「幸せとはなにか」 その13  二十四の瞳から

作家壺井栄は、香川県小豆島の出身である。この島は瀬戸内海では淡路島に次いで2番目の面積となっている。寒霞渓を始めとする渓谷などの自然が瀬戸内海国立公園に指定されている。大阪城修復の際には小豆島より多くの石が採られ運ばれた。今も石切場の跡が残っている。島独特の手延べそうめんで知られ、またオリーブの生産が盛んである。

さて話柄は「二十四の瞳」である。1952年の壺井の原作をもとにして、木下惠介が監督で1954年に公開された映画である。もちろん小豆島の小学校の分教場が舞台である。担任は新任の大石先生。彼女のクラスは12名。こののどかな島で皆成長する。

やがて戦争の影が小さな島にも忍びより、暗い世相が訪れる。不況、飢饉、満州事変、上海事変と続く戦争に島も家族もほんろうされる。教師も戦時教育を強いられる。12人の生徒たちはそれぞれの運命を歩む。戦地へ赴く教え子や自分の子に「名誉の戦死などない、必ず生きて戻るように」と諭す。戦争に疑問を抱く大石先生は教え子たちの卒業とともに教師を辞める。

戦争が終わる。大石先生も船乗りの夫や息子を戦地で亡くす。かつての教え子の呼びかけで、大石先生と同窓会が開かれる。そこで12名の消息がわかる。席上、皆波乱の人生を余儀なくされたことを知る。戦場で負傷し失明した教え子が、昔12名で撮った写真を指差して「これは誰、こちらは、、、」といって恩師に説明する。

戦争は多くの尊い命を奪った。家族を、恋人を、学徒を、子供を不幸に巻き込んだ。大勢の敵兵や占領下の現地の人々も亡くなった。太平洋戦争では、日本だけで200万人以上の戦闘員、非戦闘員が命を落とした。筆者も叔父が二人シベリアで亡くなった。

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