北海道とスコットランド その1 余市とニッカ

私は樺太生まれ。育ちは北海道であるから、自分では一応道産子と呼んでいる。最も長く暮らしたところは美幌とサッポロである。

秋を迎えると北海道に自然の厳しさの前触れが訪れる。どんよりとした曇り空。気温は日に日に下がっていく。そして冬支度が始まる。大根干しや漬け物づくり、石炭やストーブの用意、野菜の台所にある土間への収納や庭への埋め込み作業である。山葡萄を一升瓶につけ、ジュースやワインをつくる。木箱にいれたリンゴも凍らないように土間に貯蔵する。今となっては懐かしい風物詩だ。

リンゴといえば小樽の西にある余市という寒村を想い出す。積丹半島の付け根に位置する。とりたてて特徴があるわけではない。かつてはニシン漁で栄えたが、人口は年々減り続け、高校を卒業するとサッポロを目指していく。余市は漁業のほか、果樹の栽培が盛んなところである。リンゴも梨もとれる。しかし、なんといっても余市を全国に知らしめたのがニッカウヰスキーである。敷地に入るトンガリ屋根の楚々としたウイスキーの貯蔵庫が建っている。

最近とみに余市が脚光を浴びるようになってきた。NHKの朝ドラ「マッサン」である。主人公は、ニッカウヰスキーの創業者であり、「日本のウイスキーの父」と呼ばれている竹鶴政孝、その妻である竹鶴リタ(Rita Taketsuru)が主人公である。

竹鶴は後に大阪大学となる大阪高等工業学校の醸造学科で学ぶ。1918年(大正7年)にスコットランド(Scotland)のグラスゴー大学(University of Glasgow)に留学し、有機化学を勉強する。1920年にリタ(Jessie Roberta Cowan)と結婚する。帰国後、寿屋、後のサントリーに入社しウイスキーの製造に従事する。

1934年、昭和9年に竹鶴は寿屋を退社し、同年ウイスキーづくりの理想郷と考えた余市に「大日本果汁株式会社」をつくる。その後名称をニッカ(日果)ウヰスキーとした。スコットランドに似た風土の北海道の余市を選んだのは竹鶴の慧眼によるものだ。

暫く、私と余市、サッポロ、スコットランドを話題としてみる。

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