て行って欲しいと男に懇願するセブリーヌに対して、その男は「お前の夫は邪魔者だ」と罵るのです。

マルセルはピエールの帰りを待ちます。そして銃で彼に3発を放ちます。マルセルは逃げますが警官によって撃ち殺されます。ピエールは昏睡状態を脱して助かります。警官は、事件の顛末を明らかにできません。セブリーヌは、半身不随となり車椅子に乗る夫ピエールの世話をするようになります。ヘンリーが訪ねてくると、ピエールにセブリーヌの秘密の行為を告げます。 彼女はその言葉を黙って聞いています。ヘンリーが去ると、セブリーヌは夫の前でむせび泣きをします。ピエールは車椅子から身を乗り出して酒をつぎながら、次の休暇はどこでしようかという会話をセブリーヌとするのです。

懐かしのキネマ その117 【太陽がいっぱい】

【レミセラブル】【地下室のメロディ】につぐサスペンス犯罪ものです。原題は英語で【Purple Noon】。1960年にフランスで製作され、サウンドトラックも大変有名になった作品です。

アメリカ人のトム・リプリー(Tom Ripley) はイタリアに赴き、5,000ドルもらえる約束で大金持ちのフィリップ(Philippe Greenleaf)が父親のビジネスを継ぐためにサンフランシスコ(San Francisco)へ戻るように依頼されます。フィリップは戻ることに同意はするのですが、自身の銀行口座にたんまりある金を定期的に引き出してはイタリアで自由奔放な暮らしを続けようとするばかりで、全然帰国する気はありません。フィリップの父親から謝礼金を受けることが出来ないままのトムは、やがて手持ちの金がなくなってしまい、その結果フィリップが日々湯水のように使う金のおこぼれをあてにして、彼と行動を共にせざるを得なくなります。

Philippe, Marge & Tom

フィリップに言われれば買い物や調理やハガキの代筆をするなど、トムはまるで都合の良い「使い走り」のように扱われる有様です。内心嫉妬心や怒りにさいなまれていきます。トムはフィリップと彼のガールフレンドであるマージ(Marge)に惹かれていきます。フィリップは次第にトムのへつらいに辟易し始め、ヨットで出掛けたとき、トムをボートに置き去りにして何時間も太陽にさらすのです。

トムはあらかじめ練ってあった計画どおり、フィリップになりすまして彼の財産を手に入れるための手を着々と打ち始めます。トムはフィリップを殺害し、自分が彼になりすまそうとするのです。フィリップが他の女性と関係している証拠をマージに見せ、彼女を怒らせるのです。マージが海辺にいくと、フィリップはトムに関係は一時的なものだと認めます。ヨットの上で、フィリップは冗談だろうといいながら、トムに金銭を渡すから自分とマージから離れるように伝えます。それを了承すると見せかけてトムはフィリップを刺して海へ捨て、港に戻ってきます。波止場に戻ると、トムはフィリップが姿を消したとマージに伝えます。

フィリップのパスポートの偽造には、公印を粘土で型どりにしてニセの公印を作り、それを自らの写真に押すことで、見事に差し替えます。フィリップのサインをそっくり真似るため、スライド映写機を使い彼のパスポートの筆跡を拡大して壁に貼った紙に映写し、筆跡の映像を何度もなぞって練習し、見事にフィリップと完全に同一の署名ができるようになります。トムは、さらに彼の声色も完璧に真似してフィリップになりすまし、電話越しで婚約者のマージすら騙すことに成功するのです。マージがフィリップに会いたがれば、フィリップのタイプライターでつれない文面の手紙を作成しマージに手渡し、フィリップに女ができたから会いたがらなくなったのだ、と思わせることにも成功します。才気と才能に溢れた男の面目が躍如とします。

フィリップの友達、フレディ( Freddie Miles)がホテルに会いにきますが、フィリップでないと疑います。トムはフレディを殺害します。警察がフレディの死体を見つけますが、トムは自分とフリップを使い分けてなりすまします。トムはフィリップがフレディを殺したとして、自殺し財産はマージに譲るという書き置きを残します。トムは機知を働かせて何とかイタリア警察の追跡を逃れます。そしてマージに言い寄っていきます。そして彼女と同棲を始めるのです。

フィリップのヨットを買い手の業者が点検しようと波止場に引き寄せます。アンカーに引っかかったカンバスに包まれた死体が発見されます。スクリューに巻き付けられていたのです。トムは露知らず、ビーチでワインに酔いしれています。犯人がトムであることを確信した刑事がウェイトレスにトムを呼ぶように依頼するのです。