文化を考える その14 それぞれの家族史 その6 闘いの始まり

家内の治療にあたる主治医は同じく地元ロータリークラブ会員であるウィスコンシン大学病院のDr. George Bryan教授であった。化学療法であるガン治療をChemotherapyという。この治療法について丁寧に説明してくれた。

それによると、抗ガン剤はたくさんの種類があり、それを組み合わせて治療すること、患者の様態をみながら薬の配合を変えるなどとのことだった。これを多剤併用療法という。こうした多剤併用による治療の効果は、前回触れた全米の病院を網羅するネットワーク上のデータベースによってわかるのだという。

手術後にすぐ、病院の廊下を歩くことが医師に勧められた。そして一週間後に退院。患者によっては、病室よりも家庭のほうが治りが早いという。Dr. Bryan教授は私が苦学生であることを知っていたので、高い入院費のことを心配してくれ、自分が受ける報酬を返上してくださった。幸い私は家族の保険に入っていたので、診断から治療まで保険でカバーされた。一セントも払う必要がなかった。保険がなかったら大変な事態になっていた。

抗ガン剤が処方され治療が始まった。投与のたびに頭髪が抜けた。小学生の次女はそれが因で登校できなくなった。母親との離別を恐れたようだ。その年、30日間不登校が続いた。我が家、最大の危機の年であった。

手術後、大学病院のチャプレンと呼ばれる牧師、そして乳ガンを患ったという女性ボランティが病室にやってきて家内を激励してくれた。ボランティアが病院にいるのもこのとき始めて知った。家内は治療が落ち着いてくると、近くのサンドイッチ店でアルバイトを再開した。母親が仕事に出かけると次女も学校へ行き始めた。私も博士論文の仕上げやアルバイトで急がしかった。

今、当時の子どもたちの心情を思い起こしている。

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