懐かしのキネマ その108 【ナバロンの要塞】

原題は「The Guns of Navarone」という戦争活劇映画です。英国海軍と独軍との要塞の攻防をめぐる実話に基づく映画です。

第二次大戦下の1943年、エーゲ海(Aegean Sea)は独軍の制圧下にあり、ギリシャ(Greece)ケーロス島(Kheros)の英軍2,000の生命は全滅の危機にありました。英軍救出の試みは度々なされますが、睨みをきかすナバロン島(Navarone)の断崖の洞窟に据えられた独軍の巨大な2門の大砲のため失敗します。

そこで英国海軍(Royal Navy)の幕僚フランクリン少佐(Major Roy Franklin)は1つの提言をします。ナバロン島南部の400フィートの絶壁をよじ登り基地に潜入するという計画です。直ちに必要人員が集められます。登山家のキース・マロリイ大尉(Captain Keith Mallory)、元ギリシャ軍大佐スタヴロウ(Colonel Andrea Stavrou )、科学者のミラー伍長(Corporal Miller)、ナイフ遣い手の名人で無線兵のブラウン(Butcher” Brown)、ナバロン島生まれのパパディモス1等兵(Spyros Pappadimos)の5人です。一行を率いたフランクリン少佐は漁船に乗り嵐の夜、ナバロン島に向います。

ナバロンの要塞と巨砲

漁船は途中で独軍の哨戒艇に見つかりますが、これを沈没させます。一行は絶壁から島の上陸に成功します。これを知った独軍は追求を始めますが、一行は要塞めざして潜行し、山頂の古城に辿り着きます。そこで一行は男装の2人の女を捕まえます。1人はマリア(Maria)といいパパディモスの姉、もう1人の若い女はアンナ(Anna)です。2人ともレジスタンス運動に従事していましたが、アンナは1度独軍に捕まり拷問され口がきけなくなっていました。彼女たちを加え一行はマンドラコス(Mandrakos)という街に入ります。しかし、全員が捕まってしまいます。

スキを見てゲシュタポの隊長を捕らえ、これを囮りに独軍の制服を着込み脱出します。しかし重傷のフランクリン少佐はそこへ残されます。いよいよ要塞攻撃の日、一行は要塞の間近かに迫ります。要塞破壊と同時にケーロス島の英軍救出に向かう英国艦隊が要塞の下を通ることになっていました。猶予は許されない中、ミラーはいざというとき爆弾のヒューズが何者かの手で破壊されていることを発見します。一行にスパイがいることをわかり、それは意外にもアンナでした。それを知ったマリアはアンナを銃殺するのです。

一方、独軍は急ぎ海岸線に防備を固めます。要塞攻撃の手はずが整い、スタグロウとパパディモスが要塞近くの町で陽動作戦として騒動を起こすのです。そのスキにマロリイとミラーが大砲に爆薬をしかけます。そしてアンナとブラウンがモーターボートを奪って、断崖の下で逃げてくる4人を助け計画は首尾良く進みます。英国の駆逐艦が近づいたとき2門の大砲は轟然と爆発します。しかし、ブラウンとパパディモスは帰えらぬ人となります。そしてスタヴロウとアンナは再び抵抗運動を続けるためケーロス島へ戻るのです。

懐かしのキネマ その107 【テレマークの要塞】 

原題は【The Heroes of Telemark】ですが、「テレマークの英雄達」の戦争活劇映画です。1934年にノルウェー(Norway)の企業ノルスク・ハイドロ(Norsk Hydroelectric)がヴェモルク(Vemork)に、肥料生産の副産物として世界で初めて重水を商業的に生産できる工場を建設します。第二次世界大戦勃発とともにナチスはノルウェーに侵攻し、この工場を占拠します。そして重水を生産しようとします。連合国はナチス・ドイツの核兵器開発を阻止するために、重水工場を破壊して重水の供給を絶つことを決定します。テレマーク県(Telemark)のリューカン(Rjukan)の滝にある60 MWのヴェモルク水力発電所が攻撃目標となります。

The Heroes of Telemark

連合軍は、ナチスがこの工場を利用して兵器開発計画のための重水を生産することを心配します。1940年から1944年にかけて、ノルウェーの抵抗活動による破壊活動と、連合軍の空襲が計画されます。これらの作戦は、「グルース(Grouse)作戦とか「ガンナーサイド(Gunnerside)作戦」と呼ばれました。

グルース(Grouse)作戦では、イギリス特殊作戦執行部(Special Operations Executive: SOE)が、工場の上にあるハダンゲルヴィッダ(Hardangervidda)の地域に先発隊として4人のノルウェー人を送り込むことに成功します。後に1942年に、イギリスの空挺部隊によりフレッシュマン(Freshman)作戦が実行されますが、失敗に終わります。彼らはグルース作戦で送り込まれたノルウェー人たちと合流し、ヴェモルクへと向かう予定となっていました。しかしこれは、軍用グライダーがそれを牽引していたハリファックス(Halifax)爆撃機とともに目的地手前で墜落したために失敗します。他の爆撃機は基地に帰還しますが、それ以外のすべての搭乗者は墜落の際に死亡するか捕えられ、ゲシュタポにより処刑されてしまいます。

1943年に、イギリス特殊作戦執行部が訓練したノルウェー人の特殊部隊が2回目の作戦「ガンナーサイド作戦」(Gunnerside)で重水工場を破壊することに成功します。ガンナーサイド作戦は後に、イギリス特殊作戦執行部から第二次世界大戦でもっとも成功した破壊工作であると評価されます。こうした破壊工作によって、ナチスは重水生産工場の操業中止を決め、残りの重水をドイツに輸送することにします。ノルウェーの抵抗活動は、水深430mというティン湖(Lake Tinn)において鉄道連絡船「ハイドロ(Hydro」を沈め、重水の輸送阻止に成功します。

懐かしのキネマ その106 【麗しのサブリナ】

原題は【Sabrina】といいます。1954年に公開されたロマンティック・コメディです。主演のオードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)は『ローマの休日』で一躍スターとなりますが、このときはまだ新進女優です。やがて人気を不動のものとしたのがこの『麗しのサブリナ』といわれています。ハンフリー・ボガート(Humphrey Bogart)やウイリアム・ホールデン(William Holden)と堂々と共演しています。

Sabrina

サブリナは、大富豪ララビー家(the Larrabee Family)のお抱え運転手のひとり娘で、ララビー家のすぐ隣りに住んでいます。ララビー家には、貿易会社を営む長男ライナス(Linus)、3度の結婚暦のあるプレイボーイの次男デイビッド(David)という兄弟がいます。サブリナは長年憧れていたデビッドの心を射止めたことに満足げな表情を浮かべていました。しかし、これはサブリナの片思いで、デイビッドはサブリナのことなど眼中にありません。

デビッドのは別の女性との恋愛が進んでいます。しかし、兄ライナスにとって、その恋は許容できるものではありませんでした。弟の結婚によって、ライナスの企業はビジネスパートナーとの合併が実現することとなっていたからです。傷ついたサブリナは排ガス自殺をしようとしますが、ライナスが助けてくれます。サブリナは心を入れ替え、自分を磨くためコードンブルー(Le Cordon Bleu)というパリで有名な料理学校へ留学して料理を学びます。

2年後にすっかり垢ぬけた美女となったサブリナは帰国します。彼女の魅力に今さら気づいたデイビッドは、サブリナをパーティに誘います。デイビッドの父は、プレイボーイの次男にかんかんで、 父とデイビッドは大げんかになります。そんな中、デビッドはパーティーで臀部を負傷、これを好機と見たライナスはサブリナに接近し、自分に気を引かせようと動き出しまします。

パーティーの裏で二人きりになると、ライナスはデビッドの代わりと言ってサブリナにキスをしました。サブリナはライナスの行為に驚きつつも、ライナスの紳士的で優しい態度に徐々に惹かれていきます。ライナスの思惑を知らず、弟のデビッドは回復するまでの間サブリナの相手をライナスに頼み、サブリナもライナスとの時間を楽しむようになります

懐かしのキネマ その105 【女王陛下の007】

英国秘密情報部(MI6)から宿敵ブロフェルド(Blofeld)を捕らえることを目的としたベッドラム作戦(Bedram Operation)を命じられたボンドは、ポルトガルで偶然テレサ(Contessa Teresa)という若い女性と知り合います。美しく、そして車の運転やギャンブルなどで大胆な行動力を見せる彼女にボンドは興味を抱きます。このあたりまでくると、「またボンドはやるなー、」という気分になります。彼女は犯罪組織(crime syndicate)ユニオン・コルス(Unione Corse)のボスであるドラコ(Draco)の一人娘ですが、不安定な生活を送る彼女の身を案じたドラコは、ボンドにテレサと結婚してくれるよう頼み込むのです。ボンドはこの機会を利用し、ドラコからブロフェルドの情報を得ようとしますが、いつしかテレサに本心から惹かれていくのです。

ロンドンに戻ったボンドは、ベッドラム作戦から外されてしまいすが、ドラコの情報からブロフェルドの行方を探り出し、ついに彼がアルプス(The Alps)に構えたアレルギーの研究所で謎の計画を企てていることを突き止めます。変装して研究所に潜入したボンドは、ブロフェルドの計画が12人の被験者となっている女性たちに催眠術をかけ、殺人ウイルスを世界中にばら撒かせることだと知ります。

正体がばれて監禁されたものの、ボンドは隙をついて研究所から脱出します。しかし、ブロフェルドとその部下達による執拗な追跡によって、あわやという所でボンドはテレサに助けられます。アルプスをスキーで逃走する途中、ブロフェルドが人為的に起こした雪崩に巻き込まれたあげく、テレサは研究所に拉致されます。ボンドはようやく脱出してロンドンに戻ります。

MI6より、ブロフェルドの犯罪組織を壊滅するように指示されたボンドはアルプスに戻ります。本部を破壊しテレサを救出します。ブロフェルドはボブススレイでボンドを追跡してきますが、木に激突します。ボンドとテレサはポルトガル(Portugal) で結ばれて新婚旅行に車ででかけるのです。そこに一台の車が近づき自爆します。テレサは亡くなり、ボンドは助かります。その車には首にコルセットをつけてたブロフェルドが乗っていました。

懐かしのキネマ その104 【ゴールドフィンガー】

007の映画は実に痛快です。「ダブル・オー・セブン」と発音します。いくつか観ていますが、どれも奇抜でしかも妖艶です。スパイ小説家、イアン・フレミング(Ian Fleming)が書いた007の第7作目の映画【Goldfinger】の紹介です。

中南米の麻薬工場を破壊した英国秘密情報部(MI6)のジェームズ・ボンド(James Bond)は、マイアミ(Miami)のビーチで休暇を楽しんでいます。そこに上司のMとCIAのエージェントであるライター(Felix Leiter)が、ホテルに泊まる富豪のオーリック・ゴールドフィンガー (Auric Goldfinger)を見張るようにボンドに指示します。ボンドはカードゲームをしているゴールドフィンガーとその相棒のジル(Jill Masterson)が望遠鏡とイアホンを使ってイカサマをしているのを見つけます。ゴールドフィンガーは大負けをします。その夜、ジルと一緒の部屋にゴールドフィンガーの手下で韓国人のオドジョブ(Oddjob)がボンドを襲います。ジルは裏切り者として金箔の絵の具を全身に塗られて窒息死させられます。

James Bond

ロンドンに戻るとイングランド銀行(Bank of England)の頭取とMは、埋蔵されている黄金が誰かによって国際的に密輸されるかをボンドに伝えます。ボンドには、ゴールドフィンガーがその金をいかにして盗み出すかを調べることです。ボンドにはスポーツカー(Aston Martin DB5)と電波探知機が与えられます。ボンドはケント(Kent)にあるゴルフクラブで再開します。ゴルフをやりながら、ボンドはMI6から手渡されたナチスの金塊とゴールドフィンガーの5000ポンドを賭けようとします。ゴールドフィンガーは騙そうとしますが、ボンドは巧妙にボールをすり替えて逆にゴールドフィンガーをルール違反で負けさせます。

ボンドはゴールドフィンガーを追ってスイスに向かいます。そこでジルの妹、ティリー(Tilly)に会います。彼女はゴールドフィンガーの命を狙っています。ボンドはゴールドフィンガーの精油所に忍び込み、中国人核物理学者のリング(Ling)との会話を盗み聞きします。リングは金をイギリスからこっそり持ち出すために、ロールスロイス (Rolls-Royce)の車体に金を埋め込むのを手助けします。ボンドはさらに、「グランドスラム作戦」(Operation Grand Slam)というのを盗み聞きします。

Bond & Tilly

「グランド・スラム計画」とは、アメリカ連邦政府が大量の金塊を保管している合衆国金塊貯蔵庫(U.S. Bullion Depository)のあるケンタッキー(Kentucky)のフォート・ノックス (Fort Knox)陸軍基地上空で、空中サーカスがゴールドフィンガーより手に入れたガスを散布します。金塊を盗むのではなく、核物質をまき散らす一種の「汚い爆弾」を中で爆発させることです。金塊は放射性物質で汚染されて58年間は搬出不可能となり、西側諸国の金価格は暴騰します。ゴールドフィンガーが保有している金の価格も急上昇し、彼に協力する中国も世界的経済混乱から何らかの利益を得る、という奇々怪々のストーリーです。

【ゴールドフィンガー】の野暮な解説はこの位にして、後は観てのお楽しみといきましょう。

懐かしのキネマ その103 【モロッコ、彼女たちの朝】

ステータス

原題【Adam】といいます。台詞はフランス語です。モロッコ(Morocco) はカサブランカ(Casablanca)の旧市街メディナ(Medina)に、幼い娘ワルダ(Walda) を育てながらアブラ(Abla)という女性がいます。アブラは夫を事故で亡くし、小さなパン屋を営みながら、娘と二人で働いています。

あるとき、店のドアを叩く音がしてアブラが出ると、お腹の大きい若い妊婦が玄関先に立っています。彼女はサミア(Samia)と名乗ります。未婚の妊婦と関わり合えば周囲から後ろ指差されるイスラム教のモロッコです。アブラはサミアを追い返します。しかしどこか見捨て切れない気持がありました。やがて、怪しみながらもアブラはサミアを迎えいります。

Able & Samia

アブラにとってサミアの存在は非常に危険でもありました。モロッコでは、未婚の妊婦は最大の禁忌だからです。それでも、サミアは孤独だったアブラとワルダ親子の生活に明るい変化をもたらします。パン作りが得意なサミアは、美味しいパンを作り街の人々から大評判になります。そしてパン商売は波に乗ります。互いに孤独を抱えていた二人は徐々に打ち解け、お互いの心を開きあっていくのです。

Samia & bread making

サミアは子が産まれれば即座に養子へ出し、なにも無かったふりをして実家へ戻るとアブラ話していました。モロッコでは婚外交渉と中絶が違法です。未婚の妊婦はすなわち「逮捕されていない犯罪者」であり、病院で出産しようとすれば警察に逮捕される危険があります。故郷に戻れば疎まれます。 産まれた子どもは「罪のある子」として周囲から虐げられるというのです。

町中が祭りの興奮に溢れる時、サミアに陣痛が始まります。サミアは、生まれ来る子の幸せを願い養子に出す覚悟をしていました。彼女は無事出産し、母親になっていきます。彼女と赤ん坊の間には絆が生まれています。そしていよいよ、赤ん坊を養子に出す日がやってきました。彼女は取り乱すことなく、じっと感情を抑え尊厳に満ちた表情なのです。

懐かしのキネマ その102 【バック・トゥ・ザ・フューチャ】

【Back to the Future】は1985年のアメリカのSF(Scientific Fiction)映画です。空想科学物語ですが「可能な未来の出来事に関する現実的な推測」を含んでいる内容です。SF小説の先駆といえば、既にこのブログの92話で取り上げた「八十日間世界一周」を書いたジュール・ヴェルヌ(Jules Verne)を挙げることができます。人間の想像力の素晴らしさを示し、今日の社会現象や多くの文学作品や映画に影響を与えているのがSFです。

1985年のカリフォルニア州(California)ヒルバレー(Hill Valley)に住む高校生マーティ・マクフライ(Marty McFly)は、複雑な家庭の事情やバンドコンテストに落選したりして普通の人生を過ごしていました。ガールフレンドにジェニファー(Jennifer Parker)がいました。

Doc & Marty

ある日、マーティは、年輩の科学者で親友でもあるエメット・ブラウン博士 (Emmett “Doc” Brown)(通称ドク)から、念願のタイムマシンが完成したことを聞かされ、その実証実験の手伝いをすることになります。深夜のショッピングモールの「ツインパインズ」(Twin Pines)の駐車場にて、スポーツタイプの乗用車デロリアン(DeLorean)を改造してドクが開発したタイムマシン(time machine)の実験を1985年10月26日午前1時20分にするのです

デロリアンによって、1分後の1時21分にタイムトラベルさせる実験は無事成功します。ですがタイムマシンの肝である燃料のプルトニウム(plutonium) を調達するためにドクが騙したリビア(Libya)のテロリストの襲撃に遭い、ドクは凶弾に倒れてしまいます。命を狙われたマーティはとっさにタイムマシンに乗ってモールの駐車場内を逃走しますが、シフトレバーを動かす際に肘で次元転換装置のスイッチを入れてしまいます。そのため1955年11月5日にタイムスリップしてしまうのです。

DeLorean

マーティは1985年10月26日に戻ろうとしますが、燃料のプルトニウムを使い果たし、タイムスリップすることができません。そこでマーティは1955年のドクと会い、未来に帰る手助けをしてもらうことを思いつきます。ドクは、持っていたビデオカメラに残っていたタイムトラベル理論を思いつき、当時の自分しか知らないはずの事情をマーティが知っていたことから彼を信じ、協力することにします。しかし1955年当時は、容易にプルトニウムなど手に入るはずもないので途方に暮れてしまいます。マーティーがたまたま1985年から持ってきたチラシに、1955年11月12日22時4分にヒルバレー裁判所の時計台に落雷が起こることが書いてあるのを読みます。そこで落雷の電力を利用し、タイムマシンの次元転換装置を稼動させる工夫を考えます。

大きな問題がありました。1955年はマーティの父、ジョージ(George)と母ロレイン(Lorraine)が結婚のきっかけとなった年です。ロレインの父がジョージを車ではね、交通事故の救護のため自宅に運び込まれたジョージにロレインがひと目惚れするはずだったのです。しかし、はねられそうになったジョージを助けようとしてマーティがはねられてしまいます。そのため運び込まれたマーティに若き母のロレインは未来の息子に恋をしてしまうのです。

このままでは父と母が結婚せず、マーティが生まれなかったことになってしまいます。自分が存在しなくなる危険をドクから示唆されたマーティはジョージとロレインを結びつけるために奮闘しますが、首尾良くいきません。1955年11月12日に行われたプロム(prom)で、マーティは臆病者のジョージが不良のビフを退けてロレインとキスをする手助けをします。かろうじて自身の消滅を免れ、時計台に落雷する22時4分ギリギリにタイムマシンに乗り込み、ドクの命がけの助力で1985年10月26日のドクが銃撃される11分前の1時24分への帰還に成功します。

時計台にマーティが駆けつけますが、再度テロリストの銃撃を受けドクは倒れます。しかし、悲しむマーティですが目の前でドクはゆっくりと起き上がります。1955年から帰還する直前にマーティが残した手紙で、自分が銃撃される未来を知っていたドクは防弾チョッキを身につけていたのです。1985年10月26日にドクとの再会を喜んだ後に自宅に戻ったマーティは、家族が裕福になっていることに驚きます。父親のジョージは夢だった小説家として大成し,母親のロレインも元気に暮らしています。

幸せになったマクフライ家に満足したマーティの目の前に、再びドクがデロリアンに乗って現れます。そしてマーティに、多くの苦しむ子ども達を救うため未来へ同行して欲しい頼みます。マーティとガールフレンドのジェニファーを乗せ、未来の技術で改良されたデロリアンは走り去っていきます。

懐かしのキネマ その101 【大脱走】

原題は【The Great Escape】となっています。戦闘シーンのない戦争映画といえばこの作品です。連合国軍人捕虜(Prisoner of war: POW)の集団脱走を描いた異色の戦争映画です。出演はスティーブ・マックイーン(Steve McQueen) 、ジェームズ・ガーナー(James Garner)、チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson) 、ジェームズ・コバーン(James Coburn,)、リチャード・アッテンボロー(Richard Attenborough) 、デヴィッド・マッカラム(David McCallum)などそうそうたる俳優です。

第二次大戦下のドイツ。一群の軍用トラックが新設されたスタラグ・ルフト(Stalag Luft)北捕虜収容所に到着します。この捕虜収容所に英軍中心の連合軍捕虜が送られてくるのですが、これらの捕虜の中に脱走常習犯が多数含まれていました。ドイツ軍は絶え間なく発生する脱走に手を焼き、常習犯を集めて脱走がきわめて難しくしたこの収容所を作ります。

トラックが収容所に到着すると、フォン・ルーガー所長(Colonel von Luger)は、連合軍捕虜の先任将校ラムゼイ大佐(Captain Ramsey)に対して「この収容所から脱出することは不可能だ。無駄な試みは辞めておとなしくせよ」と訓告します。しかし、大佐は「脱走して敵軍を混乱させるのは将兵の義務である」として所長に迎合しません。

捕虜収容所の中にはX集団という脱走組織が作られます。この組織はラムゼイ大佐の元にあり、そのリーダーはゲシュタポによって捕らえられたロジャー・バートレット(Roger Bartlett)という英国空軍の将校です。この脱走組織は、トンネルを掘り250名の捕虜を脱走させるという大胆な計画です。脱走兵を捕らえるために独軍は多くの兵を割かなければならないのです。組織は、三つのチームを作り、トム(Tim)、ディック(Dick)、ハリー(Harry)という3つのトンネルを掘り始めます。

アメリカ兵のバージル・ヒルツ(Virgil Hilts)は、監視台と監視台との間の鉄条網に盲点があることを見抜き、グローブとボールを持ってきて、さり気無くボールを鉄条網の傍に投げ入れて、立ち入り禁止区域に入ったが見つかり、機銃掃射を受けますが助かります。その大胆不敵な振舞いからさっそく所長に目をつけられて独房に放り込まれる始末です。

何回も脱走を繰り返しトンネルを掘りますが、見つかります。それでも三つのチームは諦めません。鉄条網から森までは100m位あります。それでも捕虜達はハリーというトンネルを掘り続けようやく76名が脱走します。脱走に成功した捕虜達は、様々な手段で逃走を続けます。しかし、追っ手によって次々と捕まり、結局脱走に成功したのは3名といわれます。

懐かしのキネマ その100 【史上最大の作戦】

この映画の題名は「The Longest Day」といいます。第二次大戦末の1944年6月6日に、米英仏加の連合軍がノルマンディ(Normandy)に上陸した日が「最も長い一日」、Dデイ(D-Day) といわれます。ヨーロッパにおいてナチスドイツはロシア東部戦線(Eastern Front)が膠着状態の中で、連合軍がフランス北部に上陸するとの予測が強まり、大西洋沿岸に地雷や障害物などを埋めて上陸作戦に備えていました。北アフリカから戻ってきたドイツ陸軍B軍団団長ロンメル元帥(Erwin Rommel)は、イギリスに面した海岸線で地雷の敷設が400万個と聞いて、600万個に増やすよう檄を飛ばしていました。その時ロンメルは「大軍を水際で撃滅させること、上陸する最初の24時間が極めて重要で、その時は連合軍にとっても我々にとっても一番長い日となるだろう」と語ります。

Erwin Rommel

ドイツ軍情報部は、占領下のフランスにイギリスのBBC放送が送っている各メッセージの分析を行いながら、ヴェルレーヌ(Paul Verlaine)の詩『秋の歌』が放送されたことに注目していました。その一節「秋の日のヴィオロンの ためいきの」が数日間にわたって放送されて、次の後半の一節が放送された時は24時間以内に連合軍の上陸が始まる事を、レジスタンスから捕獲した資料で知っていました。そして西部軍参謀総長ブルーメントリット大将(Günther Blumentritt)から西部軍最高司令官ルントシュテット元帥(Gerd von Rundstedt)に警戒情報を出すように要請しますが、元帥はラジオから流されるヴェルレーヌの詩だけでは警戒情報は出せないと却下します。ロンメルは6月に入ってから悪天候が続きで連合軍の上陸はないと判断してベルリンに戻ります。

6月6日午前0時、ノルマンディ上陸作戦は、英軍第6空挺師団率ハワード少佐(Major Howard)が率いる部隊によるグライダー降下で始まります。オルヌ川(Orne)にかかる橋を確保するため、橋を夜襲で無傷で確保して、昼に海岸からやって来る本隊が合流するまで死守するのが任務でした。レジスタンスのメンバーはフランス国内の通信網の破壊活動に入ります。 空挺師団が降下を開始します。その中には自由フランス軍の部隊もおり、レジスタンスと協力して走って来た軍用列車を爆破します。兵士人形を吊り下げたパラシュートが降りてきたことが伝えられ、マルクス大将(Erich Marcks) は、この兵士人形は陽動作戦ではないかと疑うのです。ここではノルマンディー上陸作戦の戦況は詳しくは記しません。

後に、ノルマンディ上陸作戦を予想できなかったのがドイツ敗因の根本であるといわれます。Dデイとノルマンディ上陸を予想できず、臨機に処すべき機甲師団の移動は、ヒトラー睡眠中のために具申さえできませんでした。ロンメル元帥も、北アフリカのエルアラメイン(El Alamein)おの時と同じく、悪天候を理由に休暇をとっていました。ルントシュテット元帥も陰に回るとヒトラーをボヘミア(Bohemia)の伍長(corporal)よばわりしながら、表では正面からの衝突を避けます。連合軍の上陸地点がカレー(Calais)でなくノルマンディが主力だと最初から見抜いていたのは、第7軍参謀長のマックス・ペムゼル少将(Max-Josef Pemsel)とノルマンディ全体を統括する第84軍団長のエーリッヒ・マルクス大将(Erich Marcks)くらいといわれます。

懐かしのキネマ その99 【ハドソン川の奇跡】

原題は【Sully】といいます。Sullyとは、機長のニックネームです。 2009年1月15日、ラガーディア空港(LaGuardia Airport) 発、シャーロット(Charlotte)空港行きのUSエアウェイズ1549便は離陸直後、巡航高度に向かう途中に鳥の群れに遭遇し(bird strike)、鳥がエンジンに吸い込まれ、両エンジンが停止してしまいます。1549便の機長サリー・サレンバーガー(Chesley “Sully” Sullenberger)(愛称サリー)と副操縦士のジェフ・スカイルズ(Jeff Skiles)は、推力を失った機体を出発地ラガーディア空港に引き返えそうと試みます。しかし、高度が低すぎたために、近くにあるテーテボロ空港(Teterboro)にも着陸は不可能と考えます。やむを得ず眼下に流れるハドソン川(Hudson River)に不時着水することを決断します。

Chesley “Sully” Sullenberger

サリーの巧みな操縦によって着水の衝撃で機体が分解することもなく、乗務員の迅速な避難誘導や救助が早かったことなどもあり、大型旅客機の不時着水という大事故ながら、1人の死者も出さなかった奇跡的な出来事となります。このニュースは全米はおろか世界中で「ハドソン川の奇跡」と呼ばれ、サリーは一躍ヒーローとなります。しかし後日、National Transportation Safety Board:NTSBという事故調査委員会の調査によりシミュレートを行った結果、1549便はラガーディアにも他の空港にも着陸が可能だったという報告を突き付けられるのです。サリーとスカイルズは「あり得ない」と否定しますが、二人は疑惑の人物となってしまいます。議論の場は公聴会で行われることとなります。果たして機長の行動は正しかったのか、それとも乗客の命を危険に晒す行為だったのかが明かされていきます。

調査委員会の報告によれば、機体の左エンジンは僅かに動作しており、理論上はラガーディア空港に戻ることは出来たと主張します。いくつかのコンピュータによるシュミレーションでも同様な主張です。機長と副操縦士は、それに反論し、二つの意見が対立していきます。事故調査委員会は、二人のパイロットのミスが事故原因であると考えます。もしそうなれば、機長の資格は剥奪されます。そこで機長は、再度公の前でシュミレーションを実施するように求めます。シュミレーションでは機体は空港に戻ることができました。しかし、機長はシュミレーションの操作者が事前に事故を想定し、緊急事態に備えることが出来ていたので、非現実的なシュミレーションだったと反論します。

事故調査委員会は、機長の反論を受けて再検証します。そして、不時着までの35秒間、機長等がとった対応を加えるとラガーディア空港への引き返しでは、滑走路の手前で落下すること、さらにテーテボロ空港への緊急着陸も不可能で、手前のビルなどに激突したかもしれないと結論づけます。ハドソン川より引き揚げられたエンジンを調査した結果、バードストライクによって、エンジンが損傷していたことが判明します。機長等の判断は正しく、機長の「衝撃に備えて(brace)」の放送で緊急事態であることを即座に告げ、乗客に安全姿勢をとるよう促し、また着水後は迅速な避難誘導を行ったことで、全ての乗客の命が救われたと結論づけます。