初めに言葉があった その19 北原白秋と小椋佳 その1 柳川

かつて働いていた通信制高校の本校が福岡の田川にありました。石炭産業で栄えた所です。卒業式の式辞は北原白秋の「からたちの花」をテーマに、白秋の人となりや詩への感性や作り方、そして人生の生き方について述べました。

式が終わり白秋の生家がある柳川市へ向かいました。柳川は長閑な掘割が縦横に流れることから水の都と呼ばれています。旧藩主立花氏の別邸「御花」、鰻料理などを堪能できる街です。北原家は江戸時代から栄えた商家。海産物の問屋をしていたようです。白秋の生家が今は記念館となっています。

ところで白秋記念館というのは神奈川県の三浦市と小田原市にもあります。三浦三崎には「城ヶ島の雨」の詩碑と白秋記念館があります。小田原時代の白秋は鈴木三重吉とともに児童雑誌「赤い鳥」を創刊します。「童謡」という新しいジャンルを開拓した功績を讃え、その創作活動を記念して造られたのが白秋童謡館です。

白秋といえば「待ちぼうけ」「ペチカ」「あめふり」「赤い鳥小鳥」「砂山」「鐘が鳴ります」「かえろかえろと」など多くの童謡の歌詞をつくりました。やがて与謝野鉄幹や晶子、木下杢太郎、石川啄木らと知己を持ちます。雑誌「明星」や「文庫」で発表した詩は、上田敏などによって高く評価され、歌人としての地位を確立します。

「からたちの花」です。この詩に曲をつけたのが山田耕筰です。

からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。

からたちのとげはいたいよ。
靑い靑い針のとげだよ。

からたちは畑の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。

からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。

この曲はやがてシンガーソングライター(作詞作曲家)の小椋佳に多大な影響を与えていきます。
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旧藩主立花氏の別邸「御花」40001375_2 mihashirajinjya4 jeQDG4JLyIdlU-0