アメリカ合衆国建国と植民地時代の歴史 その61 「心の宗教」の衰退

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このような熱烈な「心の宗教(Heart religion)」は「頭の宗教(Head religion)」にとって代わられます。西部の主にスコットランド-アイルランドの長老派教会(Scotch-Irish Presbyterian)の牧師には、こうした熱烈な宣教活動は危険な現象であると考えられました。なぜなら、任命された教会指導者は牧師からのより正統的な聖書学を好んでいたからです。さらに、騒々しい悔い改めによって救いを得るという考えは、カルヴァン主義者(Calvinist)の予定説(predestination)を弱体化させるものでした。実際、人々の階層や植民地の境界における混乱は、いくつかの分裂を引き起こしました。

 メソジストにはこの種の問題が少なかったようです。その理由は予定説を決して受け入れなかったからでした。そしてもっと重要なことに、その教会組織は民主的であり、初歩的な教育を受けた信徒伝道者は、個々の会衆を率いることから地区や地域の会議を主宰し、最終的には教会の会員全体を受け入れることができました。メソジストは、孤立した集落から集落へと伝道し、魂を救い、神の言葉を力強く自由に叫ぶ牧師、または巡回牧師の活躍を通じて、フロンティアの状況に非常にうまく適合しました。

 「大覚醒」(Awakening)の精神は、東にも及び、特にニューイングランド(New England)地方で「第二次大覚醒」と呼ばれるほど盛んになりました。野外伝道集会ほど抑制されたものではありませんが、従来の会衆派教会や長老派教会よりも暖かい集会を強調するものでした。ライマン・ビーチャー(Lyman Beecher)のような大学教育を受けた聖職者は、建国の父たちの一部で見られた神学主義やフランス革命の無神論に対抗するため、大覚醒を推進することを使命としていました。大覚醒はまた、信徒が救いの言葉を広めることに参加することで、信徒の忠誠心を新たに深めることに寄与しました。このような自発的な活動は、各教団に対する税制支援が州ごとに徐々に打ち切られる状態を補って余りあるものとなりました。

 初期の共和国の時代はまた、特にボストンなどの都市で教育を受けたエリートの間で、ユニテリアン主義(Unitarianism)に具現化されたように、穏やかな形のキリスト教の成長を見ました。ユニテリアンは、慈悲深い神が、人間に与えられた理性を働かせることによって、神の意志を人間に知らせるという考え方です。ユニテリアンの考えでは、イエス・キリストは単に偉大な道徳的教師であるとします。普通のキリスト教徒は、ユニテリアン主義を思想や社会改革に過剰に関心を持ち、罪やサタンの存在にあまりにも甘やかされ、無関心であると考えました。そして1815年までに、アメリカン・プロテスタンティズムの社会構造は、国民文化の中に多くの宗教家によって体系づけられ形成されていきます。

 ユニテリアン主義とは、キリスト教正統派教義の中心である父と子と聖霊という三位一体(Trinity)の教理を否定し、神の唯一性を強調する主義の総称をいいます。奴隷解放や自由を支援しますが、多くのプロテスタント教会は、三位一体の教理を認めないユニテリアン主義を異端として見なしています。

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アメリカ合衆国建国の歴史 その30 信仰復興運動(リバイバル)

「信仰復興運動」とか「大覚醒運動」(Great Awakening)として総称される一連の宗教的リバイバルは、1730年代と40年代に植民地を席巻します。その衝撃は、1720年代にオランダ改革派教会の牧師であるセオドア・フレリングハイゼン(Theodore Frelinghuysen)が説教を始めた中部の植民地で最初に起こります。

1730年代初頭のニューイングランドでは、おそらく18世紀で最も学識のある神学者のジョナサン・エドワーズ(Jonathan Edwards)らが、宗教的な熱狂という大衆伝道にかかわっていました。1740年代後半までに、大衆伝道は南部植民地にまで拡大し、サミュエル・デイヴィス(Samuel Davies)やジョージ・ホワイトフィールド(George Whitefield)などの巡回説教者が、特に地方の田舎で大きな影響力を及ぼしました。

Jonathan Edwards

信仰復興運動は、社会の世俗化の進展や、アメリカ社会の主要な教会の商業主義、唯物論的性質に対する反発を示しています。改心を救いの道の第一歩とし、自分の罪深さを認めたすべての人に改宗の経験を味わわせるのです。大覚醒運動の指導者は、意図的に、あるいは無意識のうちに、カルヴァン主義(Calvinism)の神学を大衆的なものとしていきました。カルヴァン主義とは、すべての上にある神の主権を強調する神学体系、およびクリスチャン生活の実践の教えのことです。

信仰復興運動の説教者の多くのテクニックは、人間の罪深い生活の結果への恐れと神の全能性への敬意を聴衆に鼓舞することでした。神の凶暴さという感覚によって、世俗性の拒絶と信仰への復帰が恵みをもたらし、怒る神からの恐ろしい罰から逃れることができる、という目に見えない約束によって人々は慰められることを強調しました。

しかし、信仰復興運動がうたう神学の考え方には、ある矛盾した性質がありました。信仰復興運動のほとんどの指導者はカルヴァン主義神学の主要な信条の一つである予定説(Predestination)を強調しました。この予定説は、人間が自発的な信仰の行為によって自身の努力によって救いを達成することができるという教義とは決定的に対立するものでした。

Evangelist Billy Graham

さらに、完全な信仰への復帰と神の全能性の強調は、啓蒙思想(Enlightenment thought)とは対立する考え方でした。啓蒙思想は、信仰についての大きな疑問を呈するとともに、人間の日常の営為における神の役割は少ないということを主張するものでした。他方、アメリカの信仰復興運動の主要人物の一人であるエドワーズは宗教を合理的に理解しようとして、ジョン・ロック(John Locke)やアイザック・ニュートン(Isaac Newton)などの考えを明確に援用しました。

ここで重要なのは、信仰復興運動によって促進された福音主義の宗教的礼拝のスタイルが、疑問視された教会の宗派の多く、特にバプテスト派とメソジスト派の宗教的教義をアメリカ国民へより理解しやすくするのに役立ったことです。教会の会員数の拡大は、黒人だけでなくヨーロッパ系の人々にも拡大し、福音派プロテスタントの典礼形式は、アフリカやアメリカで行われるの宗教的礼拝の合同(syncretism)を促進することになりました。