良い関係ができる場をどう作るか

高槻のSTです。
最近、筋ジスの卒業生の個展を開こうと、何度か元の勤務校を訪ねました。多忙で協力どころではないのはある程度想像し覚悟していましたが、元の勤務校の障害児教育の変貌にも愕然としています。

競争を煽り、格差を広げる今の教育行政の中で、大阪の教師は疲弊しきっているのはかねてから知っていましたが、高槻の障害児教育の伝統はもはや根絶やしになってしまった感があります。

私は、普通高校に障害児が学ぶことの意義は、障害のある生徒と障害のない生徒との間に良い関係が生まれることにあると思ってきました。でも、そういった関係は、障害のある生徒が在籍していれば自然に生まれるものではないことも、長年の経験から実感しています。

障害のある生徒はその障害のために、なかなか周りの生徒と関係をつくることができません。教師は、生徒たちをうまく結んでやることが必要です。良い関係ができる場をどう作るかが、教師の力量だと思います。

障害のある生徒を介助する補助教員として教室に「入り込み」をする場合、私が最も気をつけたのは、入り込み担当者が、障害のある生徒とない生徒との間の「カベ」にならないようにすることでした。こうしたことを私は障害児教育関連の報告書には必ず書き込んできたのですが、今は一顧もされていないようです。

元の勤務校では知的障害のある生徒は原学級に所属しますが、知的障害生徒のための「サポート教室」の担当者が補助にあたることになっていました。でも、あくまで原学級が生徒たちの居場所になるよう、私の在職中は目を光らせていました。

ところが、今は知的障害生徒は籍は原学級にあっても、完全に「サポート教室」の生徒になってしまっています。「サポート教室」の担当者は、知的障害生徒の面倒を見ることには熱心ですが、周りの生徒とどういう関係が作れているかには関心を示しません。

インクルーシブ教育が言われていますが、障害のある子どもが、まわりの仲間といい関係をつくる力を育てるにはどうすればいいか、には触れられることは少ないようです。もう少し、きちんとそうしたことを後輩の教師たちの目につくようなものにまとめておくべきだったと悔やんでいます。

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